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2012年10月13日土曜日

松尾芭蕉 秀句選11

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第11回は松尾芭蕉(1644~1694)だ。彼は初め貞門、後に談林と諸流の俳諧に学び、晩年の数次に渡る全国行脚の旅によって、にわかに悟りを得て、それまでの過剰な滑稽味と衒学性を旨とする俳諧とは全く異なる芸術としての俳諧を確立した。その超人的な偉業から後代「俳聖」の二つ名で呼ばれ、時代と国境を越えて現代に於ても愛され続けている。『芭蕉俳句集』(岩波書店)所収の982句より30句選んだ。概ね年代順に記す。

1  うかれける人や初瀬の山櫻

2  富士の風や扇にのせて江戸土産みやげ

3  色付いろづくや豆腐におち薄紅葉うすもみぢ

4  雨の日や世間の秋を堺町さかひちやう

5  琵琶行びはかうの夜や三味線の音あられ

6  よくみればなづな花さく垣ねかな

7  花の雲鐘は上野か淺草

8  醉てむなでしこ咲ける石の上

9  京まではまだ半空なかぞらや雪の雲

10 寒けれど二人寢る夜ぞ頼もしき

11 冬の日や馬上に氷る影法師

12 面白し雪にやならん冬の雨

13 箱根こす人もあるらし今朝の雪

14 さま〴〵の事おもひ出す櫻かな

15 このほどを花に礼いふわかれ哉

16 ほろ〳〵と山吹ちるか瀧の音

17 蛸壺たこつぼやはかなき夢を夏の月

18 おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉

19 たびにあきてけふ幾日いくかやら秋の風

20 身にしみて大根からし秋の風

21 留主るすのまにあれたる神の落葉哉

22 春雨やよもぎをのばす草の道

23 月花もなくて酒のむひとり哉

24 入逢いりあひの鐘もきこえず春の暮

25 石のや夏草赤く露暑し

26 島〴〵や千〻ちゞにくだけて夏の海

27 夏草や兵共つはものどもがゆめの跡

28 しづかさや岩にしみいる蝉の聲

29 あか〳〵と日は難面つれなくもあきの風

30 旅にやんで夢は枯野をかけめぐ

芭蕉の俳句の真髄を語るために、「さび」、「しをり」、「細み」、「軽み」、「風雅の誠」、「不易流行」、「高悟帰俗」等の様々な用語が生み出された。しかもそのほとんどがはっきりとした定義をもたない。このことは、芭蕉の句の魅力を言語化することの困難性を示している。一方で、芭蕉の句が、過去のどの俳人のものよりも広く人口に膾炙し、現代に於て芭蕉ファンが日本国内にとどまらず世界各地に存在していることを鑑みると、彼の句の魅力を直感的に感ずることは極めて容易であることもわかる。この記事では、この不思議な芭蕉の魅力について、「風雅の誠」と「軽み」を軸にして考えてみたい。

芭蕉の句には、どこか現実を超越したような高雅な趣がある。この超現実性は、なにも27や30のようなフィクション性の強い作品にのみ存在するものではなく、彼のすべての句に見られるものである。このような彼の俳諧の特質、または彼の作品それ自体を表すものとして、「風雅」という概念がある。

「風雅」については芭蕉自身が『笈の小文』の序に於て、

西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

と語っている。「見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし」――目に見えるもの、心に感ずるものをすべて雅なものに昇華するというのが「風雅」に於る態度であり、「西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり」と彼自身が云うように、このような態度は古来日本の粋人に貫徹するものであった。では、芭蕉の独自性は何処に存するのか。

ここで「誠」という概念が重要になってくる。「誠」については、芭蕉の門人服部土芳が『白さうし』に於て、

夫俳諧といふ事はじまりて、代々利口にのみたはむれ、先達終に誠を知らず。中頃難波の梅翁、自由をふるひて世上に広しといへども、中分いかにしていまだ詞を以てかしこき名也。しかるに亡師芭蕉翁、此道に出て三十余年、俳諧初て実を得たり。師の俳諧は名はむかしの名にしてむかしの俳諧に非ず。誠の俳諧也。

と述べているように、「誠」とは「実」、つまり迫真性のことである。確かに、芭蕉の句には、ある種の写実性というか、素直な人間感情に即した味わいがある。芭蕉の「風雅」は、例えば『古今和歌集』や『新古今和歌集』のような勅撰和歌集の短歌に見られるような、貴族社会に於て高度に発達した美的枠組みに基づく超現実性を基盤とするのではなく、日々の生活に於る自然な人間感情を極度に純化した到達点としての超現実性を志向するのであり、この点に於て、芭蕉の詩は、それまでの『古今和歌集』を頂点とする日本の詩の本道とは一線を画するものとなり、和歌と区別される全く新しい文芸としての俳諧が創始されたのである。「誠」を体現する「風雅」――「風雅の誠」と呼ばれる境地である。

