2012年10月31日水曜日

2012年10月

10月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が4首、そうでないものが2首で、計6首。御感想を頂けると嬉しい。

淡海

青条揚羽アヲスヂアゲハのからまりほどけゆく夏の終りの一呼吸 空の味

海のやうな湖がある場所にきて釣竿なげる父子をみてゐる

淡海のとうめいなみづ冷たくて終らない夏の終りを思ふ

瓦から生えたつる草もみぢする 園城寺 秋のはじまりのこゑ

ずいぶんと世界が薄いみづいろの空 地平線 をりかへす波

銀杏をふまないやうにかはしゆく花柄のシャツの背中が遠い

2012年10月14日日曜日

塔 2012年10月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の10月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2012年10月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 黒ずんだ畳のうえの招き猫 だれもいないのでカメラを向ける  吉川宏志

2 ふくらはぎ削ぐように塗るクリームの、嘘ならばもっと美しく言え  大森静佳

3 髪の奥のUピンの熱 かたかたと鳴る夕闇に花火を待った  大森静佳

4 幾重にも入りくむ高架すりぬけて肩にふり来る水無月のみず  田村龍平

5 蝉時雨ふいに鳴りやむ静寂に放り出されるあおぞらの青  田村龍平

『塔』を毎月読んでいると、1のような「渋い吉川宏志」とたまに出会えて楽しい。まったく気負いのないこなれた表現から繰り出される閑寂な世界観には、ある種の「悟り」のようなものが感じられる。

――上の句の「削ぐ」という語を使用した鋭い身体描写が、読点によってわずかに希釈されて下の句につながることによって、「嘘ならばもっと美しく言え」というフレーズの切れ味が最大限に引き出されている。

――Uピンのミクロな存在感が誇張された後に開けた視界が導入され、また、「かたかた」と云うやや突飛な擬音語が置かれることによって、多様な身体感覚が同時的に感情を生み出す様がリアルに再現されている。

4、5の、「水無月のみず」、「あおぞらの青」という重複表現を敢えて結句に用いる手法は興味深い。

2012年10月13日土曜日

未来 2012年10月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の10月号を読んだ。このブログで結社誌『塔』に試みているものと同様にして、『未来』の秀歌選をつくってしまいたいと思う――と云ったら、一読者が「秀歌選」とは何様であるか、と憤慨される方もおられるだろう。実を云うと――これは『塔』についても云えることだが――私はこのブログに於る秀歌選を、厳密な意味での「秀歌選」ではなく、短歌評に於る一つの形式であると考えている。

『塔』や『未来』に参加している歌人は極めて多く、歌の数も一つの雑誌に載せる歌数としては有りえないほどのものであるが、その一方で、一人一人の歌人の歌数は比較的少ないという傾向がある。さらにそれぞれの歌人の趣向の統一性が少なく、歌の主題が歌人によって大きく異なる。このような雑誌に於て、統一感のある批評を通常の形式で展開することは困難で、それよりはまず印象に残った歌を列挙するスタイルの方が、筆者にとっても読者にとっても好ましいように思える。それ故の「秀歌選」というわけだ。どうか御容赦頂きたい。

『未来』2012年10月号に掲載されているすべての短歌より10首選んだ。掲載順に記す。

1  とびとびに信号の青の見通せる夕映えの路 カラス飛ぶ街  佐伯裕子

2  隣席に赤い金魚の座りいてあなたに影響を与えたい と言う  槌谷淳子

3  血の滲むような赤さに咲きみちるグラジオラスみなこちらを向いて  槌谷淳子

4  正しいと知っているからもういいねこのマシュマロは私がもらう  中込有美

5  胸元にあえかな桃を捧げもち片瀬江ノ島まで目を瞑る  紺乃卓海

6  夏空にうすずみを零してしまう なんだか息苦しい乾きかた  紺乃卓海

7  雲上はきっとパレードめくるめく靴音を地に響かせてゆく  紺乃卓海

8  夏の夜のはだけた胸に陸揚げをされて飛び交うみどりのさかな  紺乃卓海

9  言い訳は残業でいい 予想より美味しい缶のグリーンカレー  小林千恵

10 星に手は届かじ 恨みを込めた目の先に深爪された中指  増金毅彦

1は遠近感のダイナミズムが弾ける力強い作品。

2、3の槌谷淳子の作品の――特に2の「金魚」に於て顕著なように――一般的に赤いものをわざわざ赤いと云うことで表現されるより鮮烈に「赤い」世界観に驚きを覚えた。2の一字空けにはどこかユーモラスな怪奇が滲む。

