2012年5月21日月曜日

くだりくだりて

保津峡より愛宕山に登る。

これよりは下り坂なりふみしむる枯枝の音楽しみてゆく
初夏のひかりあふるる山林に 風なり 木々の影うごく見ゆ
山道をくだりくだりてサイレンの鳴り響く村の片隅に出づ
山道をくだりくだりて南天の実れる人家の片隅に出づ
鶯の谷わたる声あとにして降り来る山に別れを告ぐる
初夏のひかりのなかを黒揚羽つつじもとめて我のさきゆく
たかいところ・ひくいところをゆきあへる黒揚羽また逢ふことはなし

4 件のコメント :

  1. >初夏のひかりのなかを黒揚羽つつじもとめて我のさきゆく

    この歌が好きです。
    幻想的なイメージの中で、なにかの暗喩を感じます。なにかっていうのが、まだよくわかならいので、もう少しじっくり味わってみたいです。

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  2. HANAさんはその歌になにかの暗喩を感じられたんですね。僕の中に答えはないのでいろいろ読んで頂けると嬉しいです。

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  3. ところどころに白き松かさ落ちてゐる橅また橅の道を歩めり
    (「ブナまたブナの道」の表現がいいですね。軽快です。)

    山道をくだりくだりてサイレンの鳴り響く村の片隅に出づ
    山道をくだりくだりて南天の実れる人家の片隅に出づ
     (またも「鹿鳴集」の二首を連想します。「かみのみをになひてくだるむらびとにいくたびあひしたきさかのみち」「まめがきをあまたもとめてひとつづつくひもてゆきしたきさかのみち」場面は、奈良の滝坂の道に移ります。京都では、もはや、保津峡まで行かなければこのような景観に会えないのですね。「村の片隅に出ず」「人家の片隅に出ず」の驚き。「くだりくだりて」の繰り返し表現が効果的です。)

    初夏のひかりのなかを黒揚羽つつじもとめて我のさきゆく
     (歌人をからかうように蝶が飛びますね。)

    たかいところ・ひくいところをゆきあへる黒揚羽また逢ふことはなし
     (高く低く飛ぶ蝶の習性を鋭く観察しています。そして名残惜しいこと。)

    先の「薔薇の歌」の、私も薔薇を咲かせて、うつつを抜かしています。

     あなた様の勉学の合間を闊達に詠われて幸いです。/E

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  4. 「橅また橅の」は堀口星眠の


    晩夏なり橅また橅の旅にあり


    に既出の表現です。こういうのが許されるか許されないかは微妙なところですね・・・。

    丁寧に読んで頂いてありがとうございます。まるで僕の感動がそのまま伝わったようで嬉しい限りです。

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