2012年12月19日水曜日

率 2号

短歌同人誌『率』の2号を読んだ。『率』は、力のある若い歌人が集う同人誌で、ぺらぺらの薄い冊子であるが、読み応えは十分であった。特に、小原奈実の連作「にへ」と、平岡直子の連作「装飾品」が印象に残った。

まず、小原奈実の「にへ」では、

黙すことながきゆふさり息とめて李の淡き谷に歯を立つ

肉体のわれを欲るきみ切りわけし桃に褐変の時が過ぎゆく

この2首が印象に残った。2首とも二句切れのいわゆる万葉調(五七調)で、第二句までが心情的な描写、第三句からが実景的な描写という構成になっている。心情的な部分と実景的な部分を分ける手法は現代短歌に於て「王道」とでも呼ぶべき、ある種定番ともなっているもので、作者の世代や志向を越えて広く用いられている。それにも関わらず、私はこの2首にある種の「驚き」と「新しさ」を感じずにはいられない。

心情的な描写からするすると作品世界に入ってゆくわけだが、それぞれ第三句あたりまで差しかかったところで驚くべき表現に出くわすことになる――「息とめて李の淡き谷に歯を立つ」、「切りわけし桃に褐変の時が過ぎゆく」――突如立体的に浮上する「李」と「桃」の存在感にはっと息を呑む思いがする。

これらの表現に傑出している部分をより詳細に考察してみたい。まず一首目では、「淡き谷」という「李」の一側面を端的に切り取り、そこに局所的に「歯を立」てる。二首目では、桃が「褐変」してゆく様を「時が過ぎゆく」という大きな時間の幅で捉えてゆく。「李」と「桃」という存在の「淡き谷」、「褐変」という視覚的、外観的にユニークな特徴が示され、そこに外観以外の動きが加えられることで、対象が言葉の上に立体的に立ち上がって来るというわけだ。このような描写は、作者の「李」や「桃」のような小さな「もの」――あるいは「生命」――に対する確かな関心と、それに基づく観察の成果を表しているように思う。そして小原奈実の「新しさ」というのは――この立体的な情景描写自体が既に革新的であることに加えて――このような表現が、いわゆる「客観写生」のような無味乾燥な文脈に置かれるのではなく、情感豊かな文脈の中に、つややかなナイフのように仕込まれて、作品の世界に奥行きと緊張を添えている点にある。このような方法がこれまでの短歌に存在したであろうか。

平岡直子の「装飾品」には、

ピアニストの腕クロスする 天国のことを見てきたように話して

完璧な猫に会うのが怖いのも牛乳を買いに行けば治るよ

これだから秋は、ときみは口ずさみ怪獣みたいな夕焼けだった

こんな歌があった。「ピアニストの腕クロスする」、「完璧な猫」、「怪獣みたいな夕焼け」――恐るべき強度を持ったフレーズが突き刺さるように響く。そしてそこに「牛乳を買いに行けば治るよ」とか、「これだから秋は」というように、語りかけるような優しさで、不可解な内容が示唆される。ほとんどわからないぎりぎりのところで、わかる、といった印象であろうか。言葉の強度は感性の壁を越えるのかもしれない。

2012年12月6日木曜日

未来 2012年12月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の12月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『未来』2012年12月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 にぎってる手がぎこちない 駅ビルの向こうにも冷えきった青空  浅羽佐和子

2 心的外傷トラウマにいやされる夜もあるのだしパルプ町からにおう煤煙  柳澤美晴

3 歯みがき粉口内炎にしみながら明日めざめるものとおもわず  柳澤美晴

4 戦争ごっこがはやってるって屋上までのぼってまわりの音楽を聴け  細見晴一

5 鞄にはいつも薄手のカーディガンしのばせておくあたらしい秋  中込有美

1の下の句の句跨りがぎこちなさを際立たせているように感じるのは恣意的な読みであろうか。

――旭川に「パルプ町」という町があるらしい。地名は普遍性を持たないようにも思えるが、「煤煙」と組み合された下の句からは、何の前提知識が無い状態からも確かなイメージを想起できた。「心的外傷トラウマにいやされる夜もあるのだし」――随分当り前のように云っているけれど、これはどうなのだろう。トラウマから逃避することを選び続ける人間にはわからない境地なのかも知れない。

3の「明日めざめるものとおもわず」――2の上の句もそうだけれど、ある種「異常な」内容が本当に当り前のようにさらっと述べられていて、歌全体の描写の中で読者もその内容を当り前のように受け止める――そういうある種の説得力が柳澤美晴の短歌には存在しているような気がした。

――音楽を聴け。

――些細な生活的事象が結句「あたらしい秋」によってのびやかに開放される。あたらしい秋。あたらしい秋が訪れたのだ。

2012年12月5日水曜日

塔 2012年12月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の12月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2012年12月号に掲載されているすべての短歌より7首選んだ。掲載順に記す。

1 秋の夜の書架の端より抜き出せば付箋のピンク色褪せており  吉川宏志

2 星にいて星視ることのあやうさのくるぶしを冷しゆく夜にいる  大森静佳

3 産むことも産まれることもぼやぼやと飴玉が尖ってゆくまでの刻  大森静佳

4 白い器に声を満たして飛ぶものをいつでも遠くから鳥と呼ぶ  大森静佳

5 昼の月はいつも一人で眺めおりあの裏にも青い空があるから  大森静佳

6 年月はまぶしき獣 その尾までこの掌で撫でてあげるから来て  大森静佳

7 抽斗のスプーンのように重なって眠りぬ秋の豊かな昼を  大森静佳

――緻密な描写から突如浮上する「ピンク」の衝撃――しかしその色は既に褪せている。

2の「星にいて星視ることのあやうさの」、5の「あの裏にも青い空があるから」――通常の認識を意図的にずらした表現である。このような試みは「試み」として終ってしまうことが多いが、これらの作品ではぎりぎりのところで陳腐さを回避している。この事は短歌の韻律性と深く関わっているように思う。2の「くるぶしを冷しゆく」の「を」の挿入、5のア行を基調とした「あの裏にも青い」――イレギュラーな、それでいて定型性との絶妙なバランスを感じさせる字余りの第四句が、両歌の内容に微妙なところで説得力を与えているのではないだろうか。

いずれにせよ、最近の大森静佳の作品の充実した内容にはただ驚くばかりで、くどくどと評することが野暮のように思えて来る、ということもまた事実である。

2012年12月1日土曜日

窓、その他

内山晶太第一歌集『窓、その他』(2012、六花書林)を読んだ。この歌集にはさまざまな内容の歌が含まれている一方で、ある一貫した傾向があるように思われる。その傾向は彼の「あとがき」の以下の部分に代言されているように感じた。

格好の良いあとがきは書けないし、書くつもりもないのだが、今年はわたしにとって作歌をはじめて二十年目の節目にあたる。訳のわからない実生活を過ごしつつ、よくも途切れることなく二十年間こつこつと歌を生んできたものだとわれながら思う。が、逆に言えば、訳のわからない実生活があったからこそ、長い期間短歌を続けて来られたのかもしれない。

そうしてようやくここに花をひとつ咲かせることができた。咲いてくれてよかった。

このあとがきから以下の二つの内容を読み取ることができる。

1 「訳のわからない実生活」が内山晶太の創作の原点であること。
2 「格好の良い」ことは書かないと宣言しつつ、「そうしてようやくここに花をひとつ咲かせることができた。咲いてくれてよかった」というようなことを云うのが内山晶太であること。

基本的に内山晶太の歌のベースには彼の実生活があって、歌の内容には「格好の良い」ことだけではない、ありのままの生活のさまざまな様相が描かれているのであるが、その一方で、彼の美意識がすべての歌に色濃く表れている。その最も顕著な例として、

自涜にも準備があるということの水のくらや
み蓮ひらきおり

この歌があるように思う。この歌だけを読むと、この下の句の「水のくらやみ蓮咲きおり」という描写はミスマッチなのではないかと反発したくもなるのだけれど、それは表層的な見解で、すべての歌に繰り返し提示される内山晶太の美意識、その一つの表れとしてこの歌は捉えられるのではないだろうか。

「繰り返し提示される美意識」といっても、それがいわゆる「生活感情」のようなかたちで表れる歌と、より普遍的なかたちをとって表れる歌というような表現形式の違いはあって、私としてはある程度生活の臭いが消えている作品が印象に残った。それは例えば、

お魚のように降るはな 一生の春夏秋はるなつあきを遊び
つかれて

花摘みて花に溺るるたのしさをきょう生前の
日記にしるす

わたくしに千の快楽を 木々に眼を マッチ
売りにはもっとマッチを

こういう歌なのだけれど、歌の内容は快楽を追い求めるようなものになっていて、それでいて実際に表れている表現については自制の効いた、ストイックなものになっていることが興味深い。また、

観覧車、風に解体されてゆく好きとか嫌いと
か春の草

閉ざしたる窓、閉ざしたるまぶたよりなみだ
零れつ手品のごとく

これらの作品には、イメージと心情が重なり合った豊穣な世界観が表れている。これは読者の好みによるところも大きいのだろうけれど、私はこの歌集の中では、このようにある程度一般性や普遍性を孕んだかたちで提示される歌が成功しているように思えた。ただ、

降る雨の夜の路面にうつりたる信号の赤を踏
みたくて踏む

帰路いじる携帯電話の液晶にかもめ乱れて飛
ぶ冬の空

このように極めて日常的な文脈で発揮されるユニークな視点も、内山晶太の短歌の重要な側面であることは言及しなければならないであろう。

この歌集の読解の上でどの程度の重要性を持つかはわからないが、内山晶太の短歌には石川啄木の短歌との著しい類似性が感じられることにも触れておきたい。内山晶太と石川啄木の類似というのは、「生活を扱っている」というのはもちろんそうなのだけれど、それだけではなくて、言葉の遣い方、文体のレヴェルに於ても広く見られるように思える。この歌集にある、

すばらしく晴れたる冬の岸しずか蟹さえわた
しを離れたりけり

という歌は、石川啄木の『一握の砂』にある、

東海とうかい小島こじまいそ白砂しらすな
われきぬれて
かにとたはむる

へのオマージュ、あるいは「挑戦」とも受け取れるのではないであろうか。

この歌集の「一行20字の二行書き」とい表記にも啄木との類似性を感じるが、この表記については内山氏がTwitter上のやりとりで

一首二行取りはわたしが決めたのですが、一行の文字数は出版社さんに委ねました。ですので、特に思惑があったわけではありません。ただ、こうした「偶然性」というのは大切にしたいなあと日頃から思っています。

と答えて下さったことがある。個性的な表記を指定しつつも、作者の意図を伝達する上で重要と思われる文字数の指定は「他者」に任せる、という姿勢には、啄木の緻密に計算された「三行書き」とは異なる、内山晶太の個性――ある種の「二面性」が表れているのだと思う。この「二面性」は、前述したように、表記だけに留まるものではなく、この歌集のあらゆるところに見られるものである。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

楽曲のなかに落ちゆく稲妻を待てりなまぬる
き観客席に

いっぽんのマッチを擦って見るゆめは見ては
いけないゆめ そうですか

いくつかの菫は昼を震えおりああこんなにも
低く吹く風

いくつもの春夏秋冬あふれかえるからだを置
けり夜祭のなか

2012年11月17日土曜日

未踏

高柳克弘第一句集『未踏』(ふらんす堂)を読んだ。

この句集は、2003年から2008年までの年ごとにⅠ~Ⅵ章に分けられていて、いわゆる「編年体」の構成となっている。第一句集からここまで明確に編年体で構成するというところに作者の強い意図が存在していることは明らかであるから、この評でも時間軸に沿って句集を読んでいくことにする。

