奈良・斑鳩へゆく。斑鳩の法輪寺、法起寺のような、外界と厳格に区画されず、町の連続性のなかにゆるやかに取り込まれた寺院のありさまは、学ぶものとしてではなく、感じられるものとしての「歴史」の側面を示しているように思う。
五重塔重く立ちたり興福寺鳩は翼を黒くなびかせ
崩れ落ちた肌をたたへて
どこまでも瞳は見えない栗色の
土壁に白く陽は差しうぐひすもほととぎすも鳴く斑鳩の里
黒い蟻が巣からでてくる何事か為して戻つてくる蟻もゐる
連なりて飛ぶ蝶のゆく軒下に紅く咲きたる紫陽花を見つ
青空を背景として電線にとどまる黒い鴉の黒さ
葡萄畑の匂ひ嗅ぎつつまだ青い果実ばかりの夢をみてゐた
写真の山門はいずれの寺でしょうか。
返信削除余りにはっきりと写って、外界が雑然と見えてしまいます。
(キメの細かい写真の、いかにも高級カメラですね)
どこまでも瞳は見えない栗色の眼(まなこ)ゆるませねむりゆく鹿
(奈良というと、どうしても会津八一の「鹿鳴集」というフィルターを通して見てしまいます。「うらみ わび たち あかしたる さをしか の もゆる まなこ に あき の かぜ ふく」90年余り前の鹿も、現在の鹿もその瞳の移ろいは変わらず、悠久の時の流れを感じます。そして、歌の作者を想う時、若き日の秋艸道人と、安達さまが混然として区別がつかなくなります)
京都も同じですが、奈良は、独特の歴史空間の中にあって、人をして、その中に存在する人までもユニークなベールに包んでしまいます。良き体験をされたことでしょう。/E
この山門は法輪寺です。確かにちょっと外の景色が雑然としてるのが難点ですね。
返信削除鉄也さんは本当に会津八一のことが好きなんですね。同じ鹿の眼の歌でも完成度には雲泥の差があります。僕の歌は歌会に出しても「わからない」ってただそれだけでしたから。会津八一みたいな一般性は出せないですね。
奈良は本当に素晴らしい場所でした。今度は明日香に行ってみたいです。