山口優夢の第一句集『残像』(角川学芸出版)を読んだ。「優夢」という俳号(後で調べたら本名と判明した)と、「残像」というタイトル、そしておそらくフランスの街並と思われる装丁から、ファンタスティックな作風を想像したのだけれど、開けてみると、本格的かつ斬新な生活詠が中心の句集であった。
「生活詠が中心」とは云ってもこの句集に収められている俳句のバリエーションは実に多彩で、一口で語ることはとてもできそうもない。まず印象に残ったのは、建造物を扱った作品だ。
ビルは更地に更地はビルに白日傘
秋の雨何か解体して瓦礫
日常的には不動の建築物を敢えて解体する不意打ちのような動きを見せたあとに、「白日傘」、「瓦礫」という印象的な語によって静かな余韻をもって結ぶ――「静かな」と云うよりは、まだなにか起こりそうな不安定さを抱えた終わり方と云ったほうが正確かもしれない。また、
坂に沿ひ商店街や冬の鳥
月の出の商店街の桜餠
こういう句もある。当たり前のように第二句に「商店街」を持ってきて、それぞれ「坂」と「鳥」、「月」と「桜餠」で、ごく自然になんでもないかのように囲っているあたりに、彼の底知れぬ力量が感じとれる。こういう表面的には地味な作品にこそ才能が如実に表れるというものだ。
またこのような作品以外にも、感情を瑞々しく取り扱うスタイルが彼の大きな魅力の一つだ。
方恋やのどに灼けつく夏氷
金魚玉語調はげしき手紙来る
泣くときは眼鏡外せり額の花
彼は「あとがき」において「有季定型も花鳥諷詠も関係ない」と明言しているけれど、俳句の基礎を疎かにしているというわけではなくて、この3句で云えば、それぞれ「夏氷」、「金魚玉」、「眼鏡」という「季語的語」を中心として、感情をその周りに展開している。中心が確保されているからこそ、自由な感情を表現しつつ、緊張感を保ち、浮つかない。そして山口優夢の作品においてはこの「季語的語」の選択が絶妙なのだ。
秋雨を見てゐるコインランドリー
自転車の灯りの内も外も雪
口とがらす牛乳パック冬ぬくし
目の中を目薬まはるさくらかな
こういう日常的でユニークな語を扱わせたら他の追随を許さないのではないだろうか。
ここに紹介したのはこの句集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数句引用してこの評を終える。
太陽に追はるる旅や謝肉祭
幾百の留守宅照らす花火かな
珈琲はミルクを拒みきれず冬
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