今年も山吹の花が見られる季節になった。心を開けば、植物はまだ言葉を与えてくれる。
山吹の花びらがゆらめいてゐて風は風としてそれはそれとして
すっかり春だ。道端にたんぽぽがたくさん咲いている場所があって、綿毛のついている茎と花のついている茎が同時に存在しているのが面白く感じられたのだけれど、よく見るとやや違和感があって、というのも、どれも綿毛が高い位置についていて花は低い位置についている。花のついていた同じ茎に綿毛がついているはずだから、これはどういうことだろうと気になったのだけれど、軽く調べたところでは、タンポポは花がしぼんでから綿毛をつけるまでの間に茎が伸びるとか。どういう機構で起きていることなのか詳しい人に聞いてみたいと思うのだけれど、植物に詳しい知り合いがいない。
木々の葉の影こまやかに映し込み疎水に春の声が聞こえる
綿毛の塔に風やはらかく吹き込んで崩れ去るにはまだ早いから
かなへびの舌ちろちろと春の陽にややあたたかい敷石をゆく
傾いた太陽の色に山吹の花々のかさなつてゆくころ
滋賀県立近代美術館へ、志村ふくみの紬織を中心とした日本美術の企画展「装いとしつらえの四季――志村ふくみの染織と日本画・工芸名品選――」を見に行って来た。
もともとこの企画展が目当てで、常設展はおまけ程度の気持ちで企画展を見る前にさっと見てしまおうと思ったのだが、常設展の一室は小倉遊亀のコレクションとなっていて驚いた。彼女は大津出身らしい。知らなかった。特に後期の作品が充実している展示であった。小倉遊亀については、画集等で見た『首夏』のような初期の作品に見られる独特な透明感のある描写が印象的であったが、生で見るとそれよりも、後期にかけてどんどん無骨になってゆくフォルムからほとばしる生命感の躍動により強い魅力を感じた。
常設展で小倉遊亀の不意打ちにあって、すでに十分に堪能してしまったのだが、企画展もまた、素晴らしい内容だった。春夏秋冬の季節ごとに作品が振り分けられて、春から順に楽しむことができるような展示形式になっている。展示内容は、志村ふくみの紬織と清水卯一の陶芸を中心として、その間に日本画や、杉田静山の竹細工まで展示され、日本美術を複合的に堪能できるような構成となっている。
なによりも圧巻だったのは、やはり志村ふくみによる染織作品であった。彼女の作品は桜・梅・藍のような植物から得られた染料によって染め上げられているらしいのだが、その繊細かつ艶やかな発色はまさに人の為せるものではなく、あまりの美しさに良く目を凝らしてその色彩を理解しようとするのであるが、その色の機微に視覚の解析能力が追いつかない。今日帰りに買った彼女の著書『色を奏でる』(筑摩書房)には、
ある人が、こういう色を染めたいと思って、この草木とこの草木をかけ合せてみたが、その色にならなかった、本にかいてあるとおりにしたのに、という。
私は順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色を私たちはいただくのであるから。どんな色が出るか、それは草木まかせである。ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずにこちら側に宿すのである。
ということが書いてあった。彼女のこの世のものとは思えないほど美しい染織は、高度な技術に基づくだけではなく、自然の色をただ「こちら側」に移すという謙虚な姿勢によるものだった。自然の美は人の為せるものではない。私たちにできるのはただその流れを受け止めて、ある表現形式へと流し込むことだけである。技量には雲泥の差があるが、同じく自然の表現を志す者として、彼女の言葉には大いに共感するものがあった。
夏痩せた身体は風にはこばれて鳥居をくぐれば新しい街
はるかなる道はるかなる夏雲にちひさく息を吹きかけてみる
バスケットゴールの網は朽ち果ててひとところ光のあたる場所
白いはなびらがはらはらと降りてくる。あたりを見まわしても、ただ青々と新緑の樹々が生い繁るばかりで、白い花は咲いていない。
白いはなびらの落ちてゐるさみどりの森の何処かに咲くしろい花
花の名をひとつ知りても、てのひらのあなたのことはなにも知らない
百舌鳥へゆく。百舌鳥には、有名な大仙陵古墳(仁徳天皇領)を始めとした多くの古墳が集結している。大仙陵古墳やニサンザイ古墳のような巨大な墳丘を誇る墳墓には圧倒されたが、私としては、直接墳丘に登れるような、より小規模な古墳に魅力を感じた。なかでも中百舌鳥駅近くの御廟表塚古墳は、脇に樹齢800~1000年とされるクスノキが植えられ、その奥に筒井順慶の子孫の屋敷とされる「筒井邸」が垣間見える等、見どころの多いオススメの古墳だ。それにしても、墳丘あるところ、森あり、とでもいうべきだろうか、日本の古墳の上には必ず木々が生えている。これは本来の姿とは関係のないものなのであろうが、原形を留めずにただの「土」としてあるかのような墳墓のありさまには、ある好ましい「様式」の存在を確かに感じるのである。
くすのきの葉の生えかはる
