2012年4月9日月曜日

ともしびを

今年の1月に亡くなった小泉淳作氏の襖絵が東大寺で特別に公開されていた。極めて精緻なタッチが見るものを驚嘆させていたが、その一方でしだれ桜の花びらや浮かぶ月は単純な星形や塗りつぶした円で描かれていることがおもしろく感じられた。

木の肌と同じ色もてあをによし奈良の小鹿のたたずまひ見ゆ
紅白のはちす花咲く東大寺襖の内に風わたりける
(小泉淳作「蓮池」)
ともしびを順にならべて東大寺鹿はいづこの宿に眠れる

4 件のコメント :

  1. 拝啓 景冬さま
    奈良の街の本質を確かに掴んで、あなた様の詩心にのせた歌は、人を魅了してあまりありません。
    そして、はからずも、秋艸道人会津八一のわが愛読書「鹿鳴集」を思い出すのです。

    木の肌と同じ色もてあをによし奈良の小鹿のたたずまひ見ゆ
    (「木の肌と同じ」とは、観察眼の鋭く。そして、「たたずまい」とは、あなた様の育ちのよさを表出しています。
     私なら、「居住まい」とか「なりふり」のやや下賎な表現になります。

    紅白の蓮(はちす)花咲く東大寺襖の内に風わたりける
     (「風わたりける」とは、まさに、「鹿鳴集」に通じています。
    ともしびを順にならべて東大寺鹿はいづこの宿に眠れる
     (なんとも懐かしい奈良の街の表現です。ひょっとして、秋艸道人を念頭に置いておられるのではないかと。)

     このような素晴らしい「青丹よし」の歌を眼前にしながら、今の私には、なぜか、京都の東山界隈、太秦、銀閣寺から京大キャンパスが頭を去りません。
     しかも、明日は、奈良・高の原の男孫が小学一年生の入学式、次の日は、三歳の女孫の入園式というのに。

    かすがのの よを さむみかも さをしかの まちの ちまたを なきわたりゆく

    まちゆけば しなの りはつの ともしびは ふるき みやこの つちに ながるる
     (しなのりはつ=支那人の経営する理髪店)

    しか なきて かかる さびしき ゆふべ とも しらで ひ ともす ならの まちびと
     (ランダムに、鹿鳴集から引いても、古臭くて、田舎然とした、懐かしい奈良の街が浮かんできます)

     ご自愛のほど祈ります。/E

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  2. いや、まさかそこまで喜んで頂けるとは、恐縮です。奈良はいいところですね。僕が行ったときは既に暮れかかっていたのですが、明るいうちにゆけばもっと良い歌ができるような気がします。

    「たたずまひ」良かったですか。結句はもうちょっと改良できるかなと思っていたので安心しました。

    恥ずかしながら会津八一の名前をなんとなく聞いたことがあった程度で「鹿鳴集」は読んでいません。鉄也さんが引用して下さった歌を見るにつけても、確かに奈良の情緒がよく表れていますね。すべてひらがなという古典的なスタイルも奈良の街になじむ気がします。特に三首目は素晴らしいです。鹿の鳴き声から街の灯への流れが本当に美しい。 「かかる さびしき ゆふべ とも しらで」というつなぎは天才的だと思います。そういえば僕の三首目も鹿と灯を詠んでいますね、万人に共通した感慨なのでしょうか。

    お孫さんの御入学、御入園おめでとうございます。

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  3. 僕は3首目が好きですね。好みです。
    好きとか好みというような表現以上に賛辞を送りたいけれど、
    それができなくてすまない。ね。

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  4. ありがとうございます。

    最近初めて歌会に参加してみて思ったんですけど、あれこれと作品を批評することはその歌を殺すことにも繋がりますね。

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