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2013年4月5日金曜日

未来 2013年4月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の4月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『未来』2013年4月号に掲載されているすべての短歌より7首選んだ。掲載順に記す。

1 残夢とや草むら中に鳴き出づる虫の音と聞く目覚まし今朝は  米田律子

2 夜の駅三つほど過ぎ焦燥をいまだおし殺しきれずにいるのだ  阿部愛

3 日の丸に向かって射精できそうなくらい愛しているという比喩  阿部愛

4 シャンプーと思って取ったらコンディショナーだったので今日はもう買いません  阿部愛

5 まだ僕は平成二十二年製十円玉の光を見てない  中島裕介

6 靴跡に靴をかさねてやわらかい雪を漕ぐ非武装地帯の  柳澤美晴

7 海に雨(涙はすこし薄くなる)ウミガメプールに降るつよい雨  やすたけまり

――このタイプの緊迫感を表現できる現代歌人を米田律子の外に知らない。結句「目覚まし今朝は」の独自性。

――焦燥。「夜の駅三つほど過ぎ」の場面設定が秀逸。

――「比喩」であるという奇妙な落ち着き。

――あるある的内容なのかと思ったらそうではないという。

――それだけの事実。

――北海道の方言で雪の中を歩くことを「雪を漕ぐ」と言うらしい。ここでは方言として面白いのではなく、「非武装地帯」に繋ぐ表現として重要。非武装地帯の衝撃。それはもう非武装地帯なのであろうが、ここでの意図は。

――雨は海に降り、そしてウミガメプールに降っている。涙はウミガメのものなのか、他の誰かのものなのか。ほとんど水属性の語で一首を構成する構想が興味深い。

2013年2月7日木曜日

未来 2013年2月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の2月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『未来』2013年2月号に掲載されているすべての短歌より9首選んだ。掲載順に記す。

1 いずれあなたの戸閾とじきみを踏むあしうらを今日は真水に浸しておりぬ  村上きわみ(以下同じ)

2 風下に咲く大叔母の簪をかろうじてこの世からながめる

3 くちなわを濡らすひかりのあまやかな記憶の底に凝る、何度も

4 濃紺の守衛の胸に伏せられて書物は冬に似たものになる

5 白湯だけが親しい夜の入り口でいいよあなたの六腑になろう

6 (ゆるすとかゆるさないとか)恥ずかしい釜揚げうどんぞるぞるすする

7 啜ったり舐めたりするひと ひ って言ういのちだ なんとしてもかわいがる

8 泣くまいとしている人にひとつずつ滝を差し入れて暮らしたい

9 (いきものがひくく構えていることのかけがえのなさ)咬みにきなさい

村上きわみの「戸閾を踏む」(「2012年度未来年間賞」として、一年の投稿歌の中から秋山律子が選んだ作品集)の読み応えが尋常ではない。

まずめまぐるし動く作中主体の視点がこの連作の醍醐味のひとつであろう。2では現世と来世の境界に存在している作中主体が、6では「釜揚げうどん」を「ぞるぞるすす」っていたりする。更には5では、「あなた」の身体に同化する意思――或は未来――が表明され、8、9ではやや超越的な視点が導入される。このように作中主体は通常の自我の枠組みを完全にはみだしてしまっているが、「はみだしている」のはそれだけではない。

驚くべき短歌表現の柔軟性を見てほしい。句跨りや、一字空け、句読点、パーレンなどの表記的な技術に支えられた、言葉の緩急によって形成される情感の脈動が、描写を越えて読者の心に叩きつけられる。特に印象深いのは、6の「ぞるぞる」や7の「ひ」のような音の扱いである。「ぞるぞる」のような擬音語は、短歌に限らずあらゆる言語世界で無自覚かつ大量に再生産され、その過程で語が本来有していたであろうテンションの一部を失っているように思える。「うどん」を「すする」シーンに対してメジャーな擬音語であると思われる「ずるずる」を使用したのでは十分な効果が得られなかったことであろう。また、7の「ひ」というひらがな一字で表された声を「いのち」と等価なものとして提示する手法も興味深い。このような音――それ自体は短歌の構想的にはほとんど無内容ともいえる表現――が、前後の言葉との有機的な関連に於て、選択され得るあらゆる理知的な描写を凌駕する可能性があることが彼女の作品に示されていることは、現代短歌の表現を考える上で示唆深いものがあるように思う。

未来 2013年1月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の1月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『未来』2013年1月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 傷がつきにくい加工をほどこされ傷つきにくい眼鏡のレンズ  柳澤美晴

2 刻々と老いる体であそびたい(まだあそびたい)カステラを焼く  村上きわみ

3 こっくりとした色へ髪を塗りかえて今日こそ秋をはじめなければ  中込有美

4 純白の羽根の名残のように咲く睡蓮を指差してあなたは  中込有美

5 完璧なカラメルなのよ微笑んでひと息に割る銀のスプーン  中込有美

――最後まで読んでも「傷がつきにくい」というそれだけなのであるが。

――(まだあそびたい)。

――「こっくり」は「色・味などが、落ち着いて深みのあるさま」(大辞林 第三版)を表すらしい。いかにも秋らしい秋――「定型」としての秋――への焦燥。

――輝かしいまでの美しさを放つ前半の描写がむすびの「あなたは」の言いさしに収斂する。

――「カラメル」と「銀のスプーン」の光沢の呼応と破壊。

2012年12月6日木曜日

未来 2012年12月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の12月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『未来』2012年12月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 にぎってる手がぎこちない 駅ビルの向こうにも冷えきった青空  浅羽佐和子

