2012年6月10日日曜日

どこまでも瞳は見えない

奈良・斑鳩へゆく。斑鳩の法輪寺、法起寺のような、外界と厳格に区画されず、町の連続性のなかにゆるやかに取り込まれた寺院のありさまは、学ぶものとしてではなく、感じられるものとしての「歴史」の側面を示しているように思う。

五重塔重く立ちたり興福寺鳩は翼を黒くなびかせ
崩れ落ちた肌をたたへて遠近をちこちの十二神将黄昏の中
どこまでも瞳は見えない栗色のまなこゆるませねむりゆく鹿
土壁に白く陽は差しうぐひすもほととぎすも鳴く斑鳩の里
黒い蟻が巣からでてくる何事か為して戻つてくる蟻もゐる
連なりて飛ぶ蝶のゆく軒下に紅く咲きたる紫陽花を見つ
青空を背景として電線にとどまる黒い鴉の黒さ
葡萄畑の匂ひ嗅ぎつつまだ青い果実ばかりの夢をみてゐた

2 件のコメント :

  1. 写真の山門はいずれの寺でしょうか。
    余りにはっきりと写って、外界が雑然と見えてしまいます。
    (キメの細かい写真の、いかにも高級カメラですね)

    どこまでも瞳は見えない栗色の眼(まなこ)ゆるませねむりゆく鹿
     (奈良というと、どうしても会津八一の「鹿鳴集」というフィルターを通して見てしまいます。「うらみ わび たち あかしたる さをしか の もゆる まなこ に あき の かぜ ふく」90年余り前の鹿も、現在の鹿もその瞳の移ろいは変わらず、悠久の時の流れを感じます。そして、歌の作者を想う時、若き日の秋艸道人と、安達さまが混然として区別がつかなくなります)
    京都も同じですが、奈良は、独特の歴史空間の中にあって、人をして、その中に存在する人までもユニークなベールに包んでしまいます。良き体験をされたことでしょう。/E

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  2. この山門は法輪寺です。確かにちょっと外の景色が雑然としてるのが難点ですね。

    鉄也さんは本当に会津八一のことが好きなんですね。同じ鹿の眼の歌でも完成度には雲泥の差があります。僕の歌は歌会に出しても「わからない」ってただそれだけでしたから。会津八一みたいな一般性は出せないですね。

    奈良は本当に素晴らしい場所でした。今度は明日香に行ってみたいです。

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