2011年6月7日火曜日

開放区 第91号

短歌同人誌『開放区』(現代短歌館)の第91号を読んだ。笹谷潤子の連作「今、ここで」に魅力を感じる。特に、

寒ければいよいよ甘し大根のやうなわれなり冬を愛する

人生の晩ごはんまだ食べてない ひざに眠れる猫をなでたり

この春は白き服着む今ここのすべてをうつす旗となるため

この3首は印象深い。極めて日常的な事柄からの連続的でほのかな世界観の拡張、優しさが感じられる語調、自然で必然的な文語・旧仮名遣いの使用――こういう短歌を読むとつい嬉しくなってしまう。三首目の「旗」は実際に「象徴」として使用されるものだけれど、言葉の上でも象徴として用いると、二重の象徴性というか、特殊な効果が表れるような気がする。

それにしても、この同人誌、完成度が非常に高い。作品が読みやすい文字サイズ、フォントで並べられていて、間のエッセイや歌論も興味深く、充実している。

この号では「短歌の前衛を考える」という特集があって、前川博、田島邦彦、石川幸雄の三氏が前衛短歌についての歌論を発表していた。私は前衛短歌の歴史に疎いので、この歌論は勉強になった。

ここで、一応「前衛短歌」について軽く説明すると、前衛短歌というのは、1950年代に塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』を契機として起こった一連の革新的な短歌のことで、他に前衛短歌とされる代表的な歌人に、寺山修司、岡井隆などがいる。どう「革新的」かについては、私が説明するよりも「塚本邦雄」でウィキペディアを見たほうが早い。

実は私は、この前衛短歌のよさがわからないことに悩んでいた。自分はよさがわからないのに、多くの歌人が塚本邦雄や寺山修司の作品を読んで短歌を始めたとか、影響を受けているとか言うのを見るとどうにももどかしい。しかし、この思いは石川幸雄の歌論「日の当たる野を贈るために」の中に引用されていた菱川善夫の歌論『敗北の抒情』(1958年)の一節によって解消されたように思う。孫引きになってしまうが、引用したい。

まことに韻律は墓場である。晶子を始めとする近代短歌史上の、あらゆる天才たちを没落へとひきづりおろしたものが、韻律であり、音楽であった。短歌的抒情が例外なく古典的世界へ回帰するという抒情的秩序、実在する現実と人間との相互関係を、完全に切断する抒情の終末、これが墓場でなくなんであろうか。

もちろん菱川善夫は、この「墓場」というのを否定的な意味で用いていて、

そして今もなおそのような墓場の制作に、営々としていそしんでいるマイナー・ポエットに、心底から哀悼し得るもののみが、はじめて現代の歌人たり得るのである。

と結論している。この文章はめちゃめちゃうまい。私にもここで言う「墓場」を叩き壊して「実在する現実と人間との相互関係」を追求するのが前衛短歌だってことがよくわかった。そして自分が前衛短歌のよさがわからない理由もわかった。

私は、「実在する現実と人間との相互関係」よりも「墓」のほうに関心があって、「墓場の制作に、営々としていそしんでいるマイナー・ポエット」なんてフレーズに痛烈な皮肉を感じるどころか、「最高じゃん、それ」となってしまう。これでは前衛短歌を理解できるはずがない。

2011年6月5日日曜日

アヲサギハウゴカズ

蒼鷺は動かない。

蒼鷺の澄めるまなこは水田に映るアパートなど気にもせず
アヲサギハウゴカズ 動く私もしばらくは蒼い身体を見つめてゐよう

2011年6月2日木曜日

2011年4月、5月

4月と5月に詠んだ短歌をまとめておく。すべて既にこのブログに公開した歌で、計7首。御感想を頂けると嬉しい。

球体

薄闇のホームを抜けて無灯火の車両に淡き春の陽の満つ

大学へ向かふ昇り坂 人並の幸せとしてさくらはな咲く

春雨の降る駐車場帰りゆく浮かぬ心にあまた水紋

もうやはらかくほほをうつこともなく――霧中に浮かぶ街に雨降る

球体の破壊あるいはたんぽぽの綿毛をとばす 遠くへ あるいは

どこへでもゆきたくてどこにもゆけない私のめざすゆきさきは 街

いまひとたび逢ふことはなくここに昨日しづかに伏してゐし蜂の貌

2011年5月26日木曜日

短歌研究 2011年5月号、6月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の6月号を読んだ。今号には前号以上に震災短歌が満ちあふれていた。その中でも放射性物質を扱った歌が特に酷いので、前号にあった歌も含めて、特に気になった五首を批判したい。

ある日突然滅亡するか人類は放射能空を海を漂ふ  時田則雄

一CC当り三百九十万ベクレルの春の水面にひたしいし足  奥田亡羊

核燃料は冷やされて燃え続けをり「明けない夜は無い」といふ嘘  高野公彦

原発は人を養ひ、しかすがに燃ゆる火芯くわしんは人をなみすも  高野公彦

セシウムの炎白銀の光なしこの空青くさくら咲きゆく  馬場あき子

まず時田則雄の作品は論外だ。放射能とは、「放射性元素の原子核が自然に崩壊して放射線を出す性質。また、その現象」のことで、当然のことだが、「性質」が空や海を漂ったりはしない。これは単純な放射性物質と放射能との混同で、読んでいるほうが恥ずかしくなるようなレベルの勘違いだ。

二首目の奥田亡羊の歌は、「三百九十万」という数値のインパクトを狙った、ただそれだけの短歌だが、こういう類のインパクトを前面に押し出すことには危険性が伴う。というのも、数値は単位の定義との関係で初めて意味をもってくるもので、三百九十万ベクレルは、三十九億ミリベクレルでもあるし、三千九百キロベクレルでもある。1ベクレルは「1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能の量」を表すが、このように直観的な理解が困難な単位の「三百九十万」という数値を振り回して、「一CC当り」などと「科学らしさ」を演出するあたりには、「短歌」という短い詩形がもつ危険性、「科学」や「数値」がもつ危険性が端的に表れていると思う。