ここで、実際に表される言葉に於て、どうのようにして人間感情の純化ということが行われるのか、ということが問題になる。ここでは、一つのテクニックとしての「軽み」を考えてみたい(本来芭蕉が用いた「軽み」は、句の内容にまで渡る幅広い意味を持つ概念であるが、ここではその一側面を照らし出してみたい)。「軽み」とはなにか。28と30を見てほしい。この両句に於て、「岩にしみ入蝉の聲」と「夢は枯野をかけ廻る」はそれぞれの句の詩的核心を示す非常に密度の高いフレーズであり、初句には、これらの核心的詩情を妨害せず、更に引き立たせる効果が求められる。それぞれ実際の初句は、「旅に病で」、「閑さや」と、軽く状況を付加するものであり、二句目以降の核心を妨げることなく句の世界観の拡張に成功している。この軽重のバランスこそが「軽み」であり、芭蕉の軽みは句によって自在に変化する。14と18を見てほしい。「さま〴〵の事おもひ出す」、「おもしろうてやがてかなしき」、この両句の初めの二句はともすればすかすかな印象を受けるほど軽い。しかし、結句に於てそれぞれ、「櫻」と「鵜舟」が導入されることによって、この軽さは、人間の悲喜こもごも、すべてを映し出す鏡へと変身する。このように、芭蕉の句に於て、軽みは豊かな人間感情の起点として機能する。

芭蕉の句の魅力と云えばまず「わび・さび」という言葉を想起する方も多いだろう。しかし、彼の抒情の本質を貫くのは、「誠」をもとにした「風雅」への強い志向、つまり「風雅の誠」であり、彼はこの理想を実現するテクニックとして、「軽み」を重視した。真の豊かさが軽さの内に表れるというのは、古来の東洋文化に於る思想、方法を吸収発展させて得られた芭蕉一流の卓見であり、わび・さびもまた軽みから生ずる多様な情感の一類型と云えるであろう。

参考文献
(1)三浦俊彦「風雅のパラドクスと芭蕉――「枯野をかけめぐる」ものの考察――」(1989、東京大学比較文学・文化研究会『比較文学・文化論集』第6号)
(2)能勢朝次『芭蕉の俳論』(1948、大八洲出版)

2012年10月6日土曜日

酒井抱一 秀句選10

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第10回は酒井抱一(1761~1829)だ。彼は代表作「夏秋草図屏風」、「月に秋草図屏風」(ともに重要文化財)等で知られる江戸時代後期を代表する画家の一人だ。抱一は、名門酒井雅楽頭家の酒井忠仰の子であり、兄は第二代姫路藩主の酒井忠以。元来学問芸術に厚い酒井家の家風のもと、抱一も幼時より画、俳諧、和歌、連歌、国学、書、能、仕舞等の多様な教養を身につける。兄忠以の子で甥の忠道が誕生(1777)し、嫡流から完全に外れた抱一は急速に市井の芸文世界に接近、20代を通じて多様な文人と交流する。この時期の画業としては、歌川豊春(1735~1814)に師事した肉筆浮世絵(当世美人画)が挙げられる。

1787年から始まった松平定信の「寛政の改革」による風紀統制、更には最大の理解者であった兄忠以の死(1790)によって、抱一を取り巻く環境は一変する。抱一は浮世絵美人画からの撤退を余儀なくされ、1797年には半ば強制的な形で出家することになる。そんな彼に新たな刺激をもたらしたのは、尾形光琳(1658~1716)の存在であった。光琳の存在を知り、彼の画風に強い衝撃を覚えた抱一は、人脈を駆使して光琳を中心とした琳派の作品を広く鑑定、模写する等、熱心に研究し、1815年には光琳百回忌を記念して光琳の作品42点を展覧する「尾形光琳居士一百週諱展覧会」を開催、更には日本史上初の個人画集『光琳百図』を刊行、広く光琳の画風の紹介し、また、光琳の後継者としての自らの立場を表明する。

光琳の画風に強く影響され、彼の後継者を自任した抱一であるが、彼の画は、より都会的に洗練された緻密な描写、洒脱な構図等に於て、光琳のそれとは厳格に区別される特徴を有する。特に、種々の花鳥画に彼の独創性は強く発揮され、その集大成としては、一橋治済(十一代将軍徳川家斉の父)の命(1821)によって、尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏に直接描かれた「夏秋草図屏風」が挙げられるだろう。この画は風にそよぐ秋草が風神に、雨に打たれる夏草が雷神に対応するという意匠を持つのであるが、ここに決して派手ではない草花の描写を通して風神雷神に並び立たしめる抱一の驚くべき画力を堪能することができる。