Ⅰ章(2003年)の冒頭に標題歌である、

ことごとく未踏なりけり冬の星

が掲載されている。この句に続いて若々しい清新な趣に溢れた作品が展開される。この句を見ればわかるように、彼の作品は2003年の段階で既に技術的に高度に洗練されている。本来ならば、初期からも多くの作品を紹介したいところであるが、この句集に於て、後半の作品と前半の作品を比べたときに、相対的に――あくまでも相対的に――通常の尺度では完成度が高いはずの前半の作品が雑に見えるという特殊な事情が存在しているため、敢えて後半の作品を中心にこの評では紹介する。

Ⅳ章(2006年)の冒頭付近に、

何もみてをらぬ眼や手毬つく

枯るる中ことりと積木完成す

かよふものなき一対の冬木かな

十人とをらぬ劇団焚火せり

突然このような趣向の作品が固まって存在していて驚かされた。不在の中にある種の調和を見出す特殊な精神性が前面に押し出されていて、特に一句目や二句目の不気味なほどの迫真性――「凄み」と云うべきか――には圧倒される。

これほどの達成を目の当たりにして、当然これからしばらくはこういう方向で詠むのだろうと予想してしまったが、この作風が固まって存在しているのはⅣ章の冒頭付近のみで、彼は直ちに次の作風に移行している。

この次に興味深く感じたのはⅤ章(2007年)にある、

一月やうすき影もつ紙コップ

額縁の直角夏の来たりけり

鳥渡るこんなところに洋服屋

この3句のような異常にシンプルな構造をもった作品である。このような簡潔な趣はⅥ章(2008年)に於て、

みどりさす絵本の硬き表紙かな

巻貝は時間のかたち南風

この2句に見られるような、より精神性が強く表れた作風へと発展している。

また、滑稽な、ウィットの効いた趣向はこの句集に年代を問わず存在しているものである。ただ、私の好みを云えば、前半の滑稽な趣向はあからさま過ぎて――若過ぎて――あまり楽しめなかったのに対して、Ⅵ章の、

六月や蝋人形のスターリン

酢の壜のきれいなままに夏終る

洋梨とタイプライター日が昇る

冬あをぞら花壇を荒らさないでください

この4句に見られるような抑えの効いた機知には存分に引き込まれた。

この句集には、俳句特有の不在の美学――或は無の美学――や、それを体現するものとしての簡潔な文体、また、作品に奥行きを与える滑稽の要素など、俳句のエッセンスが凝縮されている。このことは、高柳克弘の句に明らかに松尾芭蕉の影響が見られることからも判るように、彼の先人に対する真摯な研究の成果を表している。一方で、彼の作風はまだ留まるところを知らない。元来俳句は四季の流転を主題とする詩形であったが、この句集では作風もまた流転する。彼が詠んでいるのはあくまでも現代なのである。芭蕉を初めとする偉大な先人の影がオーラとなって彼の句を支える一方で、彼が志向するのは古典回帰などではなく現代の抒情であって、先人の達成を踏まえた上での新しい試みも存分に見られる。過去から現代までを包摂した、「全時代的俳人」、高柳克弘のこれからの活躍に注目したいと思う。

2012年11月11日日曜日

塔 2012年11月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の11月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2012年11月号に掲載されているすべての短歌より6首選んだ。掲載順に記す。

1 知らない街の写真を飾る知らない街はずっと夕暮の街でいるから  廣野翔一

2 ブランデーのかをりの抜けぬ空瓶に耳を寄せれば金糸雀カナリアのうた  磯部葉子

3 まばたきのたびにあなたを遠ざかり息浅き夏を髪しばりたり  大森静佳

4 視ることの昂ぶりにいる 空間を圧しながら輪をひらく花火は  大森静佳

5 雲のことあなたのことも空のこと 振り切ることのいつでも寒い  大森静佳

6 肉づきのよい雲きらい 川べりを水の速さに遅れて歩む  大森静佳

1は、随分と当り前のことをいっているようだけれど、人為の集合体である「街」の中から「夕暮」というアスペクトのみが抜き取られた、切り捨てられた街、という存在にどこか惹かれるものを感じた。

2は、視覚と嗅覚と聴覚の魅力を「空瓶」に集約させた楽しい作品。「金糸雀カナリア」という表記は成功しているようには思えないが、「カナリア」も最善とは云えない。このあたりが短歌の難しいところである。

3、4、5、6の大森静佳の、映像性と身体性が不可思議に入り組んだ作風は既に円熟の境地に達していると云えよう。川の流れのような流動性と強さを秘めた、激しい動きを見せる韻律、5の「寒い」、6の「きらい」のように、読者の意表を突いてふいに差し込まれる言葉の強度――他のどの現代歌人にも見られない独自のスタイルが素晴らしい完成度をもって展開されている。

2012年11月5日月曜日

未来 2012年11月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の11月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『未来』2012年11月号に掲載されているすべての短歌より11首選んだ。掲載順に記す。

1  見やる方松の枝の間に雨傘を畳みつつゆく人遠さかる  米田律子

2  向上心のないものは馬鹿だと鳴いているセミ白球に潰されて死ね  増金毅彦

3  国会を囲む群集 投石はなくとも晩夏の風鈴は鳴る  増金毅彦

4  「正しさ」が客観性をもつことはない。  ただルールというものはある。  増金毅彦

5  こういった時勢に右によりたがる我こそ悲しき大和男子よ  増金毅彦

6  ぽんぽんと夏音のする夕暮れに駆けてゆきます真っ赤な鼻緒  篠宮香南

7  じんわりと沁みてくれればそれでいい。ウェルメイドでハートフルで  鈴木美紀子

8  自転車で港まで来た老人が海を飽かずに眺めてゐた  小野フェラー雅美

9  目が合ふと恥づかしさうに空を見てそこに鴎が飛んで騒いだ  小野フェラー雅美

10 北海の港はいつか軍艦で埋まつてゐたと静かなはなし  小野フェラー雅美

11 遠い遠い昔のことと思ひたいところがそれは未来のことだ  小野フェラー雅美

※4のスペースは「二字空け」。9の「鴎」は原文では「鷗」。「鷗」が環境依存文字であるため止むを得ず「鴎」と表記した。

1は、歌の「姿」が美しい秀作。

2、3、4、5は「未来広場 みらい・プラザ」に掲載されている「五輪後」というタイトルの4首(本誌に掲載されているのもこの4首のみ)。

私は現代短歌に於るいわゆる「社会詠」というものについて相当に否定的な立場を取っている。と云うのも、社会詠の多くにはそれが短歌である必然性――散文に対する優位性――がほとんど感じられないからである。短歌に於て社会的な見解を表明しようとすれば、必ず言葉足らずになり、真摯な社会批評にはならず、どれほど完成度が高くなったとしても、デマゴギーとしての意義しか持たない――と云うのが私の見解である。

増金毅彦の4首も多分に社会的な主張を含むが、通常の社会詠とは状況が異なる。ただ社会に対して意見を表明したり、ちょっと皮肉をぶつけてみたいと云うわけではなくて、社会と自己を照らし合わせた上でのある種の個人的な、内面的な表出が色濃く見られる。そのような特殊な抒情と、2の奇異な構想、4の「二字空け」に象徴される個性的な作風が調和して、読者を引き込む強い力を持った作品が成立している。

――「鼻緒」の意外性。

7の、「ウェルメイド」も「ハートフル」も随分とダサい形容詞である――「ハートフル(heartful)」は和製英語である可能性もある(英語では普通"heartfelt"と云う)――けれど、「で」で並列されることによって不思議な韻律と抒情が感じられて楽しい。

私はこれまで外国を短歌や俳句に適切に詠み込むことは困難であると考えていた。これは例えば夏目漱石の俳句を読んでいると、イギリス留学中に良い作品が少ないというようなことから来た考えなのだけれど、8、9、10、11の小野フェラー雅美の作品を読んで、どうやら一概にそういうわけではないらしいということに気づいた。漱石のイギリス滞在中に優れた作品が少ないのは彼が「異国」としてイギリスを見ていたからであって、より自らに近いものとしてその国を意識し、その風土にふさわしい韻律を採用すれば日本以外の国についても良い歌をつくることは十分に可能なようだ。

作者と「老人」の邂逅を軸に、脇役の「鴎」や「軍艦」が顔を出す物語性の高い世界観が美しい。

2012年11月2日金曜日

短歌研究 2012年11月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の11月号を読んだ。今号は創刊八十周年記念と云うことで、多くの歌人が参加する充実した内容となっている。中でも、吉田竜宇の連作「白の距離」と山崎聡子の連作「手のひらの花火」が面白かった。

まず、吉田竜宇の「白の距離」には、

血液はしずかに巡りてのひらを満たすそのようにして季節は

晴れた日に見える全ての青色をただ空と呼び手紙に書いた

マルジェラのタグのすべてに丸をつけ白い鳥しか飛ばない国へ

こういう歌があるのだけれど、一読して斬新な視点と洗練された韻律が印象に残る。

一首目と二首目は、「季節」、「空」という普遍的なテーマを独自の視点で読み直すことによって、古典性から解放された現代的なモティーフとしての新しい活力が与えられている。一首目の下の句の、「そのようにして」の美しい句跨りから、「季節は」と倒置的にまとめる余韻たっぷりの結びが素晴らしい。

三首目の「マルジェラのタグ」がどういうものか私は知らなかったのだけれど、ベルギーのファッションデザイナーマルタン・マルジェラの、タグの0~23までの数字に丸を付けてコレクションラインを示す個性的なスタイルのことを指しているらしい。実物を知っていると、「すべてに丸をつけ」た状態を視覚的にリアルに把握できるけれど、知らなくても十分に楽しめる奥行きを持った作品だと思う。

山崎聡子の「手のひらの花火」には、

屈折ののちの明るい日々のなか夜風を裸眼の両目におくる

感情はときに水場のようにあり揺れるぬるい水、あたたかい水

どれほどの渇望かもうわからない君とゆっくりゆくアーケード

モハメド・アリの背中に青い影が立ちほのおのように燃えていた夏

暗転とそして明転 くりかえしくりかえし朝と夜を迎える

へび花火ひとつを君のてのひらに終わりを知っている顔で置く

こういう歌があるのだけれど、豊かなアイディアと、刺激に満ち、かつ心地よい韻律に新鮮な驚きを覚えた。山崎聡子の作品を読むのは私にとっては『短歌研究』2011年2月号以来だけれど、当時と比べると、独自の韻律の成熟、構想の深化がはっきりと伺える。

三首目の「アーケード」、四首目の「モハメド・アリ」、六首目の「へび花火」は、短歌全体の描写の中で、それ単体に生じるありのままのイメージからは離れた独自のモティーフとして機能している。

二首目の「ぬるい水、あたたかい水」、五首目の「暗転とそして明転」というフレーズも印象深い。こういう相対する語を並べる手法自体は特に珍しいものではないけれど、対比させる語の選択、一首全体になめらかに滑り込む韻律が印象的で、この手法の新しい可能性を示しているように思う。

二人の作品には、現代短歌の新しい可能性が存分に感じられる。八十周年を迎えた「短歌研究」が、短歌界の最先端の動きを感じとれる媒体としてこれからも機能してくれることを願いたい。

2012年10月31日水曜日

2012年10月

10月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が4首、そうでないものが2首で、計6首。御感想を頂けると嬉しい。

淡海

青条揚羽アヲスヂアゲハのからまりほどけゆく夏の終りの一呼吸 空の味

海のやうな湖がある場所にきて釣竿なげる父子をみてゐる

淡海のとうめいなみづ冷たくて終らない夏の終りを思ふ

瓦から生えたつる草もみぢする 園城寺 秋のはじまりのこゑ

ずいぶんと世界が薄いみづいろの空 地平線 をりかへす波

銀杏をふまないやうにかはしゆく花柄のシャツの背中が遠い

2012年10月14日日曜日

塔 2012年10月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の10月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2012年10月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 黒ずんだ畳のうえの招き猫 だれもいないのでカメラを向ける  吉川宏志