三、四、五首目の作品には、共通して放射性物質が燃えて炎となっているようなモチーフがある。ここでわざわざ説明することではないが、原子力発電所では、水で満たされた原子炉内に燃料棒があり、そこに含まれるウラン235やプルトニウム239のような放射性同位体を核分裂させることによって発生した熱が水を沸騰させ、水蒸気がタービンを回すことによって発電している。ここで、核分裂は燃焼(炎の発生を伴う酸化)とはまったく異なる反応であることをわざわざ確認しなくても、燃料棒が「水中に存在する」というイメージさえあれば、「燃える」「炎」のモチーフがいかに現実と遊離しているかが理解できるだろう。

最後に確認するが、短歌の内容は事実を正確に描写する必要はないし、もちろん自然科学の法則なんて無視しても構わない。ただ、ここに挙げた短歌における「虚構」に、私は詩的なイメージの飛躍を感じとることができない。極めて初歩的な事実の誤認に基づく「勘違い」にしか見えないのだ。もしかしたら、作者にはなにか意図があるのかもしれない。しかし、作品を素直に読む限りでは、ここに展開したような批判は自然に出てくるものだと思う。また、そういう批判に対する作者の反応で新たなことが見えてくることもあるだろう。ところが、歌壇にはこのような批判をする人間はいない。ここに挙げた四人の歌人は、いずれも華々しい経歴(受賞歴)をもつ歌壇の指導的な立場にある人物だが、このような「権威」の作品を作品の内容を無視してまで享受したいという考えは理解できないし、そのような空気が罷り通る分野は衰退を免れないと思う。

2011年5月20日金曜日

百年猶予

石川幸雄の第二歌集『百年猶予』(2010、ミューズ・コーポレーション)の評を書く。

まず、前作『解体心書』(ながらみ書房)についてだが、歌集のタイトルに表れているように、粋な「石川節」とも言える独特な歌風が冴えわたっている印象を受けた。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

のような歌にその特徴が表れている。もちろん「百年猶予」でも石川節は健在だ。しかし、この歌集の魅力は、「解体心書」にはなかった深い哀しみを感じさせる歌にあると思う。例えば、

父親を兄を息子を弟を夫を孤独を演じるわれは

という歌がある。この歌にあるような「人生という名の演劇」、そしてその役者としての石川幸雄という構図が、この歌集のモチーフとして存在しているような気がする。

改札で別れた姿を見ぬように前向き歩く中央線ホーム

クスリ切れて血走る脳を珈琲にゆだねて街の覚醒待てり

モルフォ蝶の青い切手はいつか書く手紙の為に取り置きしもの

この三首は連続した作品ではなく、それぞれ別のページに配置されている。しかし、掲載順はこの通りだ。一首一首が小説的な要素を強く含んでいる。そしてこの掲載順もまた物語性をもってくる。これがそのまんま石川幸雄の人生の一シーンなのか、あるいはそうでないのかは私にはわからない。しかしいずれにせよ、哀しい歌だと思う。見えないはずの歌の背景が脳裡に展開されていくような感覚がある。この歌集ではこういう「物語」の間に、

潮風は吹いてこないがゆきましょう海なら四囲のどこにでもある

のような不思議な提案や、

あこがれは記憶の嘘となりましてわが風景に雨のふるふる

のような彼にしか見えない特殊な情景が挟まれる。そして、すべての歌は、表題歌の、

生きるとは罪なり余程永くとも百年猶予 のちには死刑

に収束していく。これは彼が到達した、人生に対する一つの答えなのだろう。

2011年5月18日水曜日

蜂の貌

今日も大学へ行く。

いまひとたび逢ふことはなくここに昨日しづかに伏してゐし蜂の貌

2011年5月16日月曜日

薄い街

佐藤弓生の第三歌集『薄い街』(2010、沖積舎)の評を書く。

以前、彼女の第二歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため』(角川書店)を読んだときには凄まじい衝撃を受けた。この歌集にあった歌をいくつか紹介したい。

人工衛星サテライト群れつどわせてほたるなすほのかな胸であった 地球は

死ねカワラヒワのように、と歌ったらなにかやさしく お茶にしましょう

ほのひかる貝のごとくを耳に当てもしもしそちらシルル紀ですか

いらんかね耳いらんかね 青空の奥のおるがんうるわしい日に

知らないひとについて行ってはいけませんたとえばあの夕陽など

これらの歌を見れば私の受けた衝撃を理解して頂けると思う。場所とか時間とかそういう概念がどうでもよくなってくるくらいどこにも留まらない視点、短歌という枠組みに縛られているはずなのに束縛を一切感じさせない表現技法、そういう点で、この歌集は現代短歌のもつ可能性をはっきりと示していた。

そして今回の「薄い街」、この歌集を単純にインパクトという点で見れば、前作には及ばないと思う。しかし、別の方向で佐藤弓生は進化を続けているように感じた。まず、表題歌を見てほしい。

手ぶくろをはずすとはがき冷えていてどこかにあるはずの薄い街

この「薄い街」は稲垣足穂の短編から採られているようで、

この街は地球上に到る所にあります。ただ目下のところたいへん薄いだけです。

稲垣足穂「薄い街」

という詞書が付せられている。私はこの歌にこの歌集の特徴が凝縮されているように感じた。どこか身近で親しみをもてる上の句から、下の句にかけて違和感なく流れるように抽象的な「薄い街」へとつないでいく――実際に同じような構造をもった歌がこの歌集には多い。

階段にうすくち醤油香る朝わたしがいなくなる未来から

風の中めがねずらせばミルフィーユみたいにふるいあたらしい町

ざっくりと西瓜を切れば立ちのぼる夜のしじまのはての廃星

みずいろの風船ごしに触れている風船売りの青年の肺

ささいな日常からの大きな詩的跳躍、そして「未来」「町」「廃星」「肺」のような印象的な語で静かに、余情をもってまとめあげる、このあたりの技量には目を見張るものがある。

また、個性的なものの見かたに驚かされる歌も多い。例えば、

夏の朝なんにもあげるものがない、あなた、あたしの名前をあげる

喘ぎ、つつ、わが漕ぎ、ゆけば、自転車になりたい夏にさいなまれたい

まよなかにおなかがすいていつまでもにんげんでいるなんて、錯覚

うつくしいうみうし増えて増えて増えて増えて人を憎んでいる暇なんか

これらの歌は完全に佐藤弓生独自の世界で、あとはもう読者がついてゆけるか、ゆけないかの問題になってくるのだろう。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