俳諧もまた彼の生涯を通じて探求された芸術であった。画に於ける光琳のように、抱一は宝井其角(1661~1707)に私淑し、古典の教養に裏付けられた難解な句を多く残したが、晩年には平明な句風に移行している。竹の家主人編『西鶴抱一句集』(文芸之日本社)所収の491句より29句選んだ。掲載順に記す(漢字のルビは、読解の便の為、筆者が新たに補った)。

1  よの中は團十郎や今朝の春

2  いく度も清少納言はつがすみ

3  田から田に降ゆく雨の蛙哉

4  錢突ぜについて花に別るゝ出茶屋かな

5  ゆきとのみいろはに櫻ちりぬるを

6  新蕎麥のかけ札早し呼子鳥

7  一幅の春掛ものやまどの富士

8  膝抱いて誰もう月の空ながめ

9  解脱して魔界崩るゝ芥子の花

10 紫陽花や田の字づくしの濡ゆかた

11 すげ笠の紐ゆふぐれや夏祓

12 素麺にわたせる箸や銀河あまのがは

13 星一ッ殘して落る花火かな

14 水田返す初いなづまや鍬の先

15 黒樂の茶碗のかけやいなびかり

16 魚一ッ花野の中の水溜り

17 名月や曇ながらも無提灯

18 先一葉秋に捨たるうちは哉

19 新蕎麥や一とふね秋の湊入り

20 沙魚はぜ釣りや蒼海原の田うへ笠

21 もみぢ折る人や車の醉さまし

22 又もみぢ赤き木間の宮居かな

23 紅葉見やこの頃人もふところ手

24 あゝ欠び唐土迄も秋の暮

25 つばくろの殘りて一羽九月盡くぐわつじん

26 山川のいわなやまめや散もみぢ

27 河豚喰た日はふぐくうた心かな

28 寒菊の葉や山川の魚の鰭

29 此年も狐舞せて越えにけり

2、12のようなあからさまなウケ狙いに走っている句に顕著なように、抱一の句には「重さ」はなく、全体的に「軽い」句風であるといってよい。この「軽み」をもって正岡子規などは『病床六尺』に於て、

抱一はういつの画、濃艶のうえん愛すべしといへども、俳句に至つては拙劣せつれつ見るに堪へず。その濃艶なる画にその拙劣なる句のさんあるに至つては金殿に反古ほご張りの障子を見るが如く釣り合はぬ事甚だし。

と酷評しているが、これは表層的な見解である。「軽み」のもたらす味わいは、5、26のような軽快なリズムにまずはっきりと見て取れるだろう。「軽み」の魅力は更に14、19のような清新な味わいや、11、13、29のようなどこか浪漫的な情趣に拡大される。派手なモティーフも、複雑な構成もなくさまざまな詩情を展開する点は彼の画に通じる部分があるだろう。

また、句を通して、江戸時代の風俗を追体験できるところも魅力の一つだ。1、10、15、21、27のような、あるいは彼のすべての句に、この時代の人々のありさまを、まるで自分もそばにいるかのようにリアルに体感できる。このようなことは、ただ同時代の風俗に言及すれば良いというものではなく、抱一の超時代的に洗練されたセンスによってのみ成り立つものであろう。

画に於ても俳諧に於ても、抱一の芸術の核心は、極めて洗練度の高い美的感性であり、それは古今を問わない多様な芸術家から吸収したアイディアと、彼の天性の才に裏づけられたものであった。高度な技術に支えられた彼の芸術には彼の感性が如実に表現され、時代を越えて私たちに感動を与え続けている。

参考文献
(1)仲町啓子監修『酒井抱一 江戸琳派の粋人(別冊太陽 日本のこころ 177)』(平凡社)

2012年3月6日火曜日

正岡子規 秀句選9

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第9回は正岡子規(1867~1902)だ。彼は江戸時代以来類型化した俳諧の発句を「月並」として批判し、近代文学としての「俳句」を創始した人物だ。彼は短歌においても「古今和歌集」を理想として単調化した当時の短歌を批判し、同様の革新運動を試みた。このように、既存の流派や師弟関係を嫌った子規ではあったが、俳句においては「ホトトギス派」、短歌においては「アララギ派」という、彼の流れを汲む流派が生まれ、ホトトギス派は高浜虚子の提唱した「花鳥諷詠」という概念によって、アララギ派は「万葉調」や「客観写生」に固執したことによって徐々に類型化し、次第にかつての「月並」と変わらない様相を呈するようになった。今や子規は代表句とされる、

