2012年10月13日土曜日

松尾芭蕉 秀句選11

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第11回は松尾芭蕉(1644~1694)だ。彼は初め貞門、後に談林と諸流の俳諧に学び、晩年の数次に渡る全国行脚の旅によって、にわかに悟りを得て、それまでの過剰な滑稽味と衒学性を旨とする俳諧とは全く異なる芸術としての俳諧を確立した。その超人的な偉業から後代「俳聖」の二つ名で呼ばれ、時代と国境を越えて現代に於ても愛され続けている。『芭蕉俳句集』(岩波書店)所収の982句より30句選んだ。概ね年代順に記す。

1  うかれける人や初瀬の山櫻

2  富士の風や扇にのせて江戸土産みやげ

3  色付いろづくや豆腐におち薄紅葉うすもみぢ

4  雨の日や世間の秋を堺町さかひちやう

5  琵琶行びはかうの夜や三味線の音あられ

6  よくみればなづな花さく垣ねかな

7  花の雲鐘は上野か淺草

8  醉てむなでしこ咲ける石の上

9  京まではまだ半空なかぞらや雪の雲

10 寒けれど二人寢る夜ぞ頼もしき

11 冬の日や馬上に氷る影法師

12 面白し雪にやならん冬の雨

13 箱根こす人もあるらし今朝の雪

14 さま〴〵の事おもひ出す櫻かな

15 このほどを花に礼いふわかれ哉

16 ほろ〳〵と山吹ちるか瀧の音

17 蛸壺たこつぼやはかなき夢を夏の月

18 おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉

19 たびにあきてけふ幾日いくかやら秋の風

20 身にしみて大根からし秋の風

21 留主るすのまにあれたる神の落葉哉

22 春雨やよもぎをのばす草の道

23 月花もなくて酒のむひとり哉

24 入逢いりあひの鐘もきこえず春の暮

25 石のや夏草赤く露暑し

26 島〴〵や千〻ちゞにくだけて夏の海

27 夏草や兵共つはものどもがゆめの跡

28 しづかさや岩にしみいる蝉の聲

29 あか〳〵と日は難面つれなくもあきの風

30 旅にやんで夢は枯野をかけめぐ

芭蕉の俳句の真髄を語るために、「さび」、「しをり」、「細み」、「軽み」、「風雅の誠」、「不易流行」、「高悟帰俗」等の様々な用語が生み出された。しかもそのほとんどがはっきりとした定義をもたない。このことは、芭蕉の句の魅力を言語化することの困難性を示している。一方で、芭蕉の句が、過去のどの俳人のものよりも広く人口に膾炙し、現代に於て芭蕉ファンが日本国内にとどまらず世界各地に存在していることを鑑みると、彼の句の魅力を直感的に感ずることは極めて容易であることもわかる。この記事では、この不思議な芭蕉の魅力について、「風雅の誠」と「軽み」を軸にして考えてみたい。

芭蕉の句には、どこか現実を超越したような高雅な趣がある。この超現実性は、なにも27や30のようなフィクション性の強い作品にのみ存在するものではなく、彼のすべての句に見られるものである。このような彼の俳諧の特質、または彼の作品それ自体を表すものとして、「風雅」という概念がある。

「風雅」については芭蕉自身が『笈の小文』の序に於て、

西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

と語っている。「見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし」――目に見えるもの、心に感ずるものをすべて雅なものに昇華するというのが「風雅」に於る態度であり、「西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり」と彼自身が云うように、このような態度は古来日本の粋人に貫徹するものであった。では、芭蕉の独自性は何処に存するのか。

ここで「誠」という概念が重要になってくる。「誠」については、芭蕉の門人服部土芳が『白さうし』に於て、

夫俳諧といふ事はじまりて、代々利口にのみたはむれ、先達終に誠を知らず。中頃難波の梅翁、自由をふるひて世上に広しといへども、中分いかにしていまだ詞を以てかしこき名也。しかるに亡師芭蕉翁、此道に出て三十余年、俳諧初て実を得たり。師の俳諧は名はむかしの名にしてむかしの俳諧に非ず。誠の俳諧也。