花器となる春昼後刻 喉に挿すひとの器官を花と思えば

赤い石鹸になりたいあたたかいあなたの手から溶けてゆきたい

夢を碾く わたしのゆめがどなたかのゆめの地層をなしますように

うつくしい牛の眼をして運命がまだやわらかいぼくを見ていた

2011年5月8日日曜日

短歌研究 2011年5月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の5月号を読んだ。

東日本大震災が起きたことによって、私はあることを危惧していた。それは、震災を扱った短歌が無神経な歌人によって量産されるということだ。そしてその恐れは現実となった。この号には多くの震災を扱った短歌が寄稿されていた。もちろん私は震災に関連して詩を創作することを否定しているわけではない。しかし、「歌人」という人種は恐ろしいことに、テレビで見た映像だけで短歌を詠む。本来テレビのような表層的なメディアで得た情報のみで詩を詠むなどということはありえないと思うのだが、歌人は平気でそういうことをする。そういう安易な作品において、「東日本大震災」は、「千年に一度の災害」ではなく、「短歌のお題の一つ」に成り下がってしまう。常に「短歌」を「生産」するために眼を光らせ、「お題」になりそうなものがあればハイエナのように食らいつく――こういった態度には激しい嫌悪感を覚える。

しかし救いはあった。東直子も「押し寄せたもの」という震災を扱った連作を寄稿していたのだが、この作品群は非常に興味深かった。胸を揺さぶるような感情的な作品が多かったが、私にはそんな作品の間にあった、

忘れられない三月の桃の花終わった桃も桃であること

という一首が印象に残った。こういう「なにも主張していない」のに多くのことを訴えてくる短歌が好きだ。

2011年5月7日土曜日

ゆきさきは 街

買い物に行く。

どこへでもゆきたくてどこにもゆけない私のめざすゆきさきは 街

2011年5月6日金曜日

球体の破壊

たんぽぽが咲いていた。

球体の破壊あるいはたんぽぽの綿毛をとばす 遠くへ あるいは

2011年4月27日水曜日

ほほを

雨だ。

もうやはらかくほほをうつこともなく――霧中に浮かぶ街に雨降る

2011年4月26日火曜日

富澤赤黄男 秀句選7

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第7回は富澤赤黄男(1902~1962)だ。彼は新興俳句派の俳人の一人とされる。新興俳句とは、水原秋桜子が、1931年に高浜虚子に反発し「ホトトギス」を脱会して起こした「新興俳句運動」に影響されて出現した、一連の新傾向の俳句のことを言う。赤黄男は、抽象表現、隠喩、アナロジーなど西洋的な手法を大胆に用いて、俳句に新しい境地を開いた。四ッ谷龍編『富澤赤黄男』(蝸牛社)所収の300句より24句選んだ。概ね年代順に記す。

1  落日の巨眼の中に凍てし鴉

2  歯を磨く青い空気がゆれてくる

3  陸橋の風のむかうにある冬日

4  この軌道レールの果に繁華な町がある

5  一匹の黒い金魚をうて秋

6  落日をゆく落日をゆく真赤あかい中隊

7  気球なり、あゝ現身うつしみのゆれんとす

8  蒼海が蒼海がまはるではないか

9  春の夜の建てゝ壊した緑の家

10 一本のマッチをすればうみは霧

11 蛇苺 遠く旅ゆくもののあり

12 流木よ せめて南をむいて流れよ

13 あはれこの瓦礫の都 冬の虹

14 蛾の青さ わたしは眠らねばならぬ

15 天の青 わたしがつくるひとつの汚点

16 鳥のゐる枯木 と 鳥のゐぬ枯木

17 葡萄一粒の 弾力と雲

18 草二本だけ生えてゐる 時間

19 無題の月 ここに こわれた木の椅子がある

20 石を積む宿命 鳥は水平に翔び

21 劣等感インフェリオリティコンプレックス――雨だれの音

22 灰の 雨の 中の ヘヤピンを主張せよ

23 破れた木――墓は凝視する

24 ゼロの中 爪立ちをして哭いてゐる

赤黄男の句を読んで、「俳句らしさ」とはなんだろうか、そんなことを考えてみた。赤黄男の句は、普通にイメージされる「俳句」とは大きく異なるように見える。では「俳句らしい」とはどういうことだろうか。

一般に俳句の特徴としては、

1)五七五の定型
2)季語の使用
3)「切れ」の存在

が挙げられる。俳句史上最も有名な俳句、

古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉

を例とすると、まず、五七五の定型はしっかりと守られている。そして、「蛙」は春の季語だ。また、切れ字「や」によって、初句と第二句の間に「切れ」が生じている。この芭蕉の句を俳句と認識できない日本人は少ないだろう。

ここで赤黄男の句をもう一度見る。一見すると、いかにも西洋の現代詩の影響を受けた型破りの無季自由律俳句だ。しかし、先入観にとらわれずに読んでみると、意外と五七五の定型あるいはそれに準じた詩形がとられていることに気づく。そして、7の読点、11、12、13などに見られる一字空け、21、23のダッシュは、「や」、「かな」、「けり」のような切れ字よりも明確に「切れ」を形成している。

では、「季語」はどうだろう。赤黄男の句には季語が存在しないものも多い。

俳句は極めて短い。こんなに短い詩が一つの世界を獲得できるのは、日本人の身体感覚に根差した季語がもつ、先入的なイメージがあるからだ。だがそういう語は「季語」に限るのか。「陸橋」、「中隊」、「家」、「都」、「鳥」、「宿命」、「劣等感」、「墓」、「零」――赤黄男の句にあるこれらの語を見れば、人によって様々なことが心に浮かぶのではないだろうか。時代とともに語のもつ力は移り変わる。四季が、季節というものが人間に与える影響も変わってくる。そうであれば、定められた季語に盲従するのが俳人の、詩人のあるべき姿なのだろうか。赤黄男は、俳句の本質を純粋に追求したのかもしれない。