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

と司馬遼太郎の「坂の上の雲」の登場人物としてわずかに知られるのみだ。しかし、彼の「代表句」も「坂の上の雲」も子規本来の魅力を表しているとは言い難い。ここに、彼の句が本来持つ生きた魅力を少しでも再現できれば幸いだ。高浜虚子編『子規句集』(岩波書店)所収の2306句より26句選んだ。概ね年代順に記す。

1  梅雨晴やところ〴〵に蟻の道

2  赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり

3  冬ざれや稲荷の茶屋の油揚

4  吹きたまる落葉や町の行き止まり

5  六月を綺麗な風の吹くことよ

6  冬ごもり世間の音を聞いて居る

7  つらなりていくつも丸し雪の岡

8  帰り咲く八重の桜や法隆寺

9  朝顔の一輪咲きし熱さかな

10 葉桜はつまらぬものよ隅田川

11 行く年を母すこやかに我病めり

12 南天に雪吹きつけて雀鳴く

13 いくたびも雪の深さを尋ねけり

14 障子明けよ上野の雪を一目見ん

15 日あたりのよき部屋一つ冬籠

16 鷄頭の黒きにそゝぐ時雨かな

17 林檎くふて牡丹の前に死なん哉

18 鷄頭の皆倒れたる野分哉

19 春寒き寒暖計や水仙花

20 薫風や千山の緑寺一つ

21 仏壇も火燵もあるや四畳半

22 けしの花大きな蝶のとまりけり

23 母と二人いもうとを待つ夜寒かな

24 梅雨晴や蜩鳴くと書く日記

25 薔薇を剪る鋏刀の音や五月晴

26 黒きまでに紫深き葡萄かな

まず、2、8、9、12を見てほしい。明治の新しい風を感じるような清々しい趣があり、また、しっかりと造り込まれた、堅実な句風からは、子規の実力を読み取ることができる。ただ、これらの句だけでは子規の魅力を語り尽くすことはできない。

晩年に近づくにつれて、だんだんと句の内容が簡単になってくることに注目してほしい。例えば、22はけしの花に大きな蝶がとまっているという、ただそれだけの描写で、けしの花についての直接的な修飾は一切ないが、けしの花が実に生々しく、量感豊かに、眼前に迫るように感じられる。この場合、「大きな蝶」が「けしの花」の魅力を最大限に引き出す「ツボ」となっていて、16、25、26においても同様に最低限の描写で、それぞれ「鶏頭」、「薔薇」、「葡萄」の持ち味を最大限に引き出している。

そしてこの端的な味わいのさらに一歩先をゆく作品として13がある。ここでは、ただ何回も雪の深さを尋ねたというだけで、外の景色については描写そのものが存在しないが、この句を読めば外の雪景色の様子がありありと浮かぶのではないだろうか。また、描写がないのだから、その雪景色は実際に子規の外にある雪景色と同じであるはずがない。読者ひとりひとりの心の原風景としての雪景色なのだ。そしてそのイメージを引き出したのは、何回も雪の深さを尋ねた、子規の自然に対する大きな憧れに他ならない。子規はこの句や17にあるように、自然に対して盲目的とも言える強い憧れを抱いていた。また、11にあるように彼は結核を患い、死に至るまでの約7年間を病床で過ごした。日々の生活の中で常に死に肉薄していた子規は、死の本質である無の境地を体得し、そしてその無をもって、自然、すなわち生を如実に表現できることに気づいたのではないだろうか。つまり、対象そのものを修飾するのではなく、余白で描写するということである。ここにおいて子規の句は、読者個々人の心にある本物の自然、本物の感動を引き出し、純粋な憧れの世界へと私たちをいざなうことになる。

2012年3月1日木曜日

与謝蕪村 秀句選8

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第8回は与謝蕪村(1716~1784)だ。彼の句は当初松尾芭蕉の陰に隠れてあまり認知されていなかったが、正岡子規によって再発見され、芭蕉と並ぶ「俳聖」として広く認識されるようになり、また、萩原朔太郎は、「郷愁の詩人 与謝蕪村」において、蕪村の句に近代的な抒情性があることを説き、蕪村には「日本最古のロマン派詩人」とでも言うべき魅力が隠されていることが示された。『蕪村俳句集』(岩波書店)所収の自選1463句より21句選んだ。掲載順に記す。