2 ふくらはぎ削ぐように塗るクリームの、嘘ならばもっと美しく言え  大森静佳

3 髪の奥のUピンの熱 かたかたと鳴る夕闇に花火を待った  大森静佳

4 幾重にも入りくむ高架すりぬけて肩にふり来る水無月のみず  田村龍平

5 蝉時雨ふいに鳴りやむ静寂に放り出されるあおぞらの青  田村龍平

『塔』を毎月読んでいると、1のような「渋い吉川宏志」とたまに出会えて楽しい。まったく気負いのないこなれた表現から繰り出される閑寂な世界観には、ある種の「悟り」のようなものが感じられる。

――上の句の「削ぐ」という語を使用した鋭い身体描写が、読点によってわずかに希釈されて下の句につながることによって、「嘘ならばもっと美しく言え」というフレーズの切れ味が最大限に引き出されている。

――Uピンのミクロな存在感が誇張された後に開けた視界が導入され、また、「かたかた」と云うやや突飛な擬音語が置かれることによって、多様な身体感覚が同時的に感情を生み出す様がリアルに再現されている。

4、5の、「水無月のみず」、「あおぞらの青」という重複表現を敢えて結句に用いる手法は興味深い。

2012年10月13日土曜日

未来 2012年10月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の10月号を読んだ。このブログで結社誌『塔』に試みているものと同様にして、『未来』の秀歌選をつくってしまいたいと思う――と云ったら、一読者が「秀歌選」とは何様であるか、と憤慨される方もおられるだろう。実を云うと――これは『塔』についても云えることだが――私はこのブログに於る秀歌選を、厳密な意味での「秀歌選」ではなく、短歌評に於る一つの形式であると考えている。

『塔』や『未来』に参加している歌人は極めて多く、歌の数も一つの雑誌に載せる歌数としては有りえないほどのものであるが、その一方で、一人一人の歌人の歌数は比較的少ないという傾向がある。さらにそれぞれの歌人の趣向の統一性が少なく、歌の主題が歌人によって大きく異なる。このような雑誌に於て、統一感のある批評を通常の形式で展開することは困難で、それよりはまず印象に残った歌を列挙するスタイルの方が、筆者にとっても読者にとっても好ましいように思える。それ故の「秀歌選」というわけだ。どうか御容赦頂きたい。

『未来』2012年10月号に掲載されているすべての短歌より10首選んだ。掲載順に記す。

1  とびとびに信号の青の見通せる夕映えの路 カラス飛ぶ街  佐伯裕子

2  隣席に赤い金魚の座りいてあなたに影響を与えたい と言う  槌谷淳子

3  血の滲むような赤さに咲きみちるグラジオラスみなこちらを向いて  槌谷淳子

4  正しいと知っているからもういいねこのマシュマロは私がもらう  中込有美

5  胸元にあえかな桃を捧げもち片瀬江ノ島まで目を瞑る  紺乃卓海

6  夏空にうすずみを零してしまう なんだか息苦しい乾きかた  紺乃卓海

7  雲上はきっとパレードめくるめく靴音を地に響かせてゆく  紺乃卓海

8  夏の夜のはだけた胸に陸揚げをされて飛び交うみどりのさかな  紺乃卓海

9  言い訳は残業でいい 予想より美味しい缶のグリーンカレー  小林千恵

10 星に手は届かじ 恨みを込めた目の先に深爪された中指  増金毅彦

1は遠近感のダイナミズムが弾ける力強い作品。

2、3の槌谷淳子の作品の――特に2の「金魚」に於て顕著なように――一般的に赤いものをわざわざ赤いと云うことで表現されるより鮮烈に「赤い」世界観に驚きを覚えた。2の一字空けにはどこかユーモラスな怪奇が滲む。

4、9は、美味しそうな短歌である。

5、6、7、8の紺乃卓海の作品のアイディアと緻密な構成が興味深い。「片瀬江ノ島」、「うすずみ」、「パレード」、「みどりのさかな」のようなユニークな語を中心として展開される世界は、華やかな楽しさに、切なさや、哀しみを織り込んだ多面的な空間として読者の前に立現れる。

10の、これだけ陰惨な表現を並べてなお読者を惹き付ける作者の手腕に驚く。

松尾芭蕉 秀句選11

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第11回は松尾芭蕉(1644~1694)だ。彼は初め貞門、後に談林と諸流の俳諧に学び、晩年の数次に渡る全国行脚の旅によって、にわかに悟りを得て、それまでの過剰な滑稽味と衒学性を旨とする俳諧とは全く異なる芸術としての俳諧を確立した。その超人的な偉業から後代「俳聖」の二つ名で呼ばれ、時代と国境を越えて現代に於ても愛され続けている。『芭蕉俳句集』(岩波書店)所収の982句より30句選んだ。概ね年代順に記す。

1  うかれける人や初瀬の山櫻

2  富士の風や扇にのせて江戸土産みやげ

3  色付いろづくや豆腐におち薄紅葉うすもみぢ

4  雨の日や世間の秋を堺町さかひちやう

5  琵琶行びはかうの夜や三味線の音あられ

6  よくみればなづな花さく垣ねかな

7  花の雲鐘は上野か淺草

8  醉てむなでしこ咲ける石の上

9  京まではまだ半空なかぞらや雪の雲

10 寒けれど二人寢る夜ぞ頼もしき

11 冬の日や馬上に氷る影法師

12 面白し雪にやならん冬の雨

13 箱根こす人もあるらし今朝の雪

14 さま〴〵の事おもひ出す櫻かな

15 このほどを花に礼いふわかれ哉

16 ほろ〳〵と山吹ちるか瀧の音

17 蛸壺たこつぼやはかなき夢を夏の月

18 おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉

19 たびにあきてけふ幾日いくかやら秋の風

20 身にしみて大根からし秋の風

21 留主るすのまにあれたる神の落葉哉

22 春雨やよもぎをのばす草の道

23 月花もなくて酒のむひとり哉

24 入逢いりあひの鐘もきこえず春の暮

25 石のや夏草赤く露暑し

26 島〴〵や千〻ちゞにくだけて夏の海

27 夏草や兵共つはものどもがゆめの跡

28 しづかさや岩にしみいる蝉の聲

29 あか〳〵と日は難面つれなくもあきの風

30 旅にやんで夢は枯野をかけめぐ

芭蕉の俳句の真髄を語るために、「さび」、「しをり」、「細み」、「軽み」、「風雅の誠」、「不易流行」、「高悟帰俗」等の様々な用語が生み出された。しかもそのほとんどがはっきりとした定義をもたない。このことは、芭蕉の句の魅力を言語化することの困難性を示している。一方で、芭蕉の句が、過去のどの俳人のものよりも広く人口に膾炙し、現代に於て芭蕉ファンが日本国内にとどまらず世界各地に存在していることを鑑みると、彼の句の魅力を直感的に感ずることは極めて容易であることもわかる。この記事では、この不思議な芭蕉の魅力について、「風雅の誠」と「軽み」を軸にして考えてみたい。

芭蕉の句には、どこか現実を超越したような高雅な趣がある。この超現実性は、なにも27や30のようなフィクション性の強い作品にのみ存在するものではなく、彼のすべての句に見られるものである。このような彼の俳諧の特質、または彼の作品それ自体を表すものとして、「風雅」という概念がある。

「風雅」については芭蕉自身が『笈の小文』の序に於て、

西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

と語っている。「見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし」――目に見えるもの、心に感ずるものをすべて雅なものに昇華するというのが「風雅」に於る態度であり、「西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり」と彼自身が云うように、このような態度は古来日本の粋人に貫徹するものであった。では、芭蕉の独自性は何処に存するのか。

ここで「誠」という概念が重要になってくる。「誠」については、芭蕉の門人服部土芳が『白さうし』に於て、

夫俳諧といふ事はじまりて、代々利口にのみたはむれ、先達終に誠を知らず。中頃難波の梅翁、自由をふるひて世上に広しといへども、中分いかにしていまだ詞を以てかしこき名也。しかるに亡師芭蕉翁、此道に出て三十余年、俳諧初て実を得たり。師の俳諧は名はむかしの名にしてむかしの俳諧に非ず。誠の俳諧也。

と述べているように、「誠」とは「実」、つまり迫真性のことである。確かに、芭蕉の句には、ある種の写実性というか、素直な人間感情に即した味わいがある。芭蕉の「風雅」は、例えば『古今和歌集』や『新古今和歌集』のような勅撰和歌集の短歌に見られるような、貴族社会に於て高度に発達した美的枠組みに基づく超現実性を基盤とするのではなく、日々の生活に於る自然な人間感情を極度に純化した到達点としての超現実性を志向するのであり、この点に於て、芭蕉の詩は、それまでの『古今和歌集』を頂点とする日本の詩の本道とは一線を画するものとなり、和歌と区別される全く新しい文芸としての俳諧が創始されたのである。「誠」を体現する「風雅」――「風雅の誠」と呼ばれる境地である。

ここで、実際に表される言葉に於て、どうのようにして人間感情の純化ということが行われるのか、ということが問題になる。ここでは、一つのテクニックとしての「軽み」を考えてみたい(本来芭蕉が用いた「軽み」は、句の内容にまで渡る幅広い意味を持つ概念であるが、ここではその一側面を照らし出してみたい)。「軽み」とはなにか。28と30を見てほしい。この両句に於て、「岩にしみ入蝉の聲」と「夢は枯野をかけ廻る」はそれぞれの句の詩的核心を示す非常に密度の高いフレーズであり、初句には、これらの核心的詩情を妨害せず、更に引き立たせる効果が求められる。それぞれ実際の初句は、「旅に病で」、「閑さや」と、軽く状況を付加するものであり、二句目以降の核心を妨げることなく句の世界観の拡張に成功している。この軽重のバランスこそが「軽み」であり、芭蕉の軽みは句によって自在に変化する。14と18を見てほしい。「さま〴〵の事おもひ出す」、「おもしろうてやがてかなしき」、この両句の初めの二句はともすればすかすかな印象を受けるほど軽い。しかし、結句に於てそれぞれ、「櫻」と「鵜舟」が導入されることによって、この軽さは、人間の悲喜こもごも、すべてを映し出す鏡へと変身する。このように、芭蕉の句に於て、軽みは豊かな人間感情の起点として機能する。

芭蕉の句の魅力と云えばまず「わび・さび」という言葉を想起する方も多いだろう。しかし、彼の抒情の本質を貫くのは、「誠」をもとにした「風雅」への強い志向、つまり「風雅の誠」であり、彼はこの理想を実現するテクニックとして、「軽み」を重視した。真の豊かさが軽さの内に表れるというのは、古来の東洋文化に於る思想、方法を吸収発展させて得られた芭蕉一流の卓見であり、わび・さびもまた軽みから生ずる多様な情感の一類型と云えるであろう。

参考文献
(1)三浦俊彦「風雅のパラドクスと芭蕉――「枯野をかけめぐる」ものの考察――」(1989、東京大学比較文学・文化研究会『比較文学・文化論集』第6号)
(2)能勢朝次『芭蕉の俳論』(1948、大八洲出版)

2012年10月8日月曜日

瓦から生えたつる草もみぢする

急に琵琶湖が見たくなって、地図で調べてみたら、北白川から大津までは「志賀越道(京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線)」と呼ばれる山道が最短距離なようで、予想以上に近い。これは良い、ということで、さっそくいつものママチャリに乗って家を出る。出た、が、この山道尋常ならざる傾斜の昇り道が延々と続く。そもそも、明らかに自転車での通行は想定されていなくて、自動車しか通っていない。況んやママチャリをや、である。それでも、死にそうになりながら、琵琶湖まで辿り着いて、辿り着いたのいいけれど、同じ道を戻る体力も気力もない。帰りは、山科経由の迂廻路で帰った。まさに急がば回れである。急がば回れついでにちょっと調べてみたら、「急がば回れ」は、室町時代の連歌師宗長(1448~1532)の、

もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋

という歌が語源らしい。矢橋から船を使って琵琶湖を渡ったほうが速いけれど、比叡山から吹き下ろされる風(比叡おろし)によって危険な航路であるから、瀬田の唐橋を渡った方がいいよ、という意味。

海のやうな湖がある場所にきて釣竿なげる父子をみてゐる
ずいぶんと世界が薄いみづいろの空 地平線 をりかへす波
淡海のとうめいなみづ冷たくて終らない夏の終りを思ふ
瓦から生えたつる草もみぢする 園城寺 秋のはじまりのこゑ

2012年10月7日日曜日

2012年9月

9月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が5首、そうでないものが2首で、計7首。御感想を頂けると嬉しい。

黄金

新宿へむかふ車窓に目をあけてゐるひとと目をとぢてゐるひと

なめらかな尾びれを見せてぬらぬらと睡蓮の間をゆく鯉のみち

島じまを束ねた水上帝国の王たる黄金色の睡蓮

こがね色の稲穂の海に甍舟いらかぶね浮かびあらそふ奈良なつのはて

あをあをと墳丘まろきこの場所からいちばん綺麗な明日香が見える

掌に銀の星宿煌めかせ古墳の谷になびくすすき穂

黄昏の稲穂にともる太陽は青い私の眼を灼くばかり

開放区 第95号

短歌同人誌『開放区』(現代短歌館)の第95号を読んだ。

この『開放区』には、様々な個性の歌が掲載されているけども、敢えて傾向を云うなら、「現実直視」ということが挙げられのではないだろうか。原発詠を中心とした社会詠の占める比率が大きいこともその傾向を示している。短歌に於ける現実直視――これがどうも苦手である。何も『開放区』に限らずとも、結社誌の『塔』でも、総合誌の『短歌研究』でもなんでも良いのだけれど、短歌の雑誌を開いたらそこにはすぐに「現実直視」が顔を出す。いや、現実直視自体に文句を云いたいわけではない。例えば、

我を生みしはこの鳥骸のごときものかさればよれしことに黙す  齋藤史

これなんて現実直視の極みだけれど、定型を無視した、それでいてどこにも淀みがない怒涛の韻律によって、現実の惨たらしさを、なにか別の次元に昇華できていると云えるだろう。それが、今の歌人の現実直視になると、韻律や言葉の遣い方まで、すべて現実そのものというか、無骨な言葉で無骨な内容を無骨に描写して、それでこれこそが現実、人の世に救いなどなし、ということなのかも知れないけれど、読むほうとしては、やたら暗い気分になって、こんなことなら短歌なんて読まなければ良かった、ということになってしまう。現実直視も大いに結構であるけれど、読者が楽しめるような工夫について、現代歌人はもっと考えるべきではないか。

『開放区』の評から離れてしまったようだ。笹谷潤子の連作「記憶」の中の、

郷愁のイングランドよわれにさへ久しき昔とふ時のあり

この一首が心に響いた。遠いイングランドを「郷愁」と規定する作者の精神は、今、どこにあるのだろうか。

2012年10月6日土曜日

酒井抱一 秀句選10

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第10回は酒井抱一(1761~1829)だ。彼は代表作「夏秋草図屏風」、「月に秋草図屏風」(ともに重要文化財)等で知られる江戸時代後期を代表する画家の一人だ。抱一は、名門酒井雅楽頭家の酒井忠仰の子であり、兄は第二代姫路藩主の酒井忠以。元来学問芸術に厚い酒井家の家風のもと、抱一も幼時より画、俳諧、和歌、連歌、国学、書、能、仕舞等の多様な教養を身につける。兄忠以の子で甥の忠道が誕生(1777)し、嫡流から完全に外れた抱一は急速に市井の芸文世界に接近、20代を通じて多様な文人と交流する。この時期の画業としては、歌川豊春(1735~1814)に師事した肉筆浮世絵(当世美人画)が挙げられる。

1787年から始まった松平定信の「寛政の改革」による風紀統制、更には最大の理解者であった兄忠以の死(1790)によって、抱一を取り巻く環境は一変する。抱一は浮世絵美人画からの撤退を余儀なくされ、1797年には半ば強制的な形で出家することになる。そんな彼に新たな刺激をもたらしたのは、尾形光琳(1658~1716)の存在であった。光琳の存在を知り、彼の画風に強い衝撃を覚えた抱一は、人脈を駆使して光琳を中心とした琳派の作品を広く鑑定、模写する等、熱心に研究し、1815年には光琳百回忌を記念して光琳の作品42点を展覧する「尾形光琳居士一百週諱展覧会」を開催、更には日本史上初の個人画集『光琳百図』を刊行、広く光琳の画風の紹介し、また、光琳の後継者としての自らの立場を表明する。

光琳の画風に強く影響され、彼の後継者を自任した抱一であるが、彼の画は、より都会的に洗練された緻密な描写、洒脱な構図等に於て、光琳のそれとは厳格に区別される特徴を有する。特に、種々の花鳥画に彼の独創性は強く発揮され、その集大成としては、一橋治済(十一代将軍徳川家斉の父)の命(1821)によって、尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏に直接描かれた「夏秋草図屏風」が挙げられるだろう。この画は風にそよぐ秋草が風神に、雨に打たれる夏草が雷神に対応するという意匠を持つのであるが、ここに決して派手ではない草花の描写を通して風神雷神に並び立たしめる抱一の驚くべき画力を堪能することができる。

俳諧もまた彼の生涯を通じて探求された芸術であった。画に於ける光琳のように、抱一は宝井其角(1661~1707)に私淑し、古典の教養に裏付けられた難解な句を多く残したが、晩年には平明な句風に移行している。竹の家主人編『西鶴抱一句集』(文芸之日本社)所収の491句より29句選んだ。掲載順に記す(漢字のルビは、読解の便の為、筆者が新たに補った)。

1  よの中は團十郎や今朝の春

2  いく度も清少納言はつがすみ

3  田から田に降ゆく雨の蛙哉

4  錢突ぜについて花に別るゝ出茶屋かな

5  ゆきとのみいろはに櫻ちりぬるを

6  新蕎麥のかけ札早し呼子鳥

7  一幅の春掛ものやまどの富士

8  膝抱いて誰もう月の空ながめ

9  解脱して魔界崩るゝ芥子の花

10 紫陽花や田の字づくしの濡ゆかた

11 すげ笠の紐ゆふぐれや夏祓

12 素麺にわたせる箸や銀河あまのがは

13 星一ッ殘して落る花火かな

14 水田返す初いなづまや鍬の先

15 黒樂の茶碗のかけやいなびかり

16 魚一ッ花野の中の水溜り

17 名月や曇ながらも無提灯

18 先一葉秋に捨たるうちは哉

19 新蕎麥や一とふね秋の湊入り

20 沙魚はぜ釣りや蒼海原の田うへ笠

21 もみぢ折る人や車の醉さまし

22 又もみぢ赤き木間の宮居かな

23 紅葉見やこの頃人もふところ手

24 あゝ欠び唐土迄も秋の暮

25 つばくろの殘りて一羽九月盡くぐわつじん

26 山川のいわなやまめや散もみぢ

27 河豚喰た日はふぐくうた心かな

28 寒菊の葉や山川の魚の鰭

29 此年も狐舞せて越えにけり

2、12のようなあからさまなウケ狙いに走っている句に顕著なように、抱一の句には「重さ」はなく、全体的に「軽い」句風であるといってよい。この「軽み」をもって正岡子規などは『病床六尺』に於て、

抱一はういつの画、濃艶のうえん愛すべしといへども、俳句に至つては拙劣せつれつ見るに堪へず。その濃艶なる画にその拙劣なる句のさんあるに至つては金殿に反古ほご張りの障子を見るが如く釣り合はぬ事甚だし。

と酷評しているが、これは表層的な見解である。「軽み」のもたらす味わいは、5、26のような軽快なリズムにまずはっきりと見て取れるだろう。「軽み」の魅力は更に14、19のような清新な味わいや、11、13、29のようなどこか浪漫的な情趣に拡大される。派手なモティーフも、複雑な構成もなくさまざまな詩情を展開する点は彼の画に通じる部分があるだろう。

また、句を通して、江戸時代の風俗を追体験できるところも魅力の一つだ。1、10、15、21、27のような、あるいは彼のすべての句に、この時代の人々のありさまを、まるで自分もそばにいるかのようにリアルに体感できる。このようなことは、ただ同時代の風俗に言及すれば良いというものではなく、抱一の超時代的に洗練されたセンスによってのみ成り立つものであろう。

画に於ても俳諧に於ても、抱一の芸術の核心は、極めて洗練度の高い美的感性であり、それは古今を問わない多様な芸術家から吸収したアイディアと、彼の天性の才に裏づけられたものであった。高度な技術に支えられた彼の芸術には彼の感性が如実に表現され、時代を越えて私たちに感動を与え続けている。

参考文献
(1)仲町啓子監修『酒井抱一 江戸琳派の粋人(別冊太陽 日本のこころ 177)』(平凡社)

2012年9月28日金曜日

いちばん綺麗な明日香が見える

明日香へ行く。旅に出るときは滞在地の地図を頭に入れないようにしている。明日香では高松塚古墳とかキトラ古墳を見るつもりだったけれど、案の定見当違いの方角へ進む。だがこれで良い。こういう土地の面白さは往々にして観光地よりもリアルな田園に見出せるものだ。この時期の明日香の水田は、一面に実った稲穂が太陽の光を受けて黄金色に光り輝いている。こんもりとふくらんだ小さな丘のすその流れに従うように、田の外郭もまた緩やかなカーブを描き、そしてその外側に広がる田は一段低くなりまた緩やかな曲線を――というように、曲線と階層が機能的に調和した一種の様式美を湛えている。更に目を引くのは、田と田の境界に、びっしりと彼岸花が咲いていることで、一面の黄金に目が覚めるような赤いラインが引かれているありさまは、一個の田んぼファンである私にとっては感涙ものの情景であるが、ここに駄目押しのように、一匹のアキアカネが現れた。赤い。赤蜻蛉というものはこうまで赤いものだったか。繊細な薄い翅にか細い胴体がついている些細な生物であるが、赤い。まごうことなき赤そのものだ。はじめての明日香は、鮮烈な紅であった。

こがね色の稲穂の海に甍舟いらかぶね浮かびあらそふ奈良なつのはて
あをあをと墳丘まろきこの場所からいちばん綺麗な明日香が見える
掌に銀の星宿煌めかせ古墳の谷になびくすすき穂
黄昏の稲穂にともる太陽は青い私の眼を灼くばかり

2012年9月20日木曜日

目をあけてゐるひとと

国立劇場に文楽を見にゆく。文楽を見るのは初めてだけれど、もっと渋いものだと思っていたから、派手な演出に驚いた。「傾城阿波の鳴門」のラストではチャンバラで人形の頭がかち割られてびっくりしたし、「冥途の飛脚」のラストでは雪が降り出して、死出の旅路をゆく男女が寒さに抱き合って小刻みにかたかた震える人形遣いの技にまばたきもできず、拍子木の音の告げる閉幕に、ただ、他の観衆とともに大きな拍手を送るより他になかった。

新宿へむかふ車窓に目をあけてゐるひとと目をとぢてゐるひと

2012年9月16日日曜日

塔 2012年9月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の9月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2012年9月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 サンドイッチのバターの塩気ほど良くてわけのわからぬ涙のにじむ  栗木京子