2011年4月18日月曜日

人並の幸せ

満開の桜が散り始めた。

大学へ向かふ昇り坂 人並の幸せとしてさくらはな咲く
春雨の降る駐車場帰りゆく浮かぬ心にあまた水紋

2011年4月10日日曜日

塔 2011年4月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の4月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2011年4月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 ここにむかし歩道橋があったのだ その赤さびのようなゆうぐれ  吉川宏志

2 絵馬に絵馬重ねて吊るす時雨ふる天満宮の人混みのなか  吉川宏志

3 外は雨であるかもしれず何ごともなければ海であるかもしれず  松村正直

4 焼く前に向きを決めねばならぬとて鳩サブレーの頭は左  相原かろ

5 由良川の流れにそひて下りゆく僕たちは今、日本海へ向く  長谷川博子

1と2の吉川宏志の歌が異常に渋い。2は一見すると客観的に状況を詠んだだけに見えるが、「時雨ふる天満宮の人混みのなか」という状況設定がめちゃめちゃ渋く、そこに前半の「絵馬に絵馬重ねて吊るす」というなんとも言えない味のある動作が重なって、閑寂な世界観を構成している。彼の力量が存分に発揮されている作品だ。

2011年4月6日水曜日

2010年12月 2011年1月、2月、3月

去年の12月、今年の1月、2月、3月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が8首、そうでないものが18首で、計25首。御感想を頂けると嬉しい。

雪降りて真白にならむ大地思ひ幾多の色の現実に立つ

夕闇に工業団地の灰色の煙たゆたふ空へ雲へ

無灯火で自転車こぎゆく暗闇にからだ融けあふもつともつと黒へ 

雪ふらすぼんやり白き空ながめ自転車の鍵かちりと閉めつ

傘散らす雪の軽さに身をゆだね誰も通らぬ白き道ゆく

ほそぼそとわだち頼りに踏みゆきし昨日の想ひ除く除雪車

尾長もつ胸の曲線なめらかに白く交はる雪原を見つ
(胡椒挽きのもつつややかな曲面に君の煙草の歪むを見たり  田口綾子「風上に立つ」)

鈍き音軋ませ緩く止まりたる老いし車輛は雪降る中に

舞ひ降れる雪に埋もるる米原駅まいばらにスプリンクラーはかなく水を

夢のなき街をくぐりて地下鉄は仄かに青く暮るる地上へ

立つ虹の流れをたどり消えてゆく淡き終りを見つめてゐたり

ふるさとの駅に迎への自動車のあることそこにただ あることの

美容師の刻むリズムは軽やかにわたしの髪はもうただの 景色

回転する欲望 回る寿司見つめ少しさみしく鯵の皿とる

乾杯の声テーブルにゆきかひて淡きビールのにがさ噛み締む

ゆきどけに水面はあり冬舗道ひかりを受けていづこにも空

わたしには昨日のあなたの微笑ほほゑみの理由がわかりかねて 月面

山の端も田の面も紅き夕影を見せてひとすぢ白きセスナ機

はくたか・とき・東海道線と乗り継いで小田急線の青き縞見ゆ

つぎは、ひらつか、ひらつかです人のまばらに立つ車両降る

淡雪の降る山国を離れ来てやや暖かきふるさとの風

交差点の傍らに立つ郵便ポスト 行き合ふ自動車くるまは絶ゆることなく

東光飯店・四五六菜館 中華街は街のつづきにゆるやかにあり

とどめたくもとどまらず去る船は長く永く波紋を残しゆきたり

少しづつ回る観覧車デジタルの時計は3時11分です

源実朝 秀歌選4

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第4回は源実朝(1192~1219)だ。彼は源頼朝と北条政子の子、源頼家の弟で、鎌倉幕府第三代征夷大将軍だ。実朝は、1203年、兄の頼家が母政子の一族である北条氏と争い敗れたことで、12歳にして元服、征夷大将軍となった。しかし、幕府の実権は北条氏に掌握され、実朝は早くから政治に興味を失い、官位の昇進のみを望むようになった。そして最終的には右大臣まで登りつめたものの、北条氏の謀略に遭い、実朝を父の仇と信じ込んだ頼家の子、公暁によって鶴岡八幡宮で暗殺された。

こうした経緯から、実朝の政治家としての評価は一般に低い。しかし、彼が残した短歌は極めて高い評価を受けることになる。実朝は、政治に対する失望の反動として、京都の文化に大きな憧憬を抱いた。実朝は、手紙のやりとりを通じて、「新古今和歌集」、「小倉百人一首」の撰者である藤原定家に師事した。また、「古今和歌集」、「万葉集」を熟読し、当時の「新古今調」の影響を受けつつも、他の歌人とは大きく異なる独自の歌風を成立させた。

彼の短歌は、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉など、万葉調を好む歌人から激賞され、特に子規などは、歌論「歌よみに与ふる書」の中で、実朝の歌について「自己の本領屹然として山岳と高きを争ひ日月と光を競ふ処、実に畏るべく尊むべく、覚えず膝を屈するの思ひ有之候これありそうろう」と、並々ならぬ高い評価を与えている。

『金槐和歌集』(岩波書店)を参考に、全719首より11首選んだ。掲載順に記す。

1  今朝みれば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり

2  ささ波や志賀の都の花盛り風より先に訪はましものを

3  暮れかかる夕べの空をながむればこだかき山に秋風ぞ吹く

4  ささ波や比良の山風小夜ふけて月影さびし志賀の唐崎

5  雁鳴きて寒き朝けの露霜に矢野の神山色づきにけり

6  もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原

7  箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ

8  宮柱ふとしきたててよろづよに今ぞ栄えむ鎌倉の里

9  大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

10 うつせみの世は夢なれや桜花咲きては散りぬあはれいつまで

11 時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ

6の「霰たばしる那須の篠原」、9の「われてくだけて裂けて散るかも」、11の「八大龍王雨やめたまへ」などのフレーズには、他の歌人にはないかっこよさがある。よくこの実朝のかっこよさを評して、「強い調子」、「万葉調」などと言われるが、言葉の強さだけではなく、躍動感のあるリズムにも注目したい。