急に琵琶湖が見たくなって、地図で調べてみたら、北白川から大津までは「志賀越道(京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線)」と呼ばれる山道が最短距離なようで、予想以上に近い。これは良い、ということで、さっそくいつものママチャリに乗って家を出る。出た、が、この山道尋常ならざる傾斜の昇り道が延々と続く。そもそも、明らかに自転車での通行は想定されていなくて、自動車しか通っていない。況んやママチャリをや、である。それでも、死にそうになりながら、琵琶湖まで辿り着いて、辿り着いたのいいけれど、同じ道を戻る体力も気力もない。帰りは、山科経由の迂廻路で帰った。まさに急がば回れである。急がば回れついでにちょっと調べてみたら、「急がば回れ」は、室町時代の連歌師宗長(1448~1532)の、
もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋
という歌が語源らしい。矢橋から船を使って琵琶湖を渡ったほうが速いけれど、比叡山から吹き下ろされる風(比叡おろし)によって危険な航路であるから、瀬田の唐橋を渡った方がいいよ、という意味。
海のやうな湖がある場所にきて釣竿なげる父子をみてゐる
ずいぶんと世界が薄いみづいろの空 地平線 をりかへす波
淡海のとうめいなみづ冷たくて終らない夏の終りを思ふ
瓦から生えたつる草もみぢする 園城寺 秋のはじまりのこゑ
明日香へ行く。旅に出るときは滞在地の地図を頭に入れないようにしている。明日香では高松塚古墳とかキトラ古墳を見るつもりだったけれど、案の定見当違いの方角へ進む。だがこれで良い。こういう土地の面白さは往々にして観光地よりもリアルな田園に見出せるものだ。この時期の明日香の水田は、一面に実った稲穂が太陽の光を受けて黄金色に光り輝いている。こんもりとふくらんだ小さな丘のすその流れに従うように、田の外郭もまた緩やかなカーブを描き、そしてその外側に広がる田は一段低くなりまた緩やかな曲線を――というように、曲線と階層が機能的に調和した一種の様式美を湛えている。更に目を引くのは、田と田の境界に、びっしりと彼岸花が咲いていることで、一面の黄金に目が覚めるような赤いラインが引かれているありさまは、一個の田んぼファンである私にとっては感涙ものの情景であるが、ここに駄目押しのように、一匹のアキアカネが現れた。赤い。赤蜻蛉というものはこうまで赤いものだったか。繊細な薄い翅にか細い胴体がついている些細な生物であるが、赤い。まごうことなき赤そのものだ。はじめての明日香は、鮮烈な紅であった。
こがね色の稲穂の海に
あをあをと墳丘まろきこの場所からいちばん綺麗な明日香が見える
掌に銀の星宿煌めかせ古墳の谷になびくすすき穂
黄昏の稲穂にともる太陽は青い私の眼を灼くばかり
国立劇場に文楽を見にゆく。文楽を見るのは初めてだけれど、もっと渋いものだと思っていたから、派手な演出に驚いた。「傾城阿波の鳴門」のラストではチャンバラで人形の頭がかち割られてびっくりしたし、「冥途の飛脚」のラストでは雪が降り出して、死出の旅路をゆく男女が寒さに抱き合って小刻みにかたかた震える人形遣いの技にまばたきもできず、拍子木の音の告げる閉幕に、ただ、他の観衆とともに大きな拍手を送るより他になかった。
新宿へむかふ車窓に目をあけてゐるひとと目をとぢてゐるひと
南京で一か月間語学留学する。日本では見られない繁栄と成長の熱気につつまれて、最初はただ物珍しさに目をしばたかせていたけれど、慣れてくると、南京の抒情の核心というものは、表通りから少し奥まった所にある雑多な生活環境にあることがわかった。空間から人の息遣いが聞こえるようで、また、壁やひさしや、干してある洗濯物にカラフルな色合いが見出せて楽しい。ただ、そういう雑多な面白さは写真には残せても歌にすることは難しかった。詩情が身体に沁み込まず、軽く流すように詠むよりほかに策がない。異質でおもしろいのだけれど、異質すぎたのかもしれない。午前に学び、午後に歩くことによって、中国語や街の雰囲気についての理解は日増しに深まったけれど、日本の、京都の北白川の、閑静な町並が偲ばれて、帰国の二週間前はやや力なく、最後の一週間になるとにわかに活気づくありさまであった。最終日、晴れ晴れとした心持で、空港までのバスにゆられながら、南京の市街地を取り囲む明代の城壁に沿うように、早朝の鈍色の雲がうすくたなびき、ちょうど壁のすぐ手前に2羽の鳥が小さく絡み合いながら飛ぶさまを見たとき、一か月の滞在では知ることのできなかった南京の顔がまだ無数に存在することが思われて、少しだけさびしくなった。
南京に朝はおとづれクラクションのけたたましくも鳴り初むる哉
南京の街を歩めば片隅に
南京の街を歩めば遠景は霞の奥に霞むビル群
南京の街を歩めば路地裏に干されし服の青・緑・青
奈良・斑鳩へゆく。斑鳩の法輪寺、法起寺のような、外界と厳格に区画されず、町の連続性のなかにゆるやかに取り込まれた寺院のありさまは、学ぶものとしてではなく、感じられるものとしての「歴史」の側面を示しているように思う。
五重塔重く立ちたり興福寺鳩は翼を黒くなびかせ
崩れ落ちた肌をたたへて
どこまでも瞳は見えない栗色の
土壁に白く陽は差しうぐひすもほととぎすも鳴く斑鳩の里
黒い蟻が巣からでてくる何事か為して戻つてくる蟻もゐる
連なりて飛ぶ蝶のゆく軒下に紅く咲きたる紫陽花を見つ
青空を背景として電線にとどまる黒い鴉の黒さ
葡萄畑の匂ひ嗅ぎつつまだ青い果実ばかりの夢をみてゐた