2 塗り残したところが淡い雲になりそれは若き日いた比叡だ  吉川宏志

3 海鹿島あしかじま駅のベンチの背もたれにさしみしょうゆの看板ありぬ  田村龍平

4 乳色の路面電車がとおざかる立夏 とうふを無造作に切る  田村龍平

5 マタキット、キテクダサイは悪くないひびきだエビチリ甘すぎたけど  相原かろ

1にはわけのわからない抒情がある。2は、作者の若い日の絵という、そのままでは、小恥ずかしく、また読者にとってはかなりどうでもいい事柄を、緻密な描写のあとに置くことによって、瑞々しい感動に転換させている秀作。4は「立夏」と「とうふ」の間に立ち込める得も云えぬ緊張感を楽しみたい。

甘すぎたエビチリ…。

2012年8月

8月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が4首、そうでないものが3首で、計7首。御感想を頂けると嬉しい。

飛行機

夏空をエクスクロスに切り裂いて太陽に近づくツバクラメ

黒髪を濡るるにまかせ霞ゆく糺の森にたたずめるひと
(夕立に髪を濡るるにまかせ行く少女を夏よあまねく奪へ  笹谷潤子『海ひめ山ひめ』)

あなたの空を目指して飛んだ僕たちの飛行機を納める格納庫

南京に朝はおとづれクラクションのけたたましくも鳴り初むる哉

南京の街を歩めば片隅に猫空・咖啡店マオコン・カーフェイディエン招牌ジャオパイ

南京の街を歩めば遠景は霞の奥に霞むビル群

南京の街を歩めば路地裏に干されし服の青・緑・青

2012年9月15日土曜日

南京の街を歩めば

南京で一か月間語学留学する。日本では見られない繁栄と成長の熱気につつまれて、最初はただ物珍しさに目をしばたかせていたけれど、慣れてくると、南京の抒情の核心というものは、表通りから少し奥まった所にある雑多な生活環境にあることがわかった。空間から人の息遣いが聞こえるようで、また、壁やひさしや、干してある洗濯物にカラフルな色合いが見出せて楽しい。ただ、そういう雑多な面白さは写真には残せても歌にすることは難しかった。詩情が身体に沁み込まず、軽く流すように詠むよりほかに策がない。異質でおもしろいのだけれど、異質すぎたのかもしれない。午前に学び、午後に歩くことによって、中国語や街の雰囲気についての理解は日増しに深まったけれど、日本の、京都の北白川の、閑静な町並が偲ばれて、帰国の二週間前はやや力なく、最後の一週間になるとにわかに活気づくありさまであった。最終日、晴れ晴れとした心持で、空港までのバスにゆられながら、南京の市街地を取り囲む明代の城壁に沿うように、早朝の鈍色の雲がうすくたなびき、ちょうど壁のすぐ手前に2羽の鳥が小さく絡み合いながら飛ぶさまを見たとき、一か月の滞在では知ることのできなかった南京の顔がまだ無数に存在することが思われて、少しだけさびしくなった。

南京に朝はおとづれクラクションのけたたましくも鳴り初むる哉
南京の街を歩めば片隅に猫空・咖啡店マオコン・カーフェイディエン招牌ジャオパイ
南京の街を歩めば遠景は霞の奥に霞むビル群
南京の街を歩めば路地裏に干されし服の青・緑・青

2012年8月11日土曜日

塔 2012年8月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の8月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2012年8月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 この世からどこへも行けぬひとといる水族館の床を踏みしめ  大森静佳

2 傘をさすもささぬも自由な新宿の横断歩道を闊歩してゆく  宮崎可奈子

3 一枚の大きなる布なみうたせエイは舞いおり水槽の空  田村龍平

4 鍵のない老父ちちの書斎にかざられし運河の油彩を我は愛する  田村龍平

5 町工場の暗き奥より火花散る火花散る時人影が見ゆ  小坂英輔

1と3は同じ水族館を扱った作品として好対照をなしている。

4は前半の緻密な描写から、結句の直截的な「我は愛する」を滑らかに導入する完成度の高い作品。

2012年8月9日木曜日

2012年7月

7月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が4首、そうでないものが7首で、計11首。御感想を頂けると嬉しい。

ニウス

それぞれの軌道を見せてゆるやかにつばめ散開する町はづれ

雨上がりの腕に小蜘蛛をまとはせてすこしだけ高い空を見てゐた

立葵崩れたままの中庭に青い如雨露をかたむけてゐた

早朝の雨につばめがさらはれた事件のニウスを聴く朝の卓

都はづれに朝はおとづれ山際に鳥の過ぎ去る様を見てゐつ

水分を失ひやすき夏の日に立葵崩れつつ咲き継げり

水分を失ひやすき夏の日は祇園祭の群集の中

あふれだすインクの海をくぐりぬけ夏には白い雲ばかり行く

たかいところひくいところに散らばつた雲をひとひらすくひとるひと

青条揚羽アヲスヂアゲハのさまよふ向きに十字路をはづれてすこしづつ曲がる道

てふてふのまはる向日葵まはるまはるどのめぐりにもひらく花、花。

2012年7月22日日曜日

まはる向日葵まはるまはる

岩倉へ行く。

てふてふのまはる向日葵まはるまはるどのめぐりにもひらく花、花。

2012年7月17日火曜日

あふれだすインクの海を

雲を見る。

雨上がりの腕に小蜘蛛をまとはせてすこしだけ高い空を見てゐた
たかいところひくいところに散らばつた雲をひとひらすくひとるひと
あふれだすインクの海をくぐりぬけ夏には白い雲ばかり行く

2012年7月7日土曜日

残像

山口優夢の第一句集『残像』(角川学芸出版)を読んだ。「優夢」という俳号(後で調べたら本名と判明した)と、「残像」というタイトル、そしておそらくフランスの街並と思われる装丁から、ファンタスティックな作風を想像したのだけれど、開けてみると、本格的かつ斬新な生活詠が中心の句集であった。

「生活詠が中心」とは云ってもこの句集に収められている俳句のバリエーションは実に多彩で、一口で語ることはとてもできそうもない。まず印象に残ったのは、建造物を扱った作品だ。

ビルは更地に更地はビルに白日傘

秋の雨何か解体して瓦礫

日常的には不動の建築物を敢えて解体する不意打ちのような動きを見せたあとに、「白日傘」、「瓦礫」という印象的な語によって静かな余韻をもって結ぶ――「静かな」と云うよりは、まだなにか起こりそうな不安定さを抱えた終わり方と云ったほうが正確かもしれない。また、

坂に沿ひ商店街や冬の鳥

月の出の商店街の桜餠

こういう句もある。当たり前のように第二句に「商店街」を持ってきて、それぞれ「坂」と「鳥」、「月」と「桜餠」で、ごく自然になんでもないかのように囲っているあたりに、彼の底知れぬ力量が感じとれる。こういう表面的には地味な作品にこそ才能が如実に表れるというものだ。

またこのような作品以外にも、感情を瑞々しく取り扱うスタイルが彼の大きな魅力の一つだ。

方恋やのどに灼けつく夏氷

金魚玉語調はげしき手紙来る

泣くときは眼鏡外せり額の花

彼は「あとがき」において「有季定型も花鳥諷詠も関係ない」と明言しているけれど、俳句の基礎を疎かにしているというわけではなくて、この3句で云えば、それぞれ「夏氷」、「金魚玉」、「眼鏡」という「季語的語」を中心として、感情をその周りに展開している。中心が確保されているからこそ、自由な感情を表現しつつ、緊張感を保ち、浮つかない。そして山口優夢の作品においてはこの「季語的語」の選択が絶妙なのだ。

秋雨を見てゐるコインランドリー

自転車の灯りの内も外も雪

口とがらす牛乳パック冬ぬくし

目の中を目薬まはるさくらかな

こういう日常的でユニークな語を扱わせたら他の追随を許さないのではないだろうか。

ここに紹介したのはこの句集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数句引用してこの評を終える。

太陽に追はるる旅や謝肉祭

幾百の留守宅照らす花火かな

珈琲はミルクを拒みきれず冬

2012年7月3日火曜日

海ひめ山ひめ

笹谷潤子の第一歌集『海ひめ山ひめ』(2003、本阿弥書店)を読んだ。この歌集は編年体でI~III章に分けられていて、私の立場からはIII章の作品が特に興味深く感じられた。次の2首を見てほしい。

手のうへの最後のもみぢ愛と呼ぶわりなきものをわれに残して

カフェオレにこごる蜂蜜注ぎたりまたなつかしい人が死ぬから

「もみぢ」、「蜂蜜」はそれぞれ、「愛」、「死」を導入する役目を果たしているが、繋がりは緩やかで、「もみぢ」、「蜂蜜」それ自体が豊かなイメージと独特の「体温」をもっていることに注目したい――彼女の情景描写は温かい。

やはらかしあたたかしとて抱かれし崩るるまへの夕日の熟柿

窓ぎはにさびしきあをき人立つはくもりガラスに映るあぢさゐ

植物に対する観察を一歩進めて、作者が対象に(物理的な意味ではなく)接近することによって、対象の生命が作者の生命に取り込まれ、両者の境界線は薄くなる。ここにおいて「熟柿」も「あぢさゐ」も客観的な対象としての生物ではなく、作者の生命と共振する生命としてより有機的な動きを見せることになる。

また、彼女の作品には生活を扱ったものが多く、例えば、

函館の坂くだりゆくひと張りの帆よ手をつなぐ家族四人は

はなやかに妬心湧き来よけづり出す色えんぴつのとりどりの峰

この午後を十個のミントの飴にしてほんとにさみしい日にだけなめる

血のやうな夕やけ小やけまたあしたかあさんごつこもそろそろ終はる

こういう歌があるのだけれど、自由な発想と言葉の動きの片隅に、どこかローカルな日常性が感じられる。フィクションを用いても何をしてもあくまでも笹谷潤子という個人の歌であって、過剰に一般化しないところが、もしかしたら、彼女の短歌の一番の特徴なのかもしれない。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

夕立に髪を濡るるにまかせ行く少女を夏よあまねく奪へ

まんばうを恋ひて野分の風のなか天にそびゆる水族館アカリウムまで

「かあさんの歌」ぽろぽろと零しつつ赤き車が灯油売りゆく

2012年7月1日日曜日

2012年6月

6月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が8首、そうでないものが9首で、計17首。御感想を頂けると嬉しい。

安眠

紋白蝶あらはれては消え雨模様ここにもあそこにもどこにでも

紋白蝶あらはれては消えどこへでもあらはれては消え 雨 あらはれて

紋白蝶あらはれては消えここにゐてあそこにもゐてどこにもゐない

五重塔重く立ちたり興福寺鳩は翼を黒くなびかせ

崩れ落ちた肌をたたへて遠近をちこちの十二神将黄昏の中

どこまでも瞳は見えない栗色のまなこゆるませねむりゆく鹿

土壁に白く陽は差しうぐひすもほととぎすも鳴く斑鳩の里

黒い蟻が巣からでてくる何事か為して戻つてくる蟻もゐる

連なりて飛ぶ蝶のゆく軒下に紅く咲きたる紫陽花を見つ

青空を背景として電線にとどまる黒い鴉の黒さ

葡萄畑の匂ひ嗅ぎつつまだ青い果実ばかりの夢をみてゐた

紫のふかいあぢさゐすこしだけ青いあぢさゐ紅いあぢさゐ

夢はかたむき瞼はおもく小雨ふる町のかたへに白きあぢさゐ

久しぶりに顔を上げれば雲の上に雲がありまたその上の雲

眠りとは慎ましいもの珈琲を深く飲みほすのちの安眠

ポケツトに切符はないから朝焼けの燃える地上へ向かふほかなく

中庭に木々は群立ち梢から根本まで夏風の領空

2012年6月10日日曜日

どこまでも瞳は見えない

奈良・斑鳩へゆく。斑鳩の法輪寺、法起寺のような、外界と厳格に区画されず、町の連続性のなかにゆるやかに取り込まれた寺院のありさまは、学ぶものとしてではなく、感じられるものとしての「歴史」の側面を示しているように思う。

