2010年12月27日月曜日

眼鏡屋は夕ぐれのため

佐藤弓生の第二歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため』(2006、角川書店)を読んだ。この本を開くと、まず最初のページに、表題歌の

眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)

がある。「(わたしはここだ)」でもう佐藤弓生の世界にどっぷりつかってしまったような気分になる。

この歌から彼女の歌がずらずら続くのだが、読んでいるときの私は「すごい・・・こんな表現が」と、感心してみたり、「な・・・なんだと」と、驚愕してみたり、「・・・・・」と思考停止してみたりいろいろ大変だった。

彼女のことばの使いかたは常人のそれをはるかに超越している。例えば、

冬の日のブルックナーの溜息のながながし夜を知れ新世紀

という歌がある。この歌は、柿本人麻呂(660頃~720頃)の

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

の本歌取で、かつ作曲家のブルックナー(1824~1896)の名前を入れている。普通こんなことをしたらわけのわからないジョークみたいな歌に終わってしまうだろうが、「知れ新世紀」という恐るべきセンスの結句によって、時空をこえた何か巨きな流れのうねりのようなものを感じさせる短歌になっている。他にもおもしろい歌はたくさんある。

人工衛星サテライト群れつどわせてほたるなすほのかな胸であった 地球は

こんなにもきれいにはずれる翅をもつ蝉はただひとたびの建物

この2首は、従来の感覚ではありえないぶっとんだ比喩を用いているが、不思議と「地球」や「蝉」の本質をついている気がする。他には、

死ねカワラヒワのように、と歌ったらなにかやさしく お茶にしましょう

ほのひかる貝のごとくを耳に当てもしもしそちらシルル紀ですか

こんな歌がある。この2首は、「「死ねカワラヒワのように」ってどんな風に死ねばいいんだよ、しかも最後「お茶にしましょう」かよ」とか、「いきなり「シルル紀」に電話するな」とか、つっこみどころ満載で楽しめる。しかし、それだけではない。「カワラヒワ」と「シルル紀」という語の、発音した感触が素晴らしいことに注目してほしい。こういう優れた語感を持った単語を逃さず(普通に考えて「シルル紀」を歌にするのは難しい)歌にするあたり、詩人としての類まれなセンスを感じる。あと、戦争を扱った作品も興味深い。

戦争が好き 好きだからもうテレビつけないでいてほんものじゃない

詰められて終点までを――ほろこーすと――朝の車両に雪はふりつつ

どうしてもいやになれない 戦争よ もっとはらわたはみだしてみて

第二次世界大戦も終結してすでに半世紀以上たち、若い世代の日本人にとって、戦争というものはどこか遠い、抽象的な概念のようになっている。こういった今の日本人の戦争観を、過激な表現をソフトに見せることによって不気味に描き出している。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

いらんかね耳いらんかね 青空の奥のおるがんうるわしい日に

知らないひとについて行ってはいけませんたとえばあの夕陽など

身のうちの道の暗さにひとすじのミルクをそそぐ さあ行きなさい

2010年12月11日土曜日

種田山頭火 秀句選3

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第3回は種田山頭火(1882~1940)だ。彼は尾崎放哉とともに自由律俳句を代表する俳人だ。山頭火は早稲田大学の英文科に進むも、神経衰弱のため退学、後には妻子を捨てて乞食となって各地を放浪した。石寒太編『種田山頭火』(蝸牛社)所収の300句より28句選んだ。概ね年代順に記す。

