7月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が4首、そうでないものが7首で、計11首。御感想を頂けると嬉しい。
ニウス
それぞれの軌道を見せてゆるやかにつばめ散開する町はづれ
雨上がりの腕に小蜘蛛をまとはせてすこしだけ高い空を見てゐた
立葵崩れたままの中庭に青い如雨露をかたむけてゐた
早朝の雨につばめが
都はづれに朝はおとづれ山際に鳥の過ぎ去る様を見てゐつ
水分を失ひやすき夏の日に立葵崩れつつ咲き継げり
水分を失ひやすき夏の日は祇園祭の群集の中
あふれだすインクの海をくぐりぬけ夏には白い雲ばかり行く
たかいところひくいところに散らばつた雲をひとひらすくひとるひと
てふてふのまはる向日葵まはるまはるどのめぐりにもひらく花、花。
雨上がりの腕に小蜘蛛をまとはせてすこしだけ高い空を見てゐた
返信削除がすきです。
こんばんは。
返信削除暑い夏に、それでも、透明感を感じるのは気のせいでしょうか。
「雨上がりの腕に小蜘蛛をまとはせてすこしだけ高い空を見てゐた」
盛夏到来とも言える印象があります。そして熱気も感じるのですが、まとわりつかない暑さ。
夕立の後の貴船を思い出しました。
ひまわりは私が好きな花なので、やはり、躍動感を感じ、気に入っています。
久しぶりに訪問をさせていただきました。京都の夏を、景冬さんの五感で、感じ取って、紡がれる言葉が楽しみです。
>匿名さん
返信削除匿名さん、ありがとうございます。嬉しいです。
それぞれの軌道を見せてゆるやかにつばめ散開する町はづれ
返信削除早朝の雨につばめが拐(さら)はれた事件のニウスを聴く朝の卓
(燕の歌、二首の、動く様が見えるようで、そして、「雨にさらわれた」という特異な事件性。歌には、重要なエレメント。「操縦棹あやつり見事子燕の車縫いゆく大和街道」は、ある老歌友の詠った歌をなつかしく思い出します)
都はづれに朝はおとづれ山際に鳥の過ぎ去る様を見てゐつ
(都のはずれは、情緒のある言葉です。村はずれには、地蔵さんが立っていて、標(しめ)があって。京・山科の六地蔵も、由緒ある場所でしょうか。写真は、都はずれを示していることでしょうか。なつかしい感じがします)
立葵崩れたままの中庭に青い如雨露をかたむけてゐた
水分を失ひやすき夏の日に立葵崩れつつ咲き継げり
(タチアオイの歌、二首に、水分を失って崩れつつ咲く姿に哀れを感じます。)
水分を失ひやすき夏の日は祇園祭の群集の中
(惜しむらくは、祇園祭の群集の中に、作者の姿を見出しえません)
青条揚羽(アヲスヂアゲハ)のさまよふ向きに十字路をはづれてすこしづつ曲がる道
(十字路、交差路、大阪・河内長野市の「七つ辻」などの道は、歌の詞になりますね)
良き歌を示していただき、有難うございます。/E
>さかききこさん
返信削除てふてふの歌は繰り返しをたくさん入れて調子乗り過ぎ感があったんですけど、躍動感があるっていって貰えて良かったです。
>HaraTetsuya1さん
返信削除子燕が操縦桿を操るっていう発想はおもしろいですね。燕の飛ぶ様を見ているといろいろなアイディアが湧いて来ます。
写真は亀岡です。歌の内容とはあまり関係が無いですね。
祇園祭の歌、鉄也さんの指摘の通りだと思います。僕は無生物的な表現が好きで・・・。
>それぞれの軌道を見せてゆるやかにつばめ散開する町はづれ
返信削除>あふれだすインクの海をくぐりぬけ夏には白い雲ばかり行く
この2首が特に好きです。
景色に既視感を感じ・・・不思議な懐かしさで胸が満たされます。たぶん、実際に見た風景ではないのだけど、こういった世界への憧れとでもいうのかな。。。
とても、透明感のある素敵なお歌ですね。。。
たかいところひくいところに散らばつた雲をひとひらすくひとるひと
返信削除が、とってもいいと思いました。
>HANAさん
返信削除ありがとうございます。僕の歌は基本的に実景ベースなんですけれど、最近はフィクション的な要素を交えて感動をより豊かに表現することを考えています。HANAさんが選んで下さった二首も、現実そのものではありませんけれど、核の部分は僕が体験した現実そのものです。
>英さん
返信削除ありがとうございます。その歌はかなり意図的に後半の韻律を揃えたんですけれど、気に入って貰えて嬉しいです。