と述べているように、「誠」とは「実」、つまり迫真性のことである。確かに、芭蕉の句には、ある種の写実性というか、素直な人間感情に即した味わいがある。芭蕉の「風雅」は、例えば『古今和歌集』や『新古今和歌集』のような勅撰和歌集の短歌に見られるような、貴族社会に於て高度に発達した美的枠組みに基づく超現実性を基盤とするのではなく、日々の生活に於る自然な人間感情を極度に純化した到達点としての超現実性を志向するのであり、この点に於て、芭蕉の詩は、それまでの『古今和歌集』を頂点とする日本の詩の本道とは一線を画するものとなり、和歌と区別される全く新しい文芸としての俳諧が創始されたのである。「誠」を体現する「風雅」――「風雅の誠」と呼ばれる境地である。

ここで、実際に表される言葉に於て、どうのようにして人間感情の純化ということが行われるのか、ということが問題になる。ここでは、一つのテクニックとしての「軽み」を考えてみたい(本来芭蕉が用いた「軽み」は、句の内容にまで渡る幅広い意味を持つ概念であるが、ここではその一側面を照らし出してみたい)。「軽み」とはなにか。28と30を見てほしい。この両句に於て、「岩にしみ入蝉の聲」と「夢は枯野をかけ廻る」はそれぞれの句の詩的核心を示す非常に密度の高いフレーズであり、初句には、これらの核心的詩情を妨害せず、更に引き立たせる効果が求められる。それぞれ実際の初句は、「旅に病で」、「閑さや」と、軽く状況を付加するものであり、二句目以降の核心を妨げることなく句の世界観の拡張に成功している。この軽重のバランスこそが「軽み」であり、芭蕉の軽みは句によって自在に変化する。14と18を見てほしい。「さま〴〵の事おもひ出す」、「おもしろうてやがてかなしき」、この両句の初めの二句はともすればすかすかな印象を受けるほど軽い。しかし、結句に於てそれぞれ、「櫻」と「鵜舟」が導入されることによって、この軽さは、人間の悲喜こもごも、すべてを映し出す鏡へと変身する。このように、芭蕉の句に於て、軽みは豊かな人間感情の起点として機能する。

芭蕉の句の魅力と云えばまず「わび・さび」という言葉を想起する方も多いだろう。しかし、彼の抒情の本質を貫くのは、「誠」をもとにした「風雅」への強い志向、つまり「風雅の誠」であり、彼はこの理想を実現するテクニックとして、「軽み」を重視した。真の豊かさが軽さの内に表れるというのは、古来の東洋文化に於る思想、方法を吸収発展させて得られた芭蕉一流の卓見であり、わび・さびもまた軽みから生ずる多様な情感の一類型と云えるであろう。

参考文献
(1)三浦俊彦「風雅のパラドクスと芭蕉――「枯野をかけめぐる」ものの考察――」(1989、東京大学比較文学・文化研究会『比較文学・文化論集』第6号)
(2)能勢朝次『芭蕉の俳論』(1948、大八洲出版)

2 件のコメント :

  1. HaraTesuya12012年10月26日 19:55

    秋の夕暮れ、京都で、いかがお過ごしでしょうか。

    芭蕉俳句評論の古典、頴原退蔵の「俳句評釈上巻」に、芭蕉の109句を選じていますが、あなた様の選ばれた30句のうち、半分も入っていません。

    俳句は、個人の嗜好性の強い文芸であることにも因ります。
    そして、老若による好みもあるでしょう。

    8  醉て寢(ね)むなでしこ咲ける石の上
    20 身にしみて大根からし秋の風

    上の2句は面白いのですが、俳句評釈には採っていません。

    天才・芭蕉さんの句といえど、俳句とは、不思議な文芸といわざるをえません。
    こちらは、橋本市文化祭短歌大会の編集作業に追われています。
     かたまりて咲きて桔梗のさびしさよ 万太郎
    ご自愛のほど祈ります。/E

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  2. 一般に芭蕉の句では、「さび」の色彩が濃い幽玄・閑寂を旨とする作品が名句とされる傾向がありますね。僕は芭蕉の句の、風雅を極めた華やかな側面ももっと注目されていいと思っています。

    橋本市では短歌大会があるんですね。編集作業お疲れ様です。

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