2011年5月26日木曜日

短歌研究 2011年5月号、6月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の6月号を読んだ。今号には前号以上に震災短歌が満ちあふれていた。その中でも放射性物質を扱った歌が特に酷いので、前号にあった歌も含めて、特に気になった五首を批判したい。

ある日突然滅亡するか人類は放射能空を海を漂ふ  時田則雄

一CC当り三百九十万ベクレルの春の水面にひたしいし足  奥田亡羊

核燃料は冷やされて燃え続けをり「明けない夜は無い」といふ嘘  高野公彦

原発は人を養ひ、しかすがに燃ゆる火芯くわしんは人をなみすも  高野公彦

セシウムの炎白銀の光なしこの空青くさくら咲きゆく  馬場あき子

まず時田則雄の作品は論外だ。放射能とは、「放射性元素の原子核が自然に崩壊して放射線を出す性質。また、その現象」のことで、当然のことだが、「性質」が空や海を漂ったりはしない。これは単純な放射性物質と放射能との混同で、読んでいるほうが恥ずかしくなるようなレベルの勘違いだ。

二首目の奥田亡羊の歌は、「三百九十万」という数値のインパクトを狙った、ただそれだけの短歌だが、こういう類のインパクトを前面に押し出すことには危険性が伴う。というのも、数値は単位の定義との関係で初めて意味をもってくるもので、三百九十万ベクレルは、三十九億ミリベクレルでもあるし、三千九百キロベクレルでもある。1ベクレルは「1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能の量」を表すが、このように直観的な理解が困難な単位の「三百九十万」という数値を振り回して、「一CC当り」などと「科学らしさ」を演出するあたりには、「短歌」という短い詩形がもつ危険性、「科学」や「数値」がもつ危険性が端的に表れていると思う。

三、四、五首目の作品には、共通して放射性物質が燃えて炎となっているようなモチーフがある。ここでわざわざ説明することではないが、原子力発電所では、水で満たされた原子炉内に燃料棒があり、そこに含まれるウラン235やプルトニウム239のような放射性同位体を核分裂させることによって発生した熱が水を沸騰させ、水蒸気がタービンを回すことによって発電している。ここで、核分裂は燃焼(炎の発生を伴う酸化)とはまったく異なる反応であることをわざわざ確認しなくても、燃料棒が「水中に存在する」というイメージさえあれば、「燃える」「炎」のモチーフがいかに現実と遊離しているかが理解できるだろう。

最後に確認するが、短歌の内容は事実を正確に描写する必要はないし、もちろん自然科学の法則なんて無視しても構わない。ただ、ここに挙げた短歌における「虚構」に、私は詩的なイメージの飛躍を感じとることができない。極めて初歩的な事実の誤認に基づく「勘違い」にしか見えないのだ。もしかしたら、作者にはなにか意図があるのかもしれない。しかし、作品を素直に読む限りでは、ここに展開したような批判は自然に出てくるものだと思う。また、そういう批判に対する作者の反応で新たなことが見えてくることもあるだろう。ところが、歌壇にはこのような批判をする人間はいない。ここに挙げた四人の歌人は、いずれも華々しい経歴(受賞歴)をもつ歌壇の指導的な立場にある人物だが、このような「権威」の作品を作品の内容を無視してまで享受したいという考えは理解できないし、そのような空気が罷り通る分野は衰退を免れないと思う。

2011年5月20日金曜日

百年猶予

石川幸雄の第二歌集『百年猶予』(2010、ミューズ・コーポレーション)の評を書く。

まず、前作『解体心書』(ながらみ書房)についてだが、歌集のタイトルに表れているように、粋な「石川節」とも言える独特な歌風が冴えわたっている印象を受けた。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

のような歌にその特徴が表れている。もちろん「百年猶予」でも石川節は健在だ。しかし、この歌集の魅力は、「解体心書」にはなかった深い哀しみを感じさせる歌にあると思う。例えば、

父親を兄を息子を弟を夫を孤独を演じるわれは

という歌がある。この歌にあるような「人生という名の演劇」、そしてその役者としての石川幸雄という構図が、この歌集のモチーフとして存在しているような気がする。

改札で別れた姿を見ぬように前向き歩く中央線ホーム

クスリ切れて血走る脳を珈琲にゆだねて街の覚醒待てり

モルフォ蝶の青い切手はいつか書く手紙の為に取り置きしもの

この三首は連続した作品ではなく、それぞれ別のページに配置されている。しかし、掲載順はこの通りだ。一首一首が小説的な要素を強く含んでいる。そしてこの掲載順もまた物語性をもってくる。これがそのまんま石川幸雄の人生の一シーンなのか、あるいはそうでないのかは私にはわからない。しかしいずれにせよ、哀しい歌だと思う。見えないはずの歌の背景が脳裡に展開されていくような感覚がある。この歌集ではこういう「物語」の間に、