1  鶯の声遠き日も暮にけり

2  春水や四条五条の橋の下

3  はるさめや暮なんとしてけふも有

4  春雨やものがたりゆく簑と傘

5  春の海終日ひねもすのたり〳〵哉

6  雛祭る都はづれや桃の月

7  さくらより桃にしたしき小家こいへ

8  几巾いかのぼりきのふの空のありどころ

9  うつむけに春うちあけて藤の花

10 菜の花や月は東に日は西に

11 ちりてのちおもかげにたつぼたん哉

12 蚊屋を出て奈良を立ゆく若葉哉

13 さみだれや大河を前に家二軒

14 雷に小家こやは焼れて瓜の花

15 あま酒の地獄もちかし箱根山

16 名月やうさぎのわたる諏訪の海

17 父母のことのみおもふ秋のくれ

18 かなしさや釣の糸ふくあきの風

19 初冬や日和になりし京はづれ

20 狐火や髑髏に雨のたまる夜に

21 既に得し鯨や逃て月ひとり

蕪村の句は、一読してその色彩の豊かさと抒情の深さにほれぼれとするのだが、よく読んでみるとかなり不思議な構造を持っていることがわかる。

まず、彼の代表句として高名な5を見てほしい。この句は、春の海ののどかな情景として楽しめるが、もうちょっと踏み込んで読むと、「のたり〳〵」が「終日」と指定されているのはかなり特殊な状況で、これをリアルに表すと「春の海のたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたりのたり――」という風になって気が狂いそうだ。しかし、実際にはこのような奇怪な印象は受けない。蕪村の句においては、このような作品の背後にある「違和感」がむしろ詩的な感動を増幅させていると云えるだろう。

そのような「違和感」の例として異常なまでの「小ささ」への志向がある。例えば13においては、最初に五月雨に増水する大河を持ち出して、「前に」と近いことを強調してから「家二軒」と結ぶ。大河を前にした家というのはあまりにもはかなく小さい存在であるが、さらに「二軒」というのはこれがまた頼りなく小さい――一軒ならば逆に開き直った強さがあるというものだ。また6においては、雛といういかにも小さいものを語るのにわざわざ都という大きなものを持ち出して対比させており、しかも「はづれ」と指定することによって、都から都はづれ、そしてその中の一軒、最後に雛、というように段階的に小さくなっていく様子がイメージできるように表現されている。そしてその小ささの中に「桃の月」である。ここで月は現実の巨大な衛星としてではなく、まるで小さな飴玉のような――美味しく頂けそうな――ものとして提示される。これだけ小さければ私たちの心にも素直におさまる。そして重要なのは、月が小さくなると、その下の都もまるでミニチュアのように小さくなるということで、そういう風に把握していくと、今度は逆に最初の雛が大きく感じられるような、あべこべなおもしろさもある。

また、時間の表現にも蕪村独特のものがある。11はそのわかりやすい例だが、さらに8を見ると不思議な気持ちになる。「きのふの空のありどころ」とは一体なんだろうか。昨日見た同じ場所の空に今日凧が上がっている、と句意は解釈できるが、「きのふの空」というかなり曖昧な、とても「実体」とは言えない存在に「ありどころ」を想定する表現は異常で、よく読むと不可解な心理状態に陥ってしまう。しかし、そこに存在する凧だけは確かなのだ。昨日という過去への淡い幻想の中に今日という確かな凧が上がっているのだ。

このように蕪村は、ものの大きさや時間その他の概念を自在に変化させて読者の琴線を鳴らす高度なテクニックを有していたことがわかる。しかし、彼が本当に「テクニック」を駆使してこれらの句を詠んだのかは疑わしい。というのも、蕪村の句には狙ったわざとらしさがない。自然体であり、だからこそ今も多くの人に愛される。彼はそういう意味では本物の天才なのかもしれない。

2011年4月26日火曜日

富澤赤黄男 秀句選7

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第7回は富澤赤黄男(1902~1962)だ。彼は新興俳句派の俳人の一人とされる。新興俳句とは、水原秋桜子が、1931年に高浜虚子に反発し「ホトトギス」を脱会して起こした「新興俳句運動」に影響されて出現した、一連の新傾向の俳句のことを言う。赤黄男は、抽象表現、隠喩、アナロジーなど西洋的な手法を大胆に用いて、俳句に新しい境地を開いた。四ッ谷龍編『富澤赤黄男』(蝸牛社)所収の300句より24句選んだ。概ね年代順に記す。

