内山晶太第一歌集『窓、その他』(2012、六花書林)を読んだ。この歌集にはさまざまな内容の歌が含まれている一方で、ある一貫した傾向があるように思われる。その傾向は彼の「あとがき」の以下の部分に代言されているように感じた。
格好の良いあとがきは書けないし、書くつもりもないのだが、今年はわたしにとって作歌をはじめて二十年目の節目にあたる。訳のわからない実生活を過ごしつつ、よくも途切れることなく二十年間こつこつと歌を生んできたものだとわれながら思う。が、逆に言えば、訳のわからない実生活があったからこそ、長い期間短歌を続けて来られたのかもしれない。
そうしてようやくここに花をひとつ咲かせることができた。咲いてくれてよかった。
このあとがきから以下の二つの内容を読み取ることができる。
1 「訳のわからない実生活」が内山晶太の創作の原点であること。
2 「格好の良い」ことは書かないと宣言しつつ、「そうしてようやくここに花をひとつ咲かせることができた。咲いてくれてよかった」というようなことを云うのが内山晶太であること。
基本的に内山晶太の歌のベースには彼の実生活があって、歌の内容には「格好の良い」ことだけではない、ありのままの生活のさまざまな様相が描かれているのであるが、その一方で、彼の美意識がすべての歌に色濃く表れている。その最も顕著な例として、
自涜にも準備があるということの水のくらや
み蓮
この歌があるように思う。この歌だけを読むと、この下の句の「水のくらやみ蓮咲きおり」という描写はミスマッチなのではないかと反発したくもなるのだけれど、それは表層的な見解で、すべての歌に繰り返し提示される内山晶太の美意識、その一つの表れとしてこの歌は捉えられるのではないだろうか。
「繰り返し提示される美意識」といっても、それがいわゆる「生活感情」のようなかたちで表れる歌と、より普遍的なかたちをとって表れる歌というような表現形式の違いはあって、私としてはある程度生活の臭いが消えている作品が印象に残った。それは例えば、
お魚のように降るはな 一生の
つかれて
花摘みて花に溺るるたのしさをきょう生前の
日記にしるす
わたくしに千の快楽を 木々に眼を マッチ
売りにはもっとマッチを
こういう歌なのだけれど、歌の内容は快楽を追い求めるようなものになっていて、それでいて実際に表れている表現については自制の効いた、ストイックなものになっていることが興味深い。また、
観覧車、風に解体されてゆく好きとか嫌いと
か春の草
閉ざしたる窓、閉ざしたるまぶたよりなみだ
零れつ手品のごとく
これらの作品には、イメージと心情が重なり合った豊穣な世界観が表れている。これは読者の好みによるところも大きいのだろうけれど、私はこの歌集の中では、このようにある程度一般性や普遍性を孕んだかたちで提示される歌が成功しているように思えた。ただ、
降る雨の夜の路面にうつりたる信号の赤を踏
みたくて踏む
帰路いじる携帯電話の液晶にかもめ乱れて飛
ぶ冬の空
このように極めて日常的な文脈で発揮されるユニークな視点も、内山晶太の短歌の重要な側面であることは言及しなければならないであろう。
この歌集の読解の上でどの程度の重要性を持つかはわからないが、内山晶太の短歌には石川啄木の短歌との著しい類似性が感じられることにも触れておきたい。内山晶太と石川啄木の類似というのは、「生活を扱っている」というのはもちろんそうなのだけれど、それだけではなくて、言葉の遣い方、文体のレヴェルに於ても広く見られるように思える。この歌集にある、
すばらしく晴れたる冬の岸しずか蟹さえわた
しを離れたりけり
という歌は、石川啄木の『一握の砂』にある、
われ
へのオマージュ、あるいは「挑戦」とも受け取れるのではないであろうか。
この歌集の「一行20字の二行書き」とい表記にも啄木との類似性を感じるが、この表記については内山氏がTwitter上のやりとりで
一首二行取りはわたしが決めたのですが、一行の文字数は出版社さんに委ねました。ですので、特に思惑があったわけではありません。ただ、こうした「偶然性」というのは大切にしたいなあと日頃から思っています。
と答えて下さったことがある。個性的な表記を指定しつつも、作者の意図を伝達する上で重要と思われる文字数の指定は「他者」に任せる、という姿勢には、啄木の緻密に計算された「三行書き」とは異なる、内山晶太の個性――ある種の「二面性」が表れているのだと思う。この「二面性」は、前述したように、表記だけに留まるものではなく、この歌集のあらゆるところに見られるものである。
ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。
楽曲のなかに落ちゆく稲妻を待てりなまぬる
き観客席に
いっぽんのマッチを擦って見るゆめは見ては
いけないゆめ そうですか
いくつかの菫は昼を震えおりああこんなにも
低く吹く風
いくつもの春夏秋冬あふれかえるからだを置
けり夜祭のなか
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