4、9は、美味しそうな短歌である。

5、6、7、8の紺乃卓海の作品のアイディアと緻密な構成が興味深い。「片瀬江ノ島」、「うすずみ」、「パレード」、「みどりのさかな」のようなユニークな語を中心として展開される世界は、華やかな楽しさに、切なさや、哀しみを織り込んだ多面的な空間として読者の前に立現れる。

10の、これだけ陰惨な表現を並べてなお読者を惹き付ける作者の手腕に驚く。

松尾芭蕉 秀句選11

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第11回は松尾芭蕉(1644~1694)だ。彼は初め貞門、後に談林と諸流の俳諧に学び、晩年の数次に渡る全国行脚の旅によって、にわかに悟りを得て、それまでの過剰な滑稽味と衒学性を旨とする俳諧とは全く異なる芸術としての俳諧を確立した。その超人的な偉業から後代「俳聖」の二つ名で呼ばれ、時代と国境を越えて現代に於ても愛され続けている。『芭蕉俳句集』(岩波書店)所収の982句より30句選んだ。概ね年代順に記す。

1  うかれける人や初瀬の山櫻

2  富士の風や扇にのせて江戸土産みやげ

3  色付いろづくや豆腐におち薄紅葉うすもみぢ

4  雨の日や世間の秋を堺町さかひちやう

5  琵琶行びはかうの夜や三味線の音あられ

6  よくみればなづな花さく垣ねかな

7  花の雲鐘は上野か淺草

8  醉てむなでしこ咲ける石の上

9  京まではまだ半空なかぞらや雪の雲

10 寒けれど二人寢る夜ぞ頼もしき

11 冬の日や馬上に氷る影法師

12 面白し雪にやならん冬の雨

13 箱根こす人もあるらし今朝の雪

14 さま〴〵の事おもひ出す櫻かな

15 このほどを花に礼いふわかれ哉

16 ほろ〳〵と山吹ちるか瀧の音

17 蛸壺たこつぼやはかなき夢を夏の月

18 おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉

19 たびにあきてけふ幾日いくかやら秋の風

20 身にしみて大根からし秋の風

21 留主るすのまにあれたる神の落葉哉

22 春雨やよもぎをのばす草の道

23 月花もなくて酒のむひとり哉

24 入逢いりあひの鐘もきこえず春の暮

25 石のや夏草赤く露暑し

26 島〴〵や千〻ちゞにくだけて夏の海

27 夏草や兵共つはものどもがゆめの跡

28 しづかさや岩にしみいる蝉の聲

29 あか〳〵と日は難面つれなくもあきの風

30 旅にやんで夢は枯野をかけめぐ

芭蕉の俳句の真髄を語るために、「さび」、「しをり」、「細み」、「軽み」、「風雅の誠」、「不易流行」、「高悟帰俗」等の様々な用語が生み出された。しかもそのほとんどがはっきりとした定義をもたない。このことは、芭蕉の句の魅力を言語化することの困難性を示している。一方で、芭蕉の句が、過去のどの俳人のものよりも広く人口に膾炙し、現代に於て芭蕉ファンが日本国内にとどまらず世界各地に存在していることを鑑みると、彼の句の魅力を直感的に感ずることは極めて容易であることもわかる。この記事では、この不思議な芭蕉の魅力について、「風雅の誠」と「軽み」を軸にして考えてみたい。

芭蕉の句には、どこか現実を超越したような高雅な趣がある。この超現実性は、なにも27や30のようなフィクション性の強い作品にのみ存在するものではなく、彼のすべての句に見られるものである。このような彼の俳諧の特質、または彼の作品それ自体を表すものとして、「風雅」という概念がある。

「風雅」については芭蕉自身が『笈の小文』の序に於て、

西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

と語っている。「見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし」――目に見えるもの、心に感ずるものをすべて雅なものに昇華するというのが「風雅」に於る態度であり、「西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり」と彼自身が云うように、このような態度は古来日本の粋人に貫徹するものであった。では、芭蕉の独自性は何処に存するのか。

ここで「誠」という概念が重要になってくる。「誠」については、芭蕉の門人服部土芳が『白さうし』に於て、

夫俳諧といふ事はじまりて、代々利口にのみたはむれ、先達終に誠を知らず。中頃難波の梅翁、自由をふるひて世上に広しといへども、中分いかにしていまだ詞を以てかしこき名也。しかるに亡師芭蕉翁、此道に出て三十余年、俳諧初て実を得たり。師の俳諧は名はむかしの名にしてむかしの俳諧に非ず。誠の俳諧也。