1  落日の巨眼の中に凍てし鴉

2  歯を磨く青い空気がゆれてくる

3  陸橋の風のむかうにある冬日

4  この軌道レールの果に繁華な町がある

5  一匹の黒い金魚をうて秋

6  落日をゆく落日をゆく真赤あかい中隊

7  気球なり、あゝ現身うつしみのゆれんとす

8  蒼海が蒼海がまはるではないか

9  春の夜の建てゝ壊した緑の家

10 一本のマッチをすればうみは霧

11 蛇苺 遠く旅ゆくもののあり

12 流木よ せめて南をむいて流れよ

13 あはれこの瓦礫の都 冬の虹

14 蛾の青さ わたしは眠らねばならぬ

15 天の青 わたしがつくるひとつの汚点

16 鳥のゐる枯木 と 鳥のゐぬ枯木

17 葡萄一粒の 弾力と雲

18 草二本だけ生えてゐる 時間

19 無題の月 ここに こわれた木の椅子がある

20 石を積む宿命 鳥は水平に翔び

21 劣等感インフェリオリティコンプレックス――雨だれの音

22 灰の 雨の 中の ヘヤピンを主張せよ

23 破れた木――墓は凝視する

24 ゼロの中 爪立ちをして哭いてゐる

赤黄男の句を読んで、「俳句らしさ」とはなんだろうか、そんなことを考えてみた。赤黄男の句は、普通にイメージされる「俳句」とは大きく異なるように見える。では「俳句らしい」とはどういうことだろうか。

一般に俳句の特徴としては、

1)五七五の定型
2)季語の使用
3)「切れ」の存在

が挙げられる。俳句史上最も有名な俳句、

古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉

を例とすると、まず、五七五の定型はしっかりと守られている。そして、「蛙」は春の季語だ。また、切れ字「や」によって、初句と第二句の間に「切れ」が生じている。この芭蕉の句を俳句と認識できない日本人は少ないだろう。

ここで赤黄男の句をもう一度見る。一見すると、いかにも西洋の現代詩の影響を受けた型破りの無季自由律俳句だ。しかし、先入観にとらわれずに読んでみると、意外と五七五の定型あるいはそれに準じた詩形がとられていることに気づく。そして、7の読点、11、12、13などに見られる一字空け、21、23のダッシュは、「や」、「かな」、「けり」のような切れ字よりも明確に「切れ」を形成している。

では、「季語」はどうだろう。赤黄男の句には季語が存在しないものも多い。

俳句は極めて短い。こんなに短い詩が一つの世界を獲得できるのは、日本人の身体感覚に根差した季語がもつ、先入的なイメージがあるからだ。だがそういう語は「季語」に限るのか。「陸橋」、「中隊」、「家」、「都」、「鳥」、「宿命」、「劣等感」、「墓」、「零」――赤黄男の句にあるこれらの語を見れば、人によって様々なことが心に浮かぶのではないだろうか。時代とともに語のもつ力は移り変わる。四季が、季節というものが人間に与える影響も変わってくる。そうであれば、定められた季語に盲従するのが俳人の、詩人のあるべき姿なのだろうか。赤黄男は、俳句の本質を純粋に追求したのかもしれない。

2011年3月9日水曜日

高柳重信 秀句選6

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第6回は高柳重信(1923~1983)だ。彼は富沢赤黄男に師事し、4行書きの俳句など前衛的な作品を多く残した。特に、詩全体の形が絵画的な意味を持つカリグラムという手法を応用した俳句は印象的だ。これは言葉で説明するよりも実際に重信の作品を見てもらったほうが早いだろう。夏石番矢編『高柳重信』(蝸牛社)所収の300句より8句選んだ。概ね年代順に記す。

1 佇てば傾斜
   歩めば傾斜
    傾斜の
     傾斜

2 時計をとめろ
  この
    あの
      止らぬ
  時計の暮色

3 踊らんかな
  (瀕死)
  真赤な
  血の手拍子

4 森
  の 夜
  更け  の
    拝
  火の 弥撒
    に
  身を 焼
  く 彩
  蛾

5     咲き
    燃えて
   灰の
  渦
   輪の
    孤島の
      薔薇

6 ●●○●
  ●○●●○
  ★?
  ○●●
  ―○○●

7    一
     階
    二階
   三階
  旗
  さよなら
   あなた

8 軍艦が軍艦を撃つ春の海

1は本当に「傾斜」しているし、4は「蛾」の形をしているし、7は階段を形成している。6は文字化けではない。

2011年2月17日木曜日

木下夕爾 秀句選5

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第5回は木下夕爾(1914~1965)だ。彼の創作活動は自由詩から始まったが、戦時中の1943年頃から俳句も詠み始めた。木下夕爾の詩を一つ紹介したい。