1  まつすぐな道でさみしい

2  まつたく雲がない笠をぬぎ

3  また逢へた山茶花も咲いてゐる

4  笠も漏りだしたか

5  うしろすがたのしぐれてゆくか

6  笠へぽつとり椿だつた

7  何でこんなにさみしい風ふく

8  どこかそこらにみそさざいがゐる曇り

9  ここにふきのとうがふたつ

10 かうしてここにわたしのかげ

11 誰か来さうな空が曇つてゐる枇杷の花

12 よびかけられてふりかへつたが落葉林

13 ふりかへる椿が赤い

14 この道しかない春の雪ふる

15 生えて伸びて咲いてゐる幸福

16 誰も来ないたうがらし赤うなる

17 ことしもここに石蕗の花も私も

18 病めば梅ぼしのあかさ

19 何を求める風の中ゆく

20 ほつと月がある東京に来てみる

21 みんなかへる家はあるゆうべのゆきき

22 死ねない手がふる鈴ふる

23 秋風、行きたい方へ行けるところまで

24 枯枝ぽきぽきおもふことなく

25 窓あけて窓いつぱいの春

26 秋風あるいてもあるいても

27 こしかたゆくすゑ雪あかりする

28 もりもりもりあがる雲へ歩む

5と14が異常にかっこいい。彼の自由を極めた芸術には、読者を惹きつけてやまない魅力がある。

2010年12月7日火曜日

堀口星眠 秀句選2

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第2回は堀口星眠(1923~)だ。彼は東京帝国大学卒業の医師で、在学中に同じく医師である水原秋櫻子に師事した。星眠は「高原派」と呼ばれるほど、高原を題材にした作品を多く残している。『堀口星眠』(春陽堂)所収の自選300句より19句選んだ。掲載順に記す。

1  髪切虫一庭荒れしまゝの夏

2  百舌鳥の朝噴煙天にとゞこほる

3  教会のくらさ向日葵を見しゆゑか

4  とりどりの秋果買ひゆけりミサのあと

5  地の涯に夕映ありぬ青すゝき

6  星の空なほ頬をうつ粉雪あり

7  せきれいや日のさす方に雪しげく

8  雪渓に石投げて音かへり来ず

9  時鳥ゆふづく町にセロリ買ふ

10 夏痩せてゆふすげ淡き野にきたる

11 噴煙の下密猟の銃鳴らす

12 暮るるまで雉子鳴きし夜の月まどか

13 雲爽やかキヤベツの高荷人載せて

14 父といふ世に淡きもの桜満つ

15 胸ひらく母の眼をして斑雪山

16 軍配昼顔熱砂をにじりつつ咲けり

17 晩夏なりぶなまた橅の旅にあり

18 鯛焼の順を待ちをり田舎医師

19 夢もなき顔をして売るシヤボン玉

言葉が非常に洗練されていて、淡い光の中にいるような透き通った印象を受ける。

2010年12月6日月曜日

夏目漱石 秀句選1

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第1回は夏目漱石(1867~1916)だ。彼は「吾輩は猫である」、「こころ」等の作品で名高い明治の文豪だが、正岡子規の親友でもあり、彼の勧めで始めた俳句をおよそ2600句残している。坪内稔典編『漱石俳句集』(岩波書店)所収の848句より38句選んだ。概ね年代順に記す。

1  朝貌や咲たばかりの命哉

2  埋火や南京茶碗塩煎餅

3  冬籠米搗く音の幽かなり

4  親展の状燃え上る火鉢哉

5  黙然と火鉢の灰をならしけり

6  日の入や秋風遠く鳴つて来る

7  曼珠沙花あつけらかんと道の端

8  行く年や膝と膝とをつき合せ

9  秋の雲ただむらむらと別れかな

10 武蔵野を横に降る也冬の雨

11 一つ家のひそかに雪に埋れけり

12 奈良の春十二神将剥げ尽せり

13 陽炎に蟹の泡吹く干潟かな

14 居合抜けば燕ひらりと身をかはす

15 落つるなり天に向つて揚雲雀

16 草山や南をけづり麦畑

17 端然と恋をしてゐる雛かな

18 永き日や欠伸うつして別れ行く

19 君が名や硯に書いては洗ひ消す

20 秋の蠅握つてそして放したり

21 空に一片秋の雲行く見る一人

22 どつしりと尻を据えたる南瓜かな

23 角落ちて首傾けて奈良の鹿

24 秋風や棚に上げたる古かばん

25 行く年や猫うづくまる膝の上

26 短かくて毛布つぎ足す蒲団かな

27 ニツケルの時計とまりぬ寒き夜半

28 人形の独りと動く日永かな

29 朝皃の葉影に猫の眼玉かな

30 独居や思ふ事なき三ヶ日

31 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉

32 骨の上に春滴るや粥の味

33 逝く人に留まる人に来る雁

34 白菊と黄菊と咲いて日本かな

35 石段の一筋長き茂りかな

36 秋風や屠られに行く牛の尻

37 我一人行く野の末や秋の空

38 鍋提げて若葉の谷へ下りけり

漱石の豊かな想像力と観察眼にかかれば、何気ない日常もよくできた小説のようにおもしろいものになることがわかる。ほのかにただようユーモラスな雰囲気も作品の世界にやわらかい空気を吹き込んでいる。