五重塔重く立ちたり興福寺鳩は翼を黒くなびかせ
崩れ落ちた肌をたたへて遠近をちこちの十二神将黄昏の中
どこまでも瞳は見えない栗色のまなこゆるませねむりゆく鹿
土壁に白く陽は差しうぐひすもほととぎすも鳴く斑鳩の里
黒い蟻が巣からでてくる何事か為して戻つてくる蟻もゐる
連なりて飛ぶ蝶のゆく軒下に紅く咲きたる紫陽花を見つ
青空を背景として電線にとどまる黒い鴉の黒さ
葡萄畑の匂ひ嗅ぎつつまだ青い果実ばかりの夢をみてゐた

2012年6月2日土曜日

開放区 第94号

短歌同人誌『開放区』(現代短歌館)の第94号を読んだ。

94号――短歌の同人誌で94号というのは『京大短歌』が18号、『早稲田短歌』が41号であることを考えれば驚くべき数字であることがわかる。「同人」という不確かな結び付きのもと、これだけ長く歌を残し続けていることに敬意を表したい。

震災詠や、老いを扱った歌が多い中、石川幸雄の連作がおもしろく感じられた。「諷刺訛傳(FUSHI KADEN)」という、過剰にふざけたタイトルが目を引く。

番傘風洋傘開く人といる氷雨の晩はあまねく京都

大阪の女を知れば大阪のことばに焦がれ歌う大阪

東京に雪積もる日は雪平鍋ゆきひらで姉が作りし甘酒を恋う

こういう歌を詠む歌人は珍しい。粋と云うべきなのか、泥臭いと云うべきなのかわからない人間味のある内容や、ある種の「拙さ」を含んで一気に流れ着く文体には、他の歌人にはないものがある。一首目の「傘」、二首目の「大阪」、三首目の「雪」のやや安直な繰り返しも、彼の歌の枠組みにおいては、高度なテクニックを弄するよりもむしろ効果的であると云えよう。

ところで、表紙の「わが歌を漢字一字で表すなら」というコラムが興味深い。今号では田島邦彦が「我」と答えている。曖昧な字を選ばず敢えて「我」を選んだととろに、アイデンティティを重視する彼の短歌観が如実に表れているし、積み上げてきた自らの歌への自負も感じとれる。こういうおもしろい企画を見ると、聞かれもしないのに自分もやってみたくなる。「わが歌を漢字一字で表すなら」、というよりは理想の一つとして、「無」がある。なにも無く、歌が聞こえてくるのをただ待つ。そんなスタイルに憧れているのかも知れない。

2012年5月31日木曜日

2012年5月

5月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が12首、そうでないものが8首で、計20首。御感想を頂けると嬉しい。

保津川

歳月をかさねし夢の白鯨のあめたかく吹く潮の稜線

どこへでもゆけるやうな青空にとろける異郷のガラスの駅舎

こんなところにも紋黄蝶ゐて嵯峨野ゆくわたしと山吹と竹の原

初夏の風にゆられて小麦畑織りなす白きさざ波を見つ

鳥のこゑを聞きわけながらまだなにも植えられてゐない田を歩みをり

保津川のながれにそひて移りゆくみづいろの空ももいろの空

小麦のなかを去りゆく電車 わたくしも先へと進まねばならぬゆゑ

初夏の熱にうなされ薔薇の花フェンスの奥にあらはれては消え

ひとつづつともるまちの灯やまの端はとほくなりゆくほど薄くあり

ところどころに白き松かさ落ちてゐる橅また橅の道を歩めり
(晩夏なりぶなまた橅の旅にあり  堀口星眠『青葉木菟』)

これよりは下り坂なりふみしむる枯枝の音楽しみてゆく

初夏のひかりあふるる山林に 風なり 木々の影うごく見ゆ

山道をくだりくだりてサイレンの鳴り響く村の片隅に出づ

山道をくだりくだりて南天の実れる人家の片隅に出づ

鶯の谷わたる声あとにして降り来る山に別れを告ぐる

初夏のひかりのなかを黒揚羽つつじもとめて我のさきゆく

たかいところ・ひくいところをゆきあへる黒揚羽また逢ふことはなし

枯れてゆくものばかりありひとところ残るつつじに黒揚羽舞ふ

町のなかをゆきあふ流れにしたがひて水面ばかりの場所へ着きたり

なつかしい水田をゆく自転車の車輪はすこし歪んだままで

2012年5月26日土曜日

裏島 離れ島

石川美南の「双子の」第二歌集『裏島』、『離れ島』(ともに2011、本阿弥書店)を読んだ。

この「双子の歌集」というのは明確なコンセプトをもっているようで、この2つの歌集は内容が大きく異なる。『裏島』には、家族五人それぞれの視点で歌を詠んだりとか、特殊な設定をもつ連作が多く、逆に『離れ島』は一首一首に強固な世界観をもった作品を中心に構成されている。これだけ方向性が異なると、読者によって好みがわかれることになる。

例えば東郷雄二は、彼の短歌コラム『橄欖追放』の「第84回 石川美南『裏島』『離れ島』」という記事において、

石川は基本的には一首ごとに異世界を立ち上げる。それは外部との回路を断たれた孤島である。異世界を訪れる人は、しばらくその世界を歩き回って基本的特性を会得しなくては、その世界を味わうことができない。しかるに石川の歌では一首で世界が終了してしまうので、なかなかその世界に没入することができないのだ。その結果、読者は灯しては消すマッチポンプのような作業を強いられることになる。

短歌は31音節の短い詩型なので、単独で異世界を立ち上げるには短すぎる。世界が成立するめには外部からの支えがなくてはならない。古典和歌の支えは共同性に基づく美の抽象空間であり、近代短歌の支えはリアリズムに基づく〈私〉である。

では異世界の持続時間を引き延ばし、短歌詩型の支えとして機能させるにはどうすればよいかというと、すぐに思いつくのが連作である。そして実際に石川は連作において、その実力を遺憾なく発揮しているように思える。

と、古典性や近代性の支えをもたない石川の短歌を単独で味わうことの困難性を指摘し、彼女の歌における「支え」は「連作」であると規定した上で、

このような理由で私は単発作品が中心の『離れ島』よりも、連作で構成された『裏島』の方を興味深く読んだ。そして、巻を閉じてあらためて、石川の真骨頂は物語性に富む連作にありとの感想を持ったのである。

と結んでいる。しかし、私は一首一首の個性がソリッドに際立っている『離れ島』の作品の方が好きで、むしろ『裏島』の作中主体を連作ごとに変更したりとか、そういうテクニカルな設定は、一首で十分に作品の世界観を表現できる彼女の力量を考えれば余計なものに感じられた。つまり、東郷氏にとっては『離れ島』だけでは物足りなく、私にとっては『裏島』だけでは物足りないわけだけれど、実際には2冊あるから大丈夫、というわけだ。

東郷氏のようなタイプの読者も私のようなタイプの読者も満足させる石川の懐の深さは、なにも歌集を2冊にわけたところにのみ存在しているわけではない。次の2首を見てほしい。

終点と思へば始点 渡り鳥が組み上げてゆく夏の駅舎は

ビリヤードはたのしい遊び 国原を色とりどりの季語飛び散れり

どちらも色彩豊かな、日常から連続した緩やかなフィクションが心地よい作品だが、題材である「駅舎」と「ビリヤード」へのアプローチは大きく異なる。

二首目はビリヤードのテーブルを「国原」、球を「季語」に喩えている。「国原」も「季語」も極めて日本的な、日常からはかけ離れた語で、これらの語を「ビリヤード」の比喩に用いるのは特殊な修辞なのだけれど、結果的に「ビリヤード」の魅力を極限まで引き出すことに成功している。それに対して一首目は、「渡り鳥」、「夏」、「駅舎」というもともと親和性の強い3つの語を並列し、「組み上げてゆく」というさらに親和性を高める表現で繋ぐことによって、「駅舎」の魅力を最大限に引き出している。このように石川美南は題材の性質によって、正面から切り込んだり、トリッキーに意味を転換させたりと変幻自在なレトリックを駆使していて、この彼女の力量が結果的に驚くほど多彩な内容を歌に詠み込ませることを可能にしている。

手に取つてご覧ください内海の部分には触れないでください

風といふ風受け止めてゐるうちに助詞・助動詞を知り尽くす木々

千代田区は雲ひとつなく明後日のあなたの晩ごはんを知らない

引き出しの取つ手とれたる真昼間のどこにも隠れられぬゆゑ 鬼

「内海」、「助詞・助動詞」、「千代田区」、「鬼」――魅力的だけれどもそうそう詩にはなってくれない言葉が彼女の手によって軽やかに歌となっていく。

ここでは紹介しきれないけれど、このような題材の「幅」と合わせて、現実と虚構との距離感とか、作中主体のリアルな存在や意志が感じられたり感じられなかったりとか、多様な観点でこの歌集は「幅」を持っていて、読者はその幅のある世界の中で、お気に入りの「島」を心置きなく捜すことができるのではないだろうか。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

白・黒・白・黒・みどり・黒 ひらめきは横断歩道渡る途中で

永遠に学生でゐる悪夢にて真夏、中庭の芝刈つてゐる

噛めば月のまばたきに似た音のするアルミニウムの硬貨を愛す

すこし歪んだままで

田植えは終わりかけていた。

町のなかをゆきあふ流れにしたがひて水面ばかりの場所へ着きたり
なつかしい水田をゆく自転車の車輪はすこし歪んだままで

2012年5月21日月曜日

くだりくだりて

保津峡より愛宕山に登る。

これよりは下り坂なりふみしむる枯枝の音楽しみてゆく
初夏のひかりあふるる山林に 風なり 木々の影うごく見ゆ
山道をくだりくだりてサイレンの鳴り響く村の片隅に出づ
山道をくだりくだりて南天の実れる人家の片隅に出づ
鶯の谷わたる声あとにして降り来る山に別れを告ぐる
初夏のひかりのなかを黒揚羽つつじもとめて我のさきゆく
たかいところ・ひくいところをゆきあへる黒揚羽また逢ふことはなし

2012年5月20日日曜日

あらはれては消え

薔薇が咲いている。

初夏の熱にうなされ薔薇の花フェンスの奥にあらはれては消え

2012年5月5日土曜日

聞きわけながら

亀岡へゆく。亀岡市は京都市の西隣の市で、京都中心部の整然と区画された街並とはうってかわり、美しい田園が広がっている。こんなにいいところに来たのは久しぶりだ。確かに京都の寺社は素晴らしい。これまでに訪れた銀閣寺、青蓮院、天龍寺はいずれも、非の打ちどころのない庭園を有していた。さまざまな植物を寸分の隙もなく配置する造園技術には、平安以来の京都の重厚な伝統を感じずにはいられない。いられないが、どのように優れた庭園も、自然の美において、一枚の水田に勝ることはできないのだと思う。

鳥のこゑを聞きわけながらまだなにも植ゑられてゐない田を歩みをり

嵯峨野ゆく

嵯峨へゆく。

こんなところにも紋黄蝶ゐて嵯峨野ゆくわたしと山吹と竹の原

2012年5月2日水曜日

本郷短歌 創刊号

『本郷短歌』(東京大学本郷短歌会)の創刊号を読んだ。

上の表紙の写真を見て頂ければわかると思うが、この雑誌、非常に渋いフォントとレイアウトで構成されている。p.26の「座談会 作歌の原点、現在地」というコラムの題字は巨大な「ヒラギノ角ゴシック体」で書かれていて、60年代の学生闘争が再来しそうな気配がある。短歌もまた重厚で読み応えのある作品が多く、エキセントリックな早稲田短歌会とは良い意味で対照的な存在だと思った。なかでも、