と述べているように、「誠」とは「実」、つまり迫真性のことである。確かに、芭蕉の句には、ある種の写実性というか、素直な人間感情に即した味わいがある。芭蕉の「風雅」は、例えば『古今和歌集』や『新古今和歌集』のような勅撰和歌集の短歌に見られるような、貴族社会に於て高度に発達した美的枠組みに基づく超現実性を基盤とするのではなく、日々の生活に於る自然な人間感情を極度に純化した到達点としての超現実性を志向するのであり、この点に於て、芭蕉の詩は、それまでの『古今和歌集』を頂点とする日本の詩の本道とは一線を画するものとなり、和歌と区別される全く新しい文芸としての俳諧が創始されたのである。「誠」を体現する「風雅」――「風雅の誠」と呼ばれる境地である。

ここで、実際に表される言葉に於て、どうのようにして人間感情の純化ということが行われるのか、ということが問題になる。ここでは、一つのテクニックとしての「軽み」を考えてみたい(本来芭蕉が用いた「軽み」は、句の内容にまで渡る幅広い意味を持つ概念であるが、ここではその一側面を照らし出してみたい)。「軽み」とはなにか。28と30を見てほしい。この両句に於て、「岩にしみ入蝉の聲」と「夢は枯野をかけ廻る」はそれぞれの句の詩的核心を示す非常に密度の高いフレーズであり、初句には、これらの核心的詩情を妨害せず、更に引き立たせる効果が求められる。それぞれ実際の初句は、「旅に病で」、「閑さや」と、軽く状況を付加するものであり、二句目以降の核心を妨げることなく句の世界観の拡張に成功している。この軽重のバランスこそが「軽み」であり、芭蕉の軽みは句によって自在に変化する。14と18を見てほしい。「さま〴〵の事おもひ出す」、「おもしろうてやがてかなしき」、この両句の初めの二句はともすればすかすかな印象を受けるほど軽い。しかし、結句に於てそれぞれ、「櫻」と「鵜舟」が導入されることによって、この軽さは、人間の悲喜こもごも、すべてを映し出す鏡へと変身する。このように、芭蕉の句に於て、軽みは豊かな人間感情の起点として機能する。

芭蕉の句の魅力と云えばまず「わび・さび」という言葉を想起する方も多いだろう。しかし、彼の抒情の本質を貫くのは、「誠」をもとにした「風雅」への強い志向、つまり「風雅の誠」であり、彼はこの理想を実現するテクニックとして、「軽み」を重視した。真の豊かさが軽さの内に表れるというのは、古来の東洋文化に於る思想、方法を吸収発展させて得られた芭蕉一流の卓見であり、わび・さびもまた軽みから生ずる多様な情感の一類型と云えるであろう。

参考文献
(1)三浦俊彦「風雅のパラドクスと芭蕉――「枯野をかけめぐる」ものの考察――」(1989、東京大学比較文学・文化研究会『比較文学・文化論集』第6号)
(2)能勢朝次『芭蕉の俳論』(1948、大八洲出版)

2012年10月8日月曜日

瓦から生えたつる草もみぢする

急に琵琶湖が見たくなって、地図で調べてみたら、北白川から大津までは「志賀越道(京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線)」と呼ばれる山道が最短距離なようで、予想以上に近い。これは良い、ということで、さっそくいつものママチャリに乗って家を出る。出た、が、この山道尋常ならざる傾斜の昇り道が延々と続く。そもそも、明らかに自転車での通行は想定されていなくて、自動車しか通っていない。況んやママチャリをや、である。それでも、死にそうになりながら、琵琶湖まで辿り着いて、辿り着いたのいいけれど、同じ道を戻る体力も気力もない。帰りは、山科経由の迂廻路で帰った。まさに急がば回れである。急がば回れついでにちょっと調べてみたら、「急がば回れ」は、室町時代の連歌師宗長(1448~1532)の、

もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋

という歌が語源らしい。矢橋から船を使って琵琶湖を渡ったほうが速いけれど、比叡山から吹き下ろされる風(比叡おろし)によって危険な航路であるから、瀬田の唐橋を渡った方がいいよ、という意味。