潮風は吹いてこないがゆきましょう海なら四囲のどこにでもある

のような不思議な提案や、

あこがれは記憶の嘘となりましてわが風景に雨のふるふる

のような彼にしか見えない特殊な情景が挟まれる。そして、すべての歌は、表題歌の、

生きるとは罪なり余程永くとも百年猶予 のちには死刑

に収束していく。これは彼が到達した、人生に対する一つの答えなのだろう。

2011年5月18日水曜日

蜂の貌

今日も大学へ行く。

いまひとたび逢ふことはなくここに昨日しづかに伏してゐし蜂の貌

2011年5月16日月曜日

薄い街

佐藤弓生の第三歌集『薄い街』(2010、沖積舎)の評を書く。

以前、彼女の第二歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため』(角川書店)を読んだときには凄まじい衝撃を受けた。この歌集にあった歌をいくつか紹介したい。

人工衛星サテライト群れつどわせてほたるなすほのかな胸であった 地球は

死ねカワラヒワのように、と歌ったらなにかやさしく お茶にしましょう

ほのひかる貝のごとくを耳に当てもしもしそちらシルル紀ですか

いらんかね耳いらんかね 青空の奥のおるがんうるわしい日に

知らないひとについて行ってはいけませんたとえばあの夕陽など

これらの歌を見れば私の受けた衝撃を理解して頂けると思う。場所とか時間とかそういう概念がどうでもよくなってくるくらいどこにも留まらない視点、短歌という枠組みに縛られているはずなのに束縛を一切感じさせない表現技法、そういう点で、この歌集は現代短歌のもつ可能性をはっきりと示していた。

そして今回の「薄い街」、この歌集を単純にインパクトという点で見れば、前作には及ばないと思う。しかし、別の方向で佐藤弓生は進化を続けているように感じた。まず、表題歌を見てほしい。

手ぶくろをはずすとはがき冷えていてどこかにあるはずの薄い街

この「薄い街」は稲垣足穂の短編から採られているようで、

この街は地球上に到る所にあります。ただ目下のところたいへん薄いだけです。

稲垣足穂「薄い街」

という詞書が付せられている。私はこの歌にこの歌集の特徴が凝縮されているように感じた。どこか身近で親しみをもてる上の句から、下の句にかけて違和感なく流れるように抽象的な「薄い街」へとつないでいく――実際に同じような構造をもった歌がこの歌集には多い。

階段にうすくち醤油香る朝わたしがいなくなる未来から

風の中めがねずらせばミルフィーユみたいにふるいあたらしい町

ざっくりと西瓜を切れば立ちのぼる夜のしじまのはての廃星

みずいろの風船ごしに触れている風船売りの青年の肺

ささいな日常からの大きな詩的跳躍、そして「未来」「町」「廃星」「肺」のような印象的な語で静かに、余情をもってまとめあげる、このあたりの技量には目を見張るものがある。

また、個性的なものの見かたに驚かされる歌も多い。例えば、

夏の朝なんにもあげるものがない、あなた、あたしの名前をあげる

喘ぎ、つつ、わが漕ぎ、ゆけば、自転車になりたい夏にさいなまれたい

まよなかにおなかがすいていつまでもにんげんでいるなんて、錯覚

うつくしいうみうし増えて増えて増えて増えて人を憎んでいる暇なんか

これらの歌は完全に佐藤弓生独自の世界で、あとはもう読者がついてゆけるか、ゆけないかの問題になってくるのだろう。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

花器となる春昼後刻 喉に挿すひとの器官を花と思えば

赤い石鹸になりたいあたたかいあなたの手から溶けてゆきたい

夢を碾く わたしのゆめがどなたかのゆめの地層をなしますように

うつくしい牛の眼をして運命がまだやわらかいぼくを見ていた

2011年5月8日日曜日

短歌研究 2011年5月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の5月号を読んだ。

東日本大震災が起きたことによって、私はあることを危惧していた。それは、震災を扱った短歌が無神経な歌人によって量産されるということだ。そしてその恐れは現実となった。この号には多くの震災を扱った短歌が寄稿されていた。もちろん私は震災に関連して詩を創作することを否定しているわけではない。しかし、「歌人」という人種は恐ろしいことに、テレビで見た映像だけで短歌を詠む。本来テレビのような表層的なメディアで得た情報のみで詩を詠むなどということはありえないと思うのだが、歌人は平気でそういうことをする。そういう安易な作品において、「東日本大震災」は、「千年に一度の災害」ではなく、「短歌のお題の一つ」に成り下がってしまう。常に「短歌」を「生産」するために眼を光らせ、「お題」になりそうなものがあればハイエナのように食らいつく――こういった態度には激しい嫌悪感を覚える。

しかし救いはあった。東直子も「押し寄せたもの」という震災を扱った連作を寄稿していたのだが、この作品群は非常に興味深かった。胸を揺さぶるような感情的な作品が多かったが、私にはそんな作品の間にあった、

忘れられない三月の桃の花終わった桃も桃であること

という一首が印象に残った。こういう「なにも主張していない」のに多くのことを訴えてくる短歌が好きだ。

2011年5月7日土曜日

ゆきさきは 街

買い物に行く。

どこへでもゆきたくてどこにもゆけない私のめざすゆきさきは 街

2011年5月6日金曜日

球体の破壊

たんぽぽが咲いていた。

球体の破壊あるいはたんぽぽの綿毛をとばす 遠くへ あるいは