内部

その窓は閉ざされたままだった
中には誰もいなかった

机の上はきちんと片付いていた

読みさしの本が置いてあり
インクの壺はからからに乾いていた

これから何かがはじまるようにみえた もう終わったあとかもしれなかった

とにかくひっそりかんとしていた

壁には古びた人物像の
眼だけが大きくかがやいていた

それに追い立てられるように
窓枠のすきまから覗いていたてんとう虫は
向きをかえ背中を二つに割って
燃える光の中へ飛び去った

細かい情景描写からクライマックスのてんとう虫の登場への劇的な流れが素晴らしい。

朔多恭編『木下夕爾』(蝸牛社)所収の300句より6句選んだ。概ね年代順に記す。

1 こころふとかよへり風の青すだれ

2 春の虹船は弧をもてならびたる

3 夕焼のうつりあまれる植田かな

4 こほろぎやいつもの午後のいつもの椅子

5 かたく巻く卒業証書遠ひばり

6 遠雷やはづしてひかる耳かざり

詩情が17音に収まり切らず溢れだしている。

2011年2月10日木曜日

尾崎放哉 秀句選4

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第4回は尾崎放哉(1885~1926)だ。彼は荻原井泉水に師事し、同門の種田山頭火とともに自由律俳句の二大巨頭と称される人物だ。放哉は東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、通信社に入社するもわずか1か月で退社、その後は複数の保険会社に勤め38歳で退職、修養団体「一燈園」に所属し、無所有・無報酬の生活を送ったという特異な経歴をもつ。『現代句集』(筑摩書房)所収の彼の死後刊行された句集、荻原井泉水編「大空」にある726句より44句選んだ。概ね年代順に記す。

1  蟻を殺す殺すつぎから出てくる

2  友の夏帽が新らしい海に行かうか

3  今朝の夢を忘れて草むしりをして居た

4  烏がだまつてとんで行つた

5  かぎ穴暮れて居るがちがちあはす

6  傘干して傘のかげある一日

7  こんなよい月を一人で見て寝る

8  わが顔ぶらさげてあやまりにゆく

9  片目の人に見つめられて居た

10 かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である

11 雀のあたたかさを握るはなしてやる

12 大雪となる兎の赤い眼玉である

13 笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた

14 なんにもない机の引き出しをあけて見る

15 色鉛筆の青い色をひつそりけづつて居る

16 節分の豆をだまつてたべて居る

17 一人分の米白々と洗ひあげたる

18 考へ事をしてゐるたにしが歩いて居る

19 するどい風の中で別れようとする

20 どんどん泣いてしまつた児の顔

21 田舎の小さな新聞をすぐに読んでしまつた

22 豆を煮つめる自分の一日だつた

23 二階から下りて来てひるめしにする

24 とかげの美しい色がある廃庭

25 母の無い児の父であつたよ

26 淋しいからだから爪がのび出す

27 ころりと横になる今日が終つて居る

28 一本のからかさを貸してしまつた

29 蛍光らない堅くなつてゐる

30 花がいろいろ咲いてみな売られる

31 少し病む児に金魚買うてやる

32 花火があがる空の方が町だよ

33 あらしがすつかり青空にしてしまつた

34 淋しい寝る本がない

35 入れものが無い両手で受ける

36 口あけぬ蜆死んでゐる

37 せきをしてもひとり

38 働きに行く人ばかりの電車

39 墓のうらに廻る

40 窓あけた笑ひ顔だ

41 久し振りの太陽の下で働く

42 仕事探して歩く町中歩く人ばかり

43 森に近づき雪のある森

44 春の山のうしろから烟が出だした

陰惨な内容の句も多いが、不思議と暗さが感じられない。27には笑ってしまった。

彼の句は自然体のようにも見えるが、かなり狙っているようにも見えて、つかみどころがない。実は、この「大空」所収の句は師の井泉水による添削でオリジナルと異なっているものも多く、そのあたりが彼の句のつかみどころのなさを加速させている原因でもある。いずれにせよ、彼のような境遇にない人間にも、なにか共感できるような普遍性が彼の句にはある。特に、37、39のような極端に短い詩形は彼の独擅場と云えるだろう。

2010年12月11日土曜日

種田山頭火 秀句選3

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第3回は種田山頭火(1882~1940)だ。彼は尾崎放哉とともに自由律俳句を代表する俳人だ。山頭火は早稲田大学の英文科に進むも、神経衰弱のため退学、後には妻子を捨てて乞食となって各地を放浪した。石寒太編『種田山頭火』(蝸牛社)所収の300句より28句選んだ。概ね年代順に記す。