11はちょっと特殊な短歌だと思う。というのはそのスケールの大きさだ。内容は、恵みの雨でも降り過ぎれば洪水など民衆の嘆きとなる。八大龍王よ、雨をやめてくれ。というものだが、民衆の代表として「八大龍王」に直接要求するというこの異常に大きなスケール感は、征夷大将軍である実朝以外には詠み得ないものだ。

2011年4月3日日曜日

ホームを抜けて

私たちは後退しなければならない。これはもうはっきりしている。今回の福島第一原子力発電所の事故で原発の危険性が暴かれ、化石燃料は確実に枯渇しようとしている今、根本的な対策は電力の需要そのものを抑えること以外にない。つまり経済的な後退だ。しかし、国債を大量に発行している日本にとって経済の停滞は政府の破綻を意味する。「原発なんて一基もなければいい」と多くの人が望んだところで、私たち日本人は、人間は、自分たちがつくりだした資本主義という思想によって、どうにも身動きができない状態に陥ってしまっているのだ。私は今回の事故は東京電力の責任がどうとかそんな小さな問題ではないと思う。日本人が、世界中の人間が、新しい思想を、世界を真剣に考えるときが来ていると思う。

薄闇のホームを抜けて無灯火の車両に淡き春の陽の満つ

2011年3月9日水曜日

高柳重信 秀句選6

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第6回は高柳重信(1923~1983)だ。彼は富沢赤黄男に師事し、4行書きの俳句など前衛的な作品を多く残した。特に、詩全体の形が絵画的な意味を持つカリグラムという手法を応用した俳句は印象的だ。これは言葉で説明するよりも実際に重信の作品を見てもらったほうが早いだろう。夏石番矢編『高柳重信』(蝸牛社)所収の300句より8句選んだ。概ね年代順に記す。

1 佇てば傾斜
   歩めば傾斜
    傾斜の
     傾斜

2 時計をとめろ
  この
    あの
      止らぬ
  時計の暮色

3 踊らんかな
  (瀕死)
  真赤な
  血の手拍子

4 森
  の 夜
  更け  の
    拝
  火の 弥撒
    に
  身を 焼
  く 彩
  蛾

5     咲き
    燃えて
   灰の
  渦
   輪の
    孤島の
      薔薇

6 ●●○●
  ●○●●○
  ★?
  ○●●
  ―○○●

7    一
     階
    二階
   三階
  旗
  さよなら
   あなた

8 軍艦が軍艦を撃つ春の海

1は本当に「傾斜」しているし、4は「蛾」の形をしているし、7は階段を形成している。6は文字化けではない。

2011年3月6日日曜日

時計は3時11分です

横浜に行った。

交差点の傍らに立つ郵便ポスト 行き合ふ自動車くるまは絶ゆることなく
東光飯店・四五六菜館 中華街は街のつづきにゆるやかにあり
とどめたくもとどまらず去る船は長く永く波紋を残しゆきたり
少しづつ回る観覧車デジタルの時計は3時11分です

2011年3月4日金曜日

つぎは、ひらつか

平塚に帰省した。

はくたか・とき・東海道線と乗り継いで小田急線の青き縞見ゆ
つぎは、ひらつか、ひらつかです人のまばらに立つ車両降る
淡雪の降る山国を離れ来てやや暖かきふるさとの風

2011年2月26日土曜日

解体心書

ブログを通じて同人誌「開放区」に参加する石川幸雄氏と知り合い、彼の第一歌集と第二歌集を送って頂いた。まずは第一歌集の『解体心書』(2008、ながらみ書房)の評を書きたい。

彼の短歌には他の現代短歌とは一線を画す魅力がある。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

のような歌にその特徴が表れている。もちろん「百年猶予」でも石川節は健在だ。しかし、この歌集の魅力は、「解体心書」にはなかった深い哀しみを感じさせる歌にあると思う。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

こんな歌がある。この歌のどこが他の現代短歌と一線を画しているのかを示すために、同じ現代短歌で牛丼チェーンを扱った、

うつむいて並。とつぶやいた男は激しい素顔となった  斉藤斎藤

を見てほしい。この斉藤斎藤の歌は「うつむいて」「並」「。」「つぶやいた」「男」「激しい」「素顔」というすべての構成要素が「現代を生きる男の孤独」のイメージへと綿密に計算されている。しかしあまりにも計算高すぎて、斉藤斎藤の敷いたレールにそのまま乗せられてしまったような感覚が後に残る。

ここで、もう一度石川幸雄の短歌を見ると、この歌は月と曜日と時間と「吉野家」という場所を指定して、いきなり「俺には俺の食い方がある」と宣言して終わるという極めてシンプルな構成になっていることがわかる。しかも明らかに上の句はおまけで、この歌は「俺には俺の食い方がある」と言いたいだけの作品だ。「牛丼チェーン」をテーマにして何か社会的な主張をするわけではなく、ただ「俺には俺の食い方がある」と、実に清々しいではないか。私も一緒に「俺には俺の食い方がある!」と叫びたくなる。

彼の歌には変な見栄や体裁がない。

早足の野良着の父がやってくる何処につけしか鈴の音がする

バスに乗り焼き鳥を買いにゆこうかとゆくまいかとあっ花火始まる

この2首は肩の力が抜けたような自然な文体で、読み手としても素直に詩の世界に入ってゆける。

この歌集にはいろいろなテーマの作品が存在していて、一口に魅力を言い表すことはできないが、歌集のタイトルから連想されるような「身体」の扱いかたが非常にうまいと感じた。

溶接に焼けた両眼をジャガ芋で冷やすひねもす仰向けの父

鉄棒からひんやり落ちた姉さんの肩甲骨に大き傷あり

手渡しの給料袋受け取るに熟練工は軍手をとりぬ

父親の焼けた眼が、姉の肩甲骨の傷跡が、熟練工の手の様子が、どの歌においてもまったく説明されていないにも関わらず、はっきりと目に見えるように伝わってくる。このリアリティーは、石川幸雄の鋭い身体感覚からくるものだろう。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