どつぷりと紅茶にレモン片 人に言へざる夢を見てしまひたり  安田百合絵

この一首は興味深い。「どつぷりと」という大胆な初句で口火を切り、「レモン片」の「片」を第三句にはみ出させることによってレモン片の重量感を存分にアピールして、そのあとに本題をつなげる個性的なスタイルの短歌だ。「どつぷり」の促音の「つ」を旧仮名で表記しているのも効いていると思う。

ところで、この本郷短歌の創刊号についてひとつ気になることがある。小原奈実の短歌がない、ということだ。小原奈実氏は本郷短歌会に所属する若い歌人で、私は彼女の存在を2011年4月5日の「朝日新聞(夕刊)」に掲載されていた「刃と葉脈」という連作で知った。そこには、

わが今日を忘れむ我かとりあへず鈍色のダウンコートなど着て

白梅の八重ゆるみゆくまひるまにゆるみあまりしひとひらの落つ

というような歌があったのだけれども、この2首には驚愕した。

まず、一首目についてだが、第二句までは静かでテンポのいい言葉でリズムをつくって、第三句で突然「とりあへず」などという投げやりな語をもってきて流れを転じ、ここで「鈍色のダウコート」という異常に渋いアイテムを持ち出してくる。そして最後の「など着て」――この4音が最も恐ろしい。この気韻のある締めによって読者は幽玄の世界へと旅立ち、閑寂な趣に心を遊ばせることになる。その別天地への起点が「ダウンコート」という日常的な存在であることも興味深い。

二首目は雅な歌だ。現代短歌を雅だなどというのはともすれば皮肉のように聞こえるかもしれないが、この歌についてはそんなことはない。現実の白梅に於てこのような情景を観測することは不可能のように思えるが、小原奈実の短歌の中にはリアリティーをもって存在している。なにか藤原定家の短歌に見られるような夢幻性を現代的にシャープにアレンジしたような、クラシカルな香りのする新しさを感じる。また、この歌に於ても締めの「落つ」が極めて上質であることにも注目したい。

記念すべき本郷短歌の創刊号で、短歌史に新たな足跡を残すであろう小原奈実の作品に立ち会えなかったことは残念と云うより他ない。

2012年4月30日月曜日

2012年4月

4月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が4首、そうでないものが17首で、計21首。御感想を頂けると嬉しい。

残照

緑色の世界をみてゐた虫の眼に燃えるグラジオラスの残照
(靉光「グラジオラス」)

もつとたかいところへゆけたら空のやうに僕たちもまた青い存在
(天之蒼蒼其正色邪、其遠而無所至極邪 、其視下也、亦若是則已矣  荘周『荘子』)

木の肌と同じ色もてあをによし奈良の小鹿のたたずまひ見ゆ

紅白のはちす花咲く東大寺襖の内に風わたりける
(小泉淳作「蓮池」)

ともしびを順にならべて東大寺鹿はいづこの宿に眠れる

あたたかい朝もあるから自転車の空気を入れて並木道ゆく

桃色のしだれ桜をかたはらに平等院の春風は吹く

薄日さすもみぢの青さたしかめて桜ちりしく宇治の道ゆく

はなびらと見まがふほどに紋黄蝶さくら舞ひふる鴨川にとぶ

自転車の骨組みゆるく解体し春の風うつ両翼となる

ひともとの楽園 熊蜂くまんばちが来て白詰草の先にとまれり

おもたくて――柔くたわめる茎を持ち白詰草に熊蜂垂るる

オレンジ色の層をにじませ暮れてゆく町のあはひに漕ぎ出づる舟

春雨の降る音がする 菜の花の黄色は届かない場所にあり

春雨の降る音がする 楠を順にめぐつて匂ひ立つ朝

春秋をかさねて青き楠の葉のちりゆくものとちりゆかぬものと

もみぢせる葉影ちりゆく楠に残れる若き青き葉を見る

鉄のドアの前にたたずみ色もなく暮れゆく町の蝙蝠を見る

ドアノブは冷たくふれて色もなく暮れゆく空に蝙蝠が飛ぶ

薄翅に白く陽のさす常磐木の葉影ふるなへさまよへる蝶

松かさはすてられずありかごとともに、わたしとともに初夏の町ゆく

2012年4月29日日曜日

初夏の町

青蓮院へゆく。庭の完成度が素晴らしかった。

松かさはすてられずありかごとともに、わたしとともに初夏の町ゆく

2012年4月16日月曜日

早稲田短歌四十一号

『早稲田短歌四十一号』(早稲田短歌会)を読んだ。

この雑誌には多くの歌人が参加していたが、皆個性的なスタイルで奇抜な作品が目立った。この雑誌に載っているようなどこか若々しく攻撃的で、情念の濃い作品が最近のトレンドなのかもしれないが、私にはどうも、なにか爆発的な感情は読みとれるのだけれどもそれ以上の感情移入ができない作品が多かった。時代に取り残されたような淋しい心持ちがする。ただ、

祖父の記憶は雪に近づきわたくしはピエロの顔をしたゆきだるま  田口綾子

新しい国になりたいならおいで電気はつけっぱなしでいいよ  平岡直子

おっぱいのせいで内面的なものがうまれくる ここ ここにも皮膚が  山中千瀬

この3首はすごく面白いと思った。特に一首目の田口綾子氏に私はある思い入れがある。

2009年7月18日の「朝日新聞(夕刊)」に田口綾子の連作「風上に立つ」が掲載されていた。そこには、

飲みものを迷へるひとの財布から多少はみ出てゐる図書カード

胡椒挽きのもつつややかな曲面に君の煙草の歪むを見たり

傘を差す君の腕には君の血が流るることから目を逸らしたり

坂ひとつ越えて梅雨明け 背骨まであかるく君の風上に立つ

のような作品があったのだけれども、私はこれらの作品を見て無性に自分も短歌を詠んでみたくなった。それ以前は短歌に興味はあっても自分で詠んでみようという発想はなかった。このときに詠んだ数首の短歌はあまりにもできが悪く、私が本格的に短歌を始めるのは2010年の12月となるが、もし田口綾子氏の歌を見ていなければ短歌を始めることはなかったかもしれない。

確かな観察眼に裏付けされた情景描写に、現代的な感慨を巧みに乗せる手法には彼女の高い技量を窺わせるが、それだけではない。どこか洗練され切らない素朴な旋律が読むものの心を打つのだ。現代において特別な価値を持つ歌人の一人だと思う。

2012年4月9日月曜日

ともしびを

今年の1月に亡くなった小泉淳作氏の襖絵が東大寺で特別に公開されていた。極めて精緻なタッチが見るものを驚嘆させていたが、その一方でしだれ桜の花びらや浮かぶ月は単純な星形や塗りつぶした円で描かれていることがおもしろく感じられた。

木の肌と同じ色もてあをによし奈良の小鹿のたたずまひ見ゆ
紅白のはちす花咲く東大寺襖の内に風わたりける
(小泉淳作「蓮池」)
ともしびを順にならべて東大寺鹿はいづこの宿に眠れる

2012年4月5日木曜日

2012年3月

3月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が5首、そうでないものが2首で、計7首。御感想を頂けると嬉しい。

あさみどり苔しく幹にてのひらをかさねて遠き沢の音をきく
(はかなしやわが身の果てよあさみどり野辺にたなびく霞と思へば  小野小町『新古今和歌集』)

雲の色をたしかめたくて 水平線ホライズン 大きな海のはじまりに着く

蟹の爪ひからびてゐる海岸に薄墨色の雲を数ふる

灰色の世界が変はる海の辺にあまねく光ゆきわたるとき

あたたかき風に誘はれ軍艦のただよふ春の横須賀に来ぬ

鈍い青たたへて朝の浜名湖は僕らの高速道路フリーウェイを見てゐた

紋黄蝶とんでゐる場所 あたらしき部屋に来りて庭を眺むる

2012年3月27日火曜日

春の横須賀に来ぬ

横須賀へ行く。

あたたかき風に誘はれ軍艦のただよふ春の横須賀に来ぬ

2012年3月22日木曜日

『新古今和歌集』秀歌選

『新古今和歌集』の秀歌選をつくりたい。新古今集は後に承久の乱を起こし隠岐に流される後鳥羽上皇が、源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経、寂蓮の6人の当代随一の歌人を撰者に起用し、更に自ら編集を指導することによって完成した第八代勅撰和歌集だ。平安末期の乱世において、新古今集は古今集に「新」がついたその名が示す通り、古き良き時代への回帰を志向して編まれた。その懐古の情と平安末期の高度に発達した表現技法が結びつき、新古今集は特有な幻想美を後世まで称揚されることになる。新古今集には、撰者や後鳥羽院の他にも、西行、式子内親王、慈円、俊恵、鴨長明のような個性的な歌人が割拠し、さらには柿本人麻呂、和泉式部、紀貫之のような過去の傑出した歌人の歌も多く収載され、まさに「古典短歌のオールスター」とでもいうべき様相を呈している。『新古今和歌集』(角川学芸出版)を参考に、全1995首より11首選んだ。掲載順に記す。

1  岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔のした水道求むらむ  西行

2  降りつみし高嶺のみ雪とけにけり清滝川の水の白波  西行

3  春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空  藤原定家

4  大空は梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月  藤原定家

5  つくづくと春のながめのさびしきはしのぶに伝ふ軒の玉水  行慶

6  うちなびき春は来にけり青柳の影ふむ道に人のやすらふ  藤原高遠

7  暮れてゆく春のみなとは知らねども霞に落つる宇治の柴舟  寂蓮

8  たまぼこの道行き人のことつても絶えてほどふるさみだれの空  藤原定家

9  有明は思ひであれや横雲のただよはれつるしののめの空  西行

10 雲かかる遠山畑の秋されば思ひやるだにかなしきものを  西行

11 神風や玉串の葉をとりかざし内外うちとの宮に君をこそ祈れ  俊恵

5の「ながめ」には「長雨」と「眺め」が、8の「ふる」には「旧る」と「降る」が掛けられているので注意してほしい。

さて、個性的な歌人の揃う新古今集ではあるが、その中でも藤原定家の存在はやはり特別と言えるだろう。彼は当時の短歌の水準から考えれば(あるいは今の水準で考えても)、超前衛歌人とでもいうべき人物で、極めて実験的で創造性にあふれた作品を多く残している。彼の特徴として、現実性や写実性を無視して、純粋な言葉のイメージそのものを組み合せて詩を創造することが挙げられるが、その特徴を上に挙げた3と4で見てゆきたい。

まず、3についてだが、歌意は一般的に、春の夜の夢が醒めて横雲が峰に別れている――そして「別るる」に人間関係の別れが暗示される――と解釈されるが、この歌は最初から一貫して視覚的イメージで構成されていることに注目したい。この一貫性のため、実際には上の句は夢の描写で、下の句は現実の描写というように二極的にこの歌を捉えることはできず、さらに下の句の幻想的な情景も相俟って下の句も夢の中のように感じられたり、逆に上の句まで現実であるように感じられたりもする。

4は梅の匂いで空が霞み、かといって曇り切るわけでもなく春の夜の月が出ている、という内容であるが、この歌は崖の上で綱渡りをするような危うさに満ちている。まず、「大空は」という臭い初句からしてかなり危険だ。そしてその直後に梅の匂いで空が霞むという現実的にはありえない描写を持ってきて、さらにその霞は曇り切っているわけではなく、春の夜の月が見えるというわけだ。「大空が霞む」と言われて誰が夜を想定するだろうか、そして「霞んでいるが曇り切ってはいない」とはどういうことだろうか。近代的な理性でこの歌を把握することは難しい。しかし、この歌を普通に読めばまさに梅の香が歌全体が立ち昇ってくるような妖艶な趣を感じ取ることができるし、情景を不自然に思うこともない。