1  まつすぐな道でさみしい

2  まつたく雲がない笠をぬぎ

3  また逢へた山茶花も咲いてゐる

4  笠も漏りだしたか

5  うしろすがたのしぐれてゆくか

6  笠へぽつとり椿だつた

7  何でこんなにさみしい風ふく

8  どこかそこらにみそさざいがゐる曇り

9  ここにふきのとうがふたつ

10 かうしてここにわたしのかげ

11 誰か来さうな空が曇つてゐる枇杷の花

12 よびかけられてふりかへつたが落葉林

13 ふりかへる椿が赤い

14 この道しかない春の雪ふる

15 生えて伸びて咲いてゐる幸福

16 誰も来ないたうがらし赤うなる

17 ことしもここに石蕗の花も私も

18 病めば梅ぼしのあかさ

19 何を求める風の中ゆく

20 ほつと月がある東京に来てみる

21 みんなかへる家はあるゆうべのゆきき

22 死ねない手がふる鈴ふる

23 秋風、行きたい方へ行けるところまで

24 枯枝ぽきぽきおもふことなく

25 窓あけて窓いつぱいの春

26 秋風あるいてもあるいても

27 こしかたゆくすゑ雪あかりする

28 もりもりもりあがる雲へ歩む

5と14が異常にかっこいい。彼の自由を極めた芸術には、読者を惹きつけてやまない魅力がある。

2010年12月7日火曜日

堀口星眠 秀句選2

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第2回は堀口星眠(1923~)だ。彼は東京帝国大学卒業の医師で、在学中に同じく医師である水原秋櫻子に師事した。星眠は「高原派」と呼ばれるほど、高原を題材にした作品を多く残している。『堀口星眠』(春陽堂)所収の自選300句より19句選んだ。掲載順に記す。

1  髪切虫一庭荒れしまゝの夏

2  百舌鳥の朝噴煙天にとゞこほる

3  教会のくらさ向日葵を見しゆゑか

4  とりどりの秋果買ひゆけりミサのあと

5  地の涯に夕映ありぬ青すゝき

6  星の空なほ頬をうつ粉雪あり

7  せきれいや日のさす方に雪しげく

8  雪渓に石投げて音かへり来ず

9  時鳥ゆふづく町にセロリ買ふ

10 夏痩せてゆふすげ淡き野にきたる

11 噴煙の下密猟の銃鳴らす

12 暮るるまで雉子鳴きし夜の月まどか

13 雲爽やかキヤベツの高荷人載せて

14 父といふ世に淡きもの桜満つ

15 胸ひらく母の眼をして斑雪山

16 軍配昼顔熱砂をにじりつつ咲けり

17 晩夏なりぶなまた橅の旅にあり

18 鯛焼の順を待ちをり田舎医師

19 夢もなき顔をして売るシヤボン玉

言葉が非常に洗練されていて、淡い光の中にいるような透き通った印象を受ける。

2010年12月6日月曜日

夏目漱石 秀句選1

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第1回は夏目漱石(1867~1916)だ。彼は「吾輩は猫である」、「こころ」等の作品で名高い明治の文豪だが、正岡子規の親友でもあり、彼の勧めで始めた俳句をおよそ2600句残している。坪内稔典編『漱石俳句集』(岩波書店)所収の848句より38句選んだ。概ね年代順に記す。

1  朝貌や咲たばかりの命哉

2  埋火や南京茶碗塩煎餅

3  冬籠米搗く音の幽かなり

4  親展の状燃え上る火鉢哉

5  黙然と火鉢の灰をならしけり

6  日の入や秋風遠く鳴つて来る

7  曼珠沙花あつけらかんと道の端

8  行く年や膝と膝とをつき合せ

9  秋の雲ただむらむらと別れかな

10 武蔵野を横に降る也冬の雨

11 一つ家のひそかに雪に埋れけり

12 奈良の春十二神将剥げ尽せり

13 陽炎に蟹の泡吹く干潟かな

14 居合抜けば燕ひらりと身をかはす

15 落つるなり天に向つて揚雲雀

16 草山や南をけづり麦畑

17 端然と恋をしてゐる雛かな

18 永き日や欠伸うつして別れ行く

19 君が名や硯に書いては洗ひ消す

20 秋の蠅握つてそして放したり

21 空に一片秋の雲行く見る一人

22 どつしりと尻を据えたる南瓜かな

23 角落ちて首傾けて奈良の鹿

24 秋風や棚に上げたる古かばん

25 行く年や猫うづくまる膝の上

26 短かくて毛布つぎ足す蒲団かな

27 ニツケルの時計とまりぬ寒き夜半

28 人形の独りと動く日永かな

29 朝皃の葉影に猫の眼玉かな

30 独居や思ふ事なき三ヶ日

31 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉

32 骨の上に春滴るや粥の味

33 逝く人に留まる人に来る雁

34 白菊と黄菊と咲いて日本かな

35 石段の一筋長き茂りかな

36 秋風や屠られに行く牛の尻

37 我一人行く野の末や秋の空

38 鍋提げて若葉の谷へ下りけり

漱石の豊かな想像力と観察眼にかかれば、何気ない日常もよくできた小説のようにおもしろいものになることがわかる。ほのかにただようユーモラスな雰囲気も作品の世界にやわらかい空気を吹き込んでいる。