生焼けのタレしたたるに七味ふりいざ沈黙の臓器を食す

週末にひとを迎えるアパートにハロゲンヒータ抱えて帰る

語りきれなかったあれからを持ちよりて涼しくなったら食事をしよう

2011年2月22日火曜日

セスナ

今日は珍しく晴れていた。夕暮れの色合いは不自然なほどの紅だった。

山の端も田の面も紅き夕影を見せてひとすぢ白きセスナ機

2011年2月18日金曜日

短歌研究 2011年2月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の2月号を読んだ。今月は、巻頭作品で穂村弘が「「鼻血」のママ」50首、「作品連載」の欄で東直子が「これだけの荷物」30首を寄稿していた。穂村弘と東直子はともに歌人集団「かばんの会」に所属する歌人で、2人とも現代短歌界において最も影響力がある歌人の中の1人だと思う。

この2人に共通して言えるのは、一首一首の短歌に激しいインパクトがあることで、数十首あっても、少し緩くしたような、手を抜いたかんじの短歌が一首もない。この号の作品も刺激的なものばかりだったが、特に、

応答せよ、シラタキ、シラタキ応答せよ、お鍋の底のお箸ぐるぐる  穂村弘

カルピスのフルーツみたいの買ってきて だけどどこにもそれがなかった  東直子

この2首が印象に残った。東直子の歌は一見ユーモラスだが、どこか悲しい。

今月は他にも、「相聞・如月によせて4」と題して若手女性歌人の山崎聡子、大森静佳、服部真里子、小玉春歌、佐藤羽美、堀越貴乃、野原亜莉子、歌崎功恵、古谷円、やすたけまりの10人が7首ずつ寄稿していた。この欄はおもしろい短歌ばかりだったのだが、特に、

川沿いの工場跡が水性のインクのにおい立てて夕景  山崎聡子

巡るだけ巡れ青色に塗り分けた静脈、赤い色の動脈  山崎聡子

名を呼べば手を振れば消えそうだった 銀杏散り敷く道で別れて  大森静佳

この3首が印象に残った。大森静佳氏の存在は結社誌「塔」の2011年1月号で初めて知ったのだけれど、情感あふれる内容と知性的な韻律のまとまりからはゆるぎない実力が感じ取れる。

私は現代歌人の名前を多く知っているわけではないので、山崎聡子氏のことは初めて知ったが、視点のおもしろさと動きのある言葉の流れには強い個性を感じるし、作品全体がよく統制されていて、一首一首に世界観があると思った。これからの活躍に注目したい。

2011年2月17日木曜日

木下夕爾 秀句選5

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第5回は木下夕爾(1914~1965)だ。彼の創作活動は自由詩から始まったが、戦時中の1943年頃から俳句も詠み始めた。木下夕爾の詩を一つ紹介したい。

内部

その窓は閉ざされたままだった
中には誰もいなかった

机の上はきちんと片付いていた

読みさしの本が置いてあり
インクの壺はからからに乾いていた

これから何かがはじまるようにみえた もう終わったあとかもしれなかった

とにかくひっそりかんとしていた

壁には古びた人物像の
眼だけが大きくかがやいていた

それに追い立てられるように
窓枠のすきまから覗いていたてんとう虫は
向きをかえ背中を二つに割って
燃える光の中へ飛び去った

細かい情景描写からクライマックスのてんとう虫の登場への劇的な流れが素晴らしい。

朔多恭編『木下夕爾』(蝸牛社)所収の300句より6句選んだ。概ね年代順に記す。

1 こころふとかよへり風の青すだれ

2 春の虹船は弧をもてならびたる

3 夕焼のうつりあまれる植田かな

4 こほろぎやいつもの午後のいつもの椅子

5 かたく巻く卒業証書遠ひばり

6 遠雷やはづしてひかる耳かざり

詩情が17音に収まり切らず溢れだしている。

2011年2月13日日曜日

齋藤史 秀歌選3

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第3回は齋藤史(1909~2002)だ。彼女は17歳のときに若山牧水に勧められて短歌を始め、第一歌集「魚歌」において萩原朔太郎に激賞されるなど高い評価を得て、その後も革新的な歌風で戦後の短歌界に新しい風を吹き込み続けた。

齋藤史の父、齋藤瀏は佐々木信綱門下の歌人で、現在大きな勢力を誇っている短歌結社「短歌人会」を起こした人物であるが、彼は大日本帝国陸軍少将でもあった。齋藤瀏は1936年の二・二六事件に協力したとして、禁固5年の刑を受けている。父を通じて親交のあった青年将校の多くが処刑されたこともあり、二・二六事件は齋藤史の歌風に大きな影響を与えたと云われている。