海のやうな湖がある場所にきて釣竿なげる父子をみてゐる
ずいぶんと世界が薄いみづいろの空 地平線 をりかへす波
淡海のとうめいなみづ冷たくて終らない夏の終りを思ふ
瓦から生えたつる草もみぢする 園城寺 秋のはじまりのこゑ

2012年10月7日日曜日

2012年9月

9月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が5首、そうでないものが2首で、計7首。御感想を頂けると嬉しい。

黄金

新宿へむかふ車窓に目をあけてゐるひとと目をとぢてゐるひと

なめらかな尾びれを見せてぬらぬらと睡蓮の間をゆく鯉のみち

島じまを束ねた水上帝国の王たる黄金色の睡蓮

こがね色の稲穂の海に甍舟いらかぶね浮かびあらそふ奈良なつのはて

あをあをと墳丘まろきこの場所からいちばん綺麗な明日香が見える

掌に銀の星宿煌めかせ古墳の谷になびくすすき穂

黄昏の稲穂にともる太陽は青い私の眼を灼くばかり

開放区 第95号

短歌同人誌『開放区』(現代短歌館)の第95号を読んだ。

この『開放区』には、様々な個性の歌が掲載されているけども、敢えて傾向を云うなら、「現実直視」ということが挙げられのではないだろうか。原発詠を中心とした社会詠の占める比率が大きいこともその傾向を示している。短歌に於ける現実直視――これがどうも苦手である。何も『開放区』に限らずとも、結社誌の『塔』でも、総合誌の『短歌研究』でもなんでも良いのだけれど、短歌の雑誌を開いたらそこにはすぐに「現実直視」が顔を出す。いや、現実直視自体に文句を云いたいわけではない。例えば、

我を生みしはこの鳥骸のごときものかさればよれしことに黙す  齋藤史

これなんて現実直視の極みだけれど、定型を無視した、それでいてどこにも淀みがない怒涛の韻律によって、現実の惨たらしさを、なにか別の次元に昇華できていると云えるだろう。それが、今の歌人の現実直視になると、韻律や言葉の遣い方まで、すべて現実そのものというか、無骨な言葉で無骨な内容を無骨に描写して、それでこれこそが現実、人の世に救いなどなし、ということなのかも知れないけれど、読むほうとしては、やたら暗い気分になって、こんなことなら短歌なんて読まなければ良かった、ということになってしまう。現実直視も大いに結構であるけれど、読者が楽しめるような工夫について、現代歌人はもっと考えるべきではないか。

『開放区』の評から離れてしまったようだ。笹谷潤子の連作「記憶」の中の、

郷愁のイングランドよわれにさへ久しき昔とふ時のあり

この一首が心に響いた。遠いイングランドを「郷愁」と規定する作者の精神は、今、どこにあるのだろうか。

2012年10月6日土曜日

酒井抱一 秀句選10

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第10回は酒井抱一(1761~1829)だ。彼は代表作「夏秋草図屏風」、「月に秋草図屏風」(ともに重要文化財)等で知られる江戸時代後期を代表する画家の一人だ。抱一は、名門酒井雅楽頭家の酒井忠仰の子であり、兄は第二代姫路藩主の酒井忠以。元来学問芸術に厚い酒井家の家風のもと、抱一も幼時より画、俳諧、和歌、連歌、国学、書、能、仕舞等の多様な教養を身につける。兄忠以の子で甥の忠道が誕生(1777)し、嫡流から完全に外れた抱一は急速に市井の芸文世界に接近、20代を通じて多様な文人と交流する。この時期の画業としては、歌川豊春(1735~1814)に師事した肉筆浮世絵(当世美人画)が挙げられる。

1787年から始まった松平定信の「寛政の改革」による風紀統制、更には最大の理解者であった兄忠以の死(1790)によって、抱一を取り巻く環境は一変する。抱一は浮世絵美人画からの撤退を余儀なくされ、1797年には半ば強制的な形で出家することになる。そんな彼に新たな刺激をもたらしたのは、尾形光琳(1658~1716)の存在であった。光琳の存在を知り、彼の画風に強い衝撃を覚えた抱一は、人脈を駆使して光琳を中心とした琳派の作品を広く鑑定、模写する等、熱心に研究し、1815年には光琳百回忌を記念して光琳の作品42点を展覧する「尾形光琳居士一百週諱展覧会」を開催、更には日本史上初の個人画集『光琳百図』を刊行、広く光琳の画風の紹介し、また、光琳の後継者としての自らの立場を表明する。