また、3には

風吹けば峰に別るる白雲の絶えてつれなき君が心か  壬生忠岑

4には

照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき  大江千里

という本歌が存在している。定家は熱心に過去の短歌を研究し、先人の卓越した構想と自らの自由な創造性を結び付けることによって全く新しいスタイルの短歌を生み出すことに成功したのだ。

ここまで定家のことばかり書いてきたが、西行の2における清新でキレのある趣、10におけるノスタルジックな抒情性、あるいは寂連が7において「宇治の柴舟」を象徴的に用いることによって、歌に幽玄な味わいを持たせていることなどには、これまでの短歌にはなかった新しさを感じる。

新古今集にはこのような新しさが溢れていて、その新しさは古びることなく今でも新しいままこの歌集に存在している。

2012年3月19日月曜日

水平線ホライズン

海まで来てしまった。

雲の色をたしかめたくて 水平線ホライズン 大きな海のはじまりに着く
蟹の爪ひからびてゐる海岸に薄墨色の雲を数ふる
灰色の世界が変はる海の辺にあまねく光ゆきわたるとき

2012年3月12日月曜日

あさみどり

丹沢へ行く。梅が咲きはじめていた。

あさみどり苔しく幹にてのひらをかさねて遠き沢の音をきく
(はかなしやわが身の果てよあさみどり野辺にたなびく霞と思へば  小野小町『新古今和歌集』)

2012年3月6日火曜日

正岡子規 秀句選9

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第9回は正岡子規(1867~1902)だ。彼は江戸時代以来類型化した俳諧の発句を「月並」として批判し、近代文学としての「俳句」を創始した人物だ。彼は短歌においても「古今和歌集」を理想として単調化した当時の短歌を批判し、同様の革新運動を試みた。このように、既存の流派や師弟関係を嫌った子規ではあったが、俳句においては「ホトトギス派」、短歌においては「アララギ派」という、彼の流れを汲む流派が生まれ、ホトトギス派は高浜虚子の提唱した「花鳥諷詠」という概念によって、アララギ派は「万葉調」や「客観写生」に固執したことによって徐々に類型化し、次第にかつての「月並」と変わらない様相を呈するようになった。今や子規は代表句とされる、

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

と司馬遼太郎の「坂の上の雲」の登場人物としてわずかに知られるのみだ。しかし、彼の「代表句」も「坂の上の雲」も子規本来の魅力を表しているとは言い難い。ここに、彼の句が本来持つ生きた魅力を少しでも再現できれば幸いだ。高浜虚子編『子規句集』(岩波書店)所収の2306句より26句選んだ。概ね年代順に記す。

1  梅雨晴やところ〴〵に蟻の道

2  赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり

3  冬ざれや稲荷の茶屋の油揚

4  吹きたまる落葉や町の行き止まり

5  六月を綺麗な風の吹くことよ

6  冬ごもり世間の音を聞いて居る

7  つらなりていくつも丸し雪の岡

8  帰り咲く八重の桜や法隆寺

9  朝顔の一輪咲きし熱さかな

10 葉桜はつまらぬものよ隅田川

11 行く年を母すこやかに我病めり

12 南天に雪吹きつけて雀鳴く

13 いくたびも雪の深さを尋ねけり

14 障子明けよ上野の雪を一目見ん

15 日あたりのよき部屋一つ冬籠

16 鷄頭の黒きにそゝぐ時雨かな

17 林檎くふて牡丹の前に死なん哉

18 鷄頭の皆倒れたる野分哉

19 春寒き寒暖計や水仙花

20 薫風や千山の緑寺一つ

21 仏壇も火燵もあるや四畳半

22 けしの花大きな蝶のとまりけり

23 母と二人いもうとを待つ夜寒かな

24 梅雨晴や蜩鳴くと書く日記

25 薔薇を剪る鋏刀の音や五月晴

26 黒きまでに紫深き葡萄かな

まず、2、8、9、12を見てほしい。明治の新しい風を感じるような清々しい趣があり、また、しっかりと造り込まれた、堅実な句風からは、子規の実力を読み取ることができる。ただ、これらの句だけでは子規の魅力を語り尽くすことはできない。

晩年に近づくにつれて、だんだんと句の内容が簡単になってくることに注目してほしい。例えば、22はけしの花に大きな蝶がとまっているという、ただそれだけの描写で、けしの花についての直接的な修飾は一切ないが、けしの花が実に生々しく、量感豊かに、眼前に迫るように感じられる。この場合、「大きな蝶」が「けしの花」の魅力を最大限に引き出す「ツボ」となっていて、16、25、26においても同様に最低限の描写で、それぞれ「鶏頭」、「薔薇」、「葡萄」の持ち味を最大限に引き出している。

そしてこの端的な味わいのさらに一歩先をゆく作品として13がある。ここでは、ただ何回も雪の深さを尋ねたというだけで、外の景色については描写そのものが存在しないが、この句を読めば外の雪景色の様子がありありと浮かぶのではないだろうか。また、描写がないのだから、その雪景色は実際に子規の外にある雪景色と同じであるはずがない。読者ひとりひとりの心の原風景としての雪景色なのだ。そしてそのイメージを引き出したのは、何回も雪の深さを尋ねた、子規の自然に対する大きな憧れに他ならない。子規はこの句や17にあるように、自然に対して盲目的とも言える強い憧れを抱いていた。また、11にあるように彼は結核を患い、死に至るまでの約7年間を病床で過ごした。日々の生活の中で常に死に肉薄していた子規は、死の本質である無の境地を体得し、そしてその無をもって、自然、すなわち生を如実に表現できることに気づいたのではないだろうか。つまり、対象そのものを修飾するのではなく、余白で描写するということである。ここにおいて子規の句は、読者個々人の心にある本物の自然、本物の感動を引き出し、純粋な憧れの世界へと私たちをいざなうことになる。

2012年3月1日木曜日

与謝蕪村 秀句選8

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第8回は与謝蕪村(1716~1784)だ。彼の句は当初松尾芭蕉の陰に隠れてあまり認知されていなかったが、正岡子規によって再発見され、芭蕉と並ぶ「俳聖」として広く認識されるようになり、また、萩原朔太郎は、「郷愁の詩人 与謝蕪村」において、蕪村の句に近代的な抒情性があることを説き、蕪村には「日本最古のロマン派詩人」とでも言うべき魅力が隠されていることが示された。『蕪村俳句集』(岩波書店)所収の自選1463句より21句選んだ。掲載順に記す。

1  鶯の声遠き日も暮にけり

2  春水や四条五条の橋の下

3  はるさめや暮なんとしてけふも有

4  春雨やものがたりゆく簑と傘

5  春の海終日ひねもすのたり〳〵哉

6  雛祭る都はづれや桃の月

7  さくらより桃にしたしき小家こいへ

8  几巾いかのぼりきのふの空のありどころ

9  うつむけに春うちあけて藤の花

10 菜の花や月は東に日は西に

11 ちりてのちおもかげにたつぼたん哉

12 蚊屋を出て奈良を立ゆく若葉哉

13 さみだれや大河を前に家二軒

14 雷に小家こやは焼れて瓜の花

15 あま酒の地獄もちかし箱根山

16 名月やうさぎのわたる諏訪の海

17 父母のことのみおもふ秋のくれ

18 かなしさや釣の糸ふくあきの風

19 初冬や日和になりし京はづれ

20 狐火や髑髏に雨のたまる夜に

21 既に得し鯨や逃て月ひとり

蕪村の句は、一読してその色彩の豊かさと抒情の深さにほれぼれとするのだが、よく読んでみるとかなり不思議な構造を持っていることがわかる。

まず、彼の代表句として高名な5を見てほしい。この句は、春の海ののどかな情景として楽しめるが、もうちょっと踏み込んで読むと、「のたり〳〵」が「終日」と指定されているのはかなり特殊な状況で、これをリアルに表すと「春の海のたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたり――」という風になって気が狂いそうだ。しかし、実際にはこのような奇怪な印象は受けない。蕪村の句においては、このような作品の背後にある「違和感」がむしろ詩的な感動を増幅させていると云えるだろう。

そのような「違和感」の例として異常なまでの「小ささ」への志向がある。例えば13においては、最初に五月雨に増水する大河を持ち出して、「前に」と近いことを強調してから「家二軒」と結ぶ。大河を前にした家というのはあまりにもはかなく小さい存在であるが、さらに「二軒」というのはこれがまた頼りなく小さい――一軒ならば逆に開き直った強さがあるというものだ。また6においては、雛といういかにも小さいものを語るのにわざわざ都という大きなものを持ち出して対比させており、しかも「はづれ」と指定することによって、都から都はづれ、そしてその中の一軒、最後に雛、というように段階的に小さくなっていく様子がイメージできるように表現されている。そしてその小ささの中に「桃の月」である。ここで月は現実の巨大な衛星としてではなく、まるで小さな飴玉のような――美味しく頂けそうな――ものとして提示される。これだけ小さければ私たちの心にも素直におさまる。そして重要なのは、月が小さくなると、その下の都もまるでミニチュアのように小さくなるということで、そういう風に把握していくと、今度は逆に最初の雛が大きく感じられるような、あべこべなおもしろさもある。

また、時間の表現にも蕪村独特のものがある。11はそのわかりやすい例だが、さらに8を見ると不思議な気持ちになる。「きのふの空のありどころ」とは一体なんだろうか。昨日見た同じ場所の空に今日凧が上がっている、と句意は解釈できるが、「きのふの空」というかなり曖昧な、とても「実体」とは言えない存在に「ありどころ」を想定する表現は異常で、よく読むと不可解な心理状態に陥ってしまう。しかし、そこに存在する凧だけは確かなのだ。昨日という過去への淡い幻想の中に今日という確かな凧が上がっているのだ。

このように蕪村は、ものの大きさや時間その他の概念を自在に変化させて読者の琴線を鳴らす高度なテクニックを有していたことがわかる。しかし、彼が本当に「テクニック」を駆使してこれらの句を詠んだのかは疑わしい。というのも、蕪村の句には狙ったわざとらしさがない。自然体であり、だからこそ今も多くの人に愛される。彼はそういう意味では本物の天才なのかもしれない。

2012年2月26日日曜日

2011年6月、8月、9月 2012年1月、2月

去年の6月、8月、9月、今年の1月と2月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が2首、そうでないものが13首で、計15首。御感想を頂けると嬉しい。

地平

蒼鷺の澄めるまなこは水田に映るアパートなど気にもせず

アヲサギハウゴカズ 動く私もしばらくは蒼い身体を見つめてゐよう

純色の構造物と水田に囲まれて雨後の富山市に立つ

一二三四五六七八九鴉ばかりの水田である

夏風は田の面をゆらし、いつからか波のかたちは変はらぬままで

簡単な人でありたい薄い雲ばかり行き交ふ夏空のもと
(かんたんなものでありたい 朽ちるとき首がかたんとはずれるような  佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』)

大きさがわからないから 雨をもつ雲と雨をもたない僕と

この町の駅舎えきのライトに照らされてひとりにひとつづつ影はある

暮れてゆく街並はあり少しづつ紅き地平へ向かふ雲見ゆ

墜落のかたちをなしてひとすぢの雲が裂きゆく天空を見る

踏切の鳴る音がする冬空にまだ青い街の色を見てゐた
(うつくしい牛の眼をして運命がまだやわらかいぼくを見ていた  佐藤弓生『薄い街』)

駅の上を鳥が飛んでゆく 僕たちはまだ青い街の色を見てゐた

逆光のなかにある街 清水の舞台の傾斜たしかめながら

水中のあしをわづかにはためかせ鴨は水面に静止してゐた

円形の波紋をラインにならべつつ鴨が水面に描く幾何模様