『齋藤史歌集(改訂版)』(不識書院)所集の自選2351首より25首選んだ。概ね年代順に記す。

1  岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた

2  いきどほり激しきときに狙ひうつ弾丸たまはたしかに雲を射抜けり

3  遠い春うみに沈みしみづからに祭の笛を吹いて逢ひにゆく

4  手を振つてあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列

5  白と藍との縞となりたる山脈をみつつ脱ぐわが冬のてぶくろ

6  胸のまろみに水かるく押してゆく鳥も押されて揺るる水もおもむろ

7  昼ふかき居間に我は居ず台所にも居らずきらきらあかき外気にも居らず

8  情緒過剰の人といささかずれてゐて我はうなぎを食はむと思ふ

9  遠景すでにたそがれそめし屋上になほ拡げゆく設計図あり

10 今日よりは妻と呼ばれてわれのが群集の中に没しゆきたり

11 壁かげにマッチをすれば浮きいでてわが前も壁 まうしろも壁

12 血縁を信ぜざるわが仲間 伐採者 凍死者 眼帯者 無人駅より乗車せり

13 失明のくらやみ近き母が向くそのふるさとはいつまでの茜

14 まこと今なにか亡びてゆくなれば ひたすらに沁む花のくれなゐ

15 かごめかごめかごめと言はれ育ち来し籠の輪の中 狭し 島国

16 手をかかげ見る雪空の冬の色はるかのやうな行きづまりのやうな

17 死の側より照明てらせばことにかがやきてひたくれなゐのせいならずやも

18 我を生みしはこの鳥骸のごときものかさればよれしことに黙す

19 めしひたる母の眼裏に沁みてゐし明治の雪また二・二六の雪

20 いはれなく街の向うまで見えて来る さよならといふ語を言ふときに

21 夕闇の交差点にてすれちがふ若き日の我はいたく急げり

22 此のものもたつた一人の詩を書くか 採る者も無き朱の烏瓜

23 青い眼鏡レンズ・みどりのレンズ・茶のレンズ掛けかへて空を見る人を視る

24 ぐしよ濡れの鶏とわれとが縁側より大夕立を見てをり 日ぐれ

25 思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし

1、2、3は最初期の作品だが、彼女のありあまる感性が存分に発揮されていて、とても戦前の作品には見えない。

7、12、15に見られるような、過剰とも言える大胆な表現方法も齋藤史の魅力の一つだろう。

17、18は彼女の代表句として知られるが、これほど人の生死を濃密に扱える歌人はちょっと他に思いつかない。

20、21、22、23、24、25は彼女が84歳のときの第十歌集「秋天瑠璃」の作品だ。それまでのどの時期の作風とも異なることに驚きを隠せない。いい意味で力が抜けたような、自由闊達な境地に達している。20のような感覚は常人には理解しがたいが、この時期の短歌を読めば、齋藤史は万人の目が届かない、一歩先の世界を見通していたことがわかるだろう。25も興味深い――彼女はどこに向かったのだろうか。

2011年2月10日木曜日

尾崎放哉 秀句選4

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第4回は尾崎放哉(1885~1926)だ。彼は荻原井泉水に師事し、同門の種田山頭火とともに自由律俳句の二大巨頭と称される人物だ。放哉は東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、通信社に入社するもわずか1か月で退社、その後は複数の保険会社に勤め38歳で退職、修養団体「一燈園」に所属し、無所有・無報酬の生活を送ったという特異な経歴をもつ。『現代句集』(筑摩書房)所収の彼の死後刊行された句集、荻原井泉水編「大空」にある726句より44句選んだ。概ね年代順に記す。

1  蟻を殺す殺すつぎから出てくる

2  友の夏帽が新らしい海に行かうか

3  今朝の夢を忘れて草むしりをして居た

4  烏がだまつてとんで行つた

5  かぎ穴暮れて居るがちがちあはす

6  傘干して傘のかげある一日

7  こんなよい月を一人で見て寝る

8  わが顔ぶらさげてあやまりにゆく

9  片目の人に見つめられて居た

10 かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である

11 雀のあたたかさを握るはなしてやる

12 大雪となる兎の赤い眼玉である

13 笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた

14 なんにもない机の引き出しをあけて見る

15 色鉛筆の青い色をひつそりけづつて居る

16 節分の豆をだまつてたべて居る

17 一人分の米白々と洗ひあげたる

18 考へ事をしてゐるたにしが歩いて居る

19 するどい風の中で別れようとする

20 どんどん泣いてしまつた児の顔

21 田舎の小さな新聞をすぐに読んでしまつた

22 豆を煮つめる自分の一日だつた

23 二階から下りて来てひるめしにする

24 とかげの美しい色がある廃庭

25 母の無い児の父であつたよ

26 淋しいからだから爪がのび出す

27 ころりと横になる今日が終つて居る

28 一本のからかさを貸してしまつた

29 蛍光らない堅くなつてゐる

30 花がいろいろ咲いてみな売られる

31 少し病む児に金魚買うてやる

32 花火があがる空の方が町だよ

33 あらしがすつかり青空にしてしまつた

34 淋しい寝る本がない

35 入れものが無い両手で受ける

36 口あけぬ蜆死んでゐる

37 せきをしてもひとり

38 働きに行く人ばかりの電車

39 墓のうらに廻る

40 窓あけた笑ひ顔だ

41 久し振りの太陽の下で働く

42 仕事探して歩く町中歩く人ばかり

43 森に近づき雪のある森

44 春の山のうしろから烟が出だした

陰惨な内容の句も多いが、不思議と暗さが感じられない。27には笑ってしまった。

彼の句は自然体のようにも見えるが、かなり狙っているようにも見えて、つかみどころがない。実は、この「大空」所収の句は師の井泉水による添削でオリジナルと異なっているものも多く、そのあたりが彼の句のつかみどころのなさを加速させている原因でもある。いずれにせよ、彼のような境遇にない人間にも、なにか共感できるような普遍性が彼の句にはある。特に、37、39のような極端に短い詩形は彼の独擅場と云えるだろう。

2011年2月9日水曜日

石川啄木 秀歌選2

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第2回は石川啄木(1886~1912)だ。彼は生活感情を大胆に詠み上げる独特の歌風で、「生活派歌人」と呼ばれた。また、三行書きの詩形や、句読点を使用するなど、表記においても斬新な試みがある。晩年には口語的な短歌に独自の境地を開いた。『啄木歌集』(岩波書店)所収の第一歌集「一握の砂」、および第二歌集「悲しき玩具」にある745首より18首選んだ。概ね年代順に記す。

1  なにとなく汽車に乗りたく思ひしのみ
   汽車を下りしに
   ゆくところなし

2  箸止めてふつと思ひぬ
   やうやくに
   世のならはしに慣れにけるかな

3  目の前の菓子皿などを
   かりかりと噛みてみたくなりぬ
   もどかしきかな

4  こそこその話がやがて高くなり
   ピストル鳴りて
   人生終る

5  はたらけど
   はたらけど猶わが生活くらし楽にならざり
   ぢつと手を見る

6  或る時のわれのこころを
   焼きたての
   麺麭ぱんに似たりと思ひけるかな

7  うすみどり
   飲めば身体からだが水のごと透きとほるてふ
   薬はなきか

8  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
   花を買ひ来て
   妻としたしむ

9  眼閉づれど、
   心にうかぶ何もなし。
    さびしくも、また、眼をあけるかな。

10 新しき明日あすきたるを信ずといふ
   自分の言葉に
   嘘はなけれど――

11 すつぽりと蒲団をかぶり、
   足をちゞめ、
   舌を出してみぬ、たれにともなしに。

12 ひと晩に咲かせてみむと、
   梅の鉢を火に焙りしが、
   咲かざりしかな。

13 何故かうかとなさけなくなり、
   弱い心を何度も叱り、
   金かりにく。

14 この四五年、
   空を仰ぐといふことが一度もなかりき。
   かうなるものか?