光琳の画風に強く影響され、彼の後継者を自任した抱一であるが、彼の画は、より都会的に洗練された緻密な描写、洒脱な構図等に於て、光琳のそれとは厳格に区別される特徴を有する。特に、種々の花鳥画に彼の独創性は強く発揮され、その集大成としては、一橋治済(十一代将軍徳川家斉の父)の命(1821)によって、尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏に直接描かれた「夏秋草図屏風」が挙げられるだろう。この画は風にそよぐ秋草が風神に、雨に打たれる夏草が雷神に対応するという意匠を持つのであるが、ここに決して派手ではない草花の描写を通して風神雷神に並び立たしめる抱一の驚くべき画力を堪能することができる。

俳諧もまた彼の生涯を通じて探求された芸術であった。画に於ける光琳のように、抱一は宝井其角(1661~1707)に私淑し、古典の教養に裏付けられた難解な句を多く残したが、晩年には平明な句風に移行している。竹の家主人編『西鶴抱一句集』(文芸之日本社)所収の491句より29句選んだ。掲載順に記す(漢字のルビは、読解の便の為、筆者が新たに補った)。

1  よの中は團十郎や今朝の春

2  いく度も清少納言はつがすみ

3  田から田に降ゆく雨の蛙哉

4  錢突ぜについて花に別るゝ出茶屋かな

5  ゆきとのみいろはに櫻ちりぬるを

6  新蕎麥のかけ札早し呼子鳥

7  一幅の春掛ものやまどの富士

8  膝抱いて誰もう月の空ながめ

9  解脱して魔界崩るゝ芥子の花

10 紫陽花や田の字づくしの濡ゆかた

11 すげ笠の紐ゆふぐれや夏祓

12 素麺にわたせる箸や銀河あまのがは

13 星一ッ殘して落る花火かな

14 水田返す初いなづまや鍬の先

15 黒樂の茶碗のかけやいなびかり

16 魚一ッ花野の中の水溜り

17 名月や曇ながらも無提灯

18 先一葉秋に捨たるうちは哉

19 新蕎麥や一とふね秋の湊入り

20 沙魚はぜ釣りや蒼海原の田うへ笠

21 もみぢ折る人や車の醉さまし

22 又もみぢ赤き木間の宮居かな

23 紅葉見やこの頃人もふところ手

24 あゝ欠び唐土迄も秋の暮

25 つばくろの殘りて一羽九月盡くぐわつじん

26 山川のいわなやまめや散もみぢ

27 河豚喰た日はふぐくうた心かな

28 寒菊の葉や山川の魚の鰭

29 此年も狐舞せて越えにけり

2、12のようなあからさまなウケ狙いに走っている句に顕著なように、抱一の句には「重さ」はなく、全体的に「軽い」句風であるといってよい。この「軽み」をもって正岡子規などは『病床六尺』に於て、

抱一はういつの画、濃艶のうえん愛すべしといへども、俳句に至つては拙劣せつれつ見るに堪へず。その濃艶なる画にその拙劣なる句のさんあるに至つては金殿に反古ほご張りの障子を見るが如く釣り合はぬ事甚だし。

と酷評しているが、これは表層的な見解である。「軽み」のもたらす味わいは、5、26のような軽快なリズムにまずはっきりと見て取れるだろう。「軽み」の魅力は更に14、19のような清新な味わいや、11、13、29のようなどこか浪漫的な情趣に拡大される。派手なモティーフも、複雑な構成もなくさまざまな詩情を展開する点は彼の画に通じる部分があるだろう。

また、句を通して、江戸時代の風俗を追体験できるところも魅力の一つだ。1、10、15、21、27のような、あるいは彼のすべての句に、この時代の人々のありさまを、まるで自分もそばにいるかのようにリアルに体感できる。このようなことは、ただ同時代の風俗に言及すれば良いというものではなく、抱一の超時代的に洗練されたセンスによってのみ成り立つものであろう。

画に於ても俳諧に於ても、抱一の芸術の核心は、極めて洗練度の高い美的感性であり、それは古今を問わない多様な芸術家から吸収したアイディアと、彼の天性の才に裏づけられたものであった。高度な技術に支えられた彼の芸術には彼の感性が如実に表現され、時代を越えて私たちに感動を与え続けている。

参考文献
(1)仲町啓子監修『酒井抱一 江戸琳派の粋人(別冊太陽 日本のこころ 177)』(平凡社)