15 もう嘘をいはじと思ひき――
   それは今朝――
   今また一つ嘘をいへるかな。

16 春の雪のみだれて降るを
    熱のある目に
    かなしくも眺め入りたる。

17 を叱れば、
   泣いて、寝入りぬ。
    口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。

18 ひる寝せしの枕辺に
   人形を買ひ来てかざり、
    ひとり楽しむ。

啄木の歌には、この種の心情を吐露した歌にありがちな陳腐さや安っぽさが感じられない。なんだろう、啄木の歌には心にダイレクトに響いてくるようなリアリティーがあるが、これがそのまま現実かと言われたら首を捻ってしまう。どこかフィクションっぽいのだ。5の「ぢつと手を見る」、11の「舌を出してみぬ、誰にともなしに」、12の「梅の鉢を火に焙り」――彼の歌を読むとこれらの行動に自然に感情移入してしまうが、冷静に考えると、こんなことするか普通、っていう描写ばかりだ。ただ、啄木はこういう人なのかも知れないし、そもそも事実かどうかは重要な問題ではない。啄木の歌ではこれらの純化された行動描写によって、普遍的な人間感情が表されているのだ。3行書きや句読点も、短歌を「創作物」として浮き立たせ、詩情の純粋性を高めている。

2011年1月31日月曜日

『古今和歌集』秀歌選

『古今和歌集』の秀歌選をつくりたい。私は古今集がきっかけで短歌に興味をもつようになった。独特な幻想美と音楽的な調べは当時の私にとって大きな衝撃だった。子規の批判や現代短歌に触れ、今はあのときとはまた別の視点で古今集を見ているが、私の短歌の原点にはいつだって古今集がある、このことは変わらないと思う。『古今和歌集』(角川学芸出版)を参考に、「巻第一」から「巻第十八」までに収録されている1000首より10首選んだ。掲載順に記す。

1  ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ  紀友則

2  花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに  小野小町

3  ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは風よりほかにとふ人もなし  よみ人しらず

4  ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは  在原業平

5  みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ  壬生忠岑

6  白雪の降りてつもれる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ  壬生忠岑

7  昨日といひ今日とくらしてあすか川流れてはやき月日なりけり  春道列樹

8  わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし  よみ人しらず

9  命にもまさりて惜しくあるものは見はてぬ夢のさむるなりけり  壬生忠岑

10 春霞たなびく山の桜花見れどもあかぬ君にもあるかな  紀友則

1、2、4は「小倉百人一首」に選ばれている。いずれも韻律の完成度が極めて高い。特に1の音楽性は短歌史上においても群を抜いて優れているように思える。

この10首は文体こそ古いが、内容において古臭さは感じられない。むしろ現代的ですらある。短歌が滅びない限り、古今集が日本人から忘れ去られることはないだろう。

2011年1月17日月曜日

塔 2011年1月号秀歌選

塔短歌会の黒田英雄氏のブログ『黒田英雄の安輝素日記』の記事「短歌(うた)を読む素養」にこんなことが書いてあった。

俺は歌人との交流はないが、歌人という連中が、自分の歌のことだけ考え、他の結社に全く興味がなく、ただひたすら自分自分とうなっている、そんな自意識の中でしか生きていない社会性ゼロの連中に思えて嫌悪するのだ。私のように、自分のブログで名歌選や秀歌選をやる歌人がなぜおらんのだ(除く伊波虎英)!「読むこと」を重視しているはずの「塔」の連中ですらやらない。こいつらも駄目だ。自作の発表だけでなく、他人の歌を評価するということが、自身の短歌観の表明に役立つということが、どうしてこいつらはわからんのだ。俺がこの無名の歌人を発見したのだという自負心が飛び交うようになって初めて、短歌というものは活性化するだろう。だから俺は、明日も明後日も、名歌選秀歌選をやり続ける。

この主張はなかなかおもしろい。私自身選歌は大好きなので、結社誌「塔」の秀歌選をつくってみることにした。『塔』2011年1月号に掲載されているすべての短歌より8首選んだ。掲載順に記す。

1 好きなだけ時間をかけて自らの歯を磨くとは贅沢な時間  松村正直

2 赤い夾竹桃白い夾竹桃そして病院の地下へと続くゆるき坂見ゆ  杉本潤子

3 湯を沸かし菜をきざみつつキッチンで私は何をかんがえている  沢田麻佐子

4 五条烏丸ごじょうからすまくりかえし声にしてみる遠くの街を  宮地しもん

5 メダカ飼う小さきパン屋へ寄り道す君らにふいと会いたくなって  村瀬美代子

6 憎むにせよ秋では駄目だ 遠景の見てごらん木々があんなに燃えて  大森静佳

7 どこまでも逆光である ゆるやかに睫毛を立てて君を見るとき  磯部葉子

8 網戸越しに見ていた空に網の目がはびこってもうどうにも網戸  相原かろ

印象的なフレーズが多い。4の「ごじょうからすま」、8の「どうにも網戸」は特に心に残る。

2011年1月14日金曜日

短歌研究 2011年1月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の1月号を読んだ。一首印象深い歌がある。

日の差せば小さき傷の見えてくる卓なり囲み家族と呼ばる  大下一真

写実的なようで作者の立ち位置が曖昧な第四句までと、概念的な結句がぴったりと噛み合って、家族というもののはかなさが現実的かつ幻想的にしみじみと感じられる。

2011年1月3日月曜日

佐藤佐太郎 秀歌選1

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第1回は佐藤佐太郎(1909~1987)だ。彼は斉藤茂吉に師事し、師とともに「アララギ派」を代表する人物だ。佐藤志満編『佐藤佐太郎歌集』(岩波書店)所収の1451首より6首選んだ。概ね年代順に記す。

1 しづかなる一むらだちの葵さき入りこし園は飴色の土

2 苦しみて生きつつをれば枇杷の花終りて冬の後半となる

3 係恋に似たるこころよ夕雲は見つつあゆめば白くなりゆく

4 今しばし麦うごかしてゐる風を追憶を吹く風とおもひし

5 しろじろと虎杖の咲く崖が見えさいはひのなき曇につづく

6 地下道を出で来つるとき所有者のなき小豆色の空のしづまり

細かい写実描写と、4の「追憶」、5の「幸」のような抽象的表現の融合が見事だ。