2 心的外傷トラウマにいやされる夜もあるのだしパルプ町からにおう煤煙  柳澤美晴

3 歯みがき粉口内炎にしみながら明日めざめるものとおもわず  柳澤美晴

4 戦争ごっこがはやってるって屋上までのぼってまわりの音楽を聴け  細見晴一

5 鞄にはいつも薄手のカーディガンしのばせておくあたらしい秋  中込有美

1の下の句の句跨りがぎこちなさを際立たせているように感じるのは恣意的な読みであろうか。

――旭川に「パルプ町」という町があるらしい。地名は普遍性を持たないようにも思えるが、「煤煙」と組み合された下の句からは、何の前提知識が無い状態からも確かなイメージを想起できた。「心的外傷トラウマにいやされる夜もあるのだし」――随分当り前のように云っているけれど、これはどうなのだろう。トラウマから逃避することを選び続ける人間にはわからない境地なのかも知れない。

3の「明日めざめるものとおもわず」――2の上の句もそうだけれど、ある種「異常な」内容が本当に当り前のようにさらっと述べられていて、歌全体の描写の中で読者もその内容を当り前のように受け止める――そういうある種の説得力が柳澤美晴の短歌には存在しているような気がした。

――音楽を聴け。

――些細な生活的事象が結句「あたらしい秋」によってのびやかに開放される。あたらしい秋。あたらしい秋が訪れたのだ。

2012年11月5日月曜日

未来 2012年11月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の11月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『未来』2012年11月号に掲載されているすべての短歌より11首選んだ。掲載順に記す。

1  見やる方松の枝の間に雨傘を畳みつつゆく人遠さかる  米田律子

2  向上心のないものは馬鹿だと鳴いているセミ白球に潰されて死ね  増金毅彦

3  国会を囲む群集 投石はなくとも晩夏の風鈴は鳴る  増金毅彦

4  「正しさ」が客観性をもつことはない。  ただルールというものはある。  増金毅彦

5  こういった時勢に右によりたがる我こそ悲しき大和男子よ  増金毅彦

6  ぽんぽんと夏音のする夕暮れに駆けてゆきます真っ赤な鼻緒  篠宮香南

7  じんわりと沁みてくれればそれでいい。ウェルメイドでハートフルで  鈴木美紀子

8  自転車で港まで来た老人が海を飽かずに眺めてゐた  小野フェラー雅美

9  目が合ふと恥づかしさうに空を見てそこに鴎が飛んで騒いだ  小野フェラー雅美

10 北海の港はいつか軍艦で埋まつてゐたと静かなはなし  小野フェラー雅美

11 遠い遠い昔のことと思ひたいところがそれは未来のことだ  小野フェラー雅美

※4のスペースは「二字空け」。9の「鴎」は原文では「鷗」。「鷗」が環境依存文字であるため止むを得ず「鴎」と表記した。

1は、歌の「姿」が美しい秀作。

2、3、4、5は「未来広場 みらい・プラザ」に掲載されている「五輪後」というタイトルの4首(本誌に掲載されているのもこの4首のみ)。

私は現代短歌に於るいわゆる「社会詠」というものについて相当に否定的な立場を取っている。と云うのも、社会詠の多くにはそれが短歌である必然性――散文に対する優位性――がほとんど感じられないからである。短歌に於て社会的な見解を表明しようとすれば、必ず言葉足らずになり、真摯な社会批評にはならず、どれほど完成度が高くなったとしても、デマゴギーとしての意義しか持たない――と云うのが私の見解である。

増金毅彦の4首も多分に社会的な主張を含むが、通常の社会詠とは状況が異なる。ただ社会に対して意見を表明したり、ちょっと皮肉をぶつけてみたいと云うわけではなくて、社会と自己を照らし合わせた上でのある種の個人的な、内面的な表出が色濃く見られる。そのような特殊な抒情と、2の奇異な構想、4の「二字空け」に象徴される個性的な作風が調和して、読者を引き込む強い力を持った作品が成立している。

――「鼻緒」の意外性。

7の、「ウェルメイド」も「ハートフル」も随分とダサい形容詞である――「ハートフル(heartful)」は和製英語である可能性もある(英語では普通"heartfelt"と云う)――けれど、「で」で並列されることによって不思議な韻律と抒情が感じられて楽しい。

私はこれまで外国を短歌や俳句に適切に詠み込むことは困難であると考えていた。これは例えば夏目漱石の俳句を読んでいると、イギリス留学中に良い作品が少ないというようなことから来た考えなのだけれど、8、9、10、11の小野フェラー雅美の作品を読んで、どうやら一概にそういうわけではないらしいということに気づいた。漱石のイギリス滞在中に優れた作品が少ないのは彼が「異国」としてイギリスを見ていたからであって、より自らに近いものとしてその国を意識し、その風土にふさわしい韻律を採用すれば日本以外の国についても良い歌をつくることは十分に可能なようだ。

作者と「老人」の邂逅を軸に、脇役の「鴎」や「軍艦」が顔を出す物語性の高い世界観が美しい。

2012年10月13日土曜日

未来 2012年10月号秀歌選

短歌結社誌『未来』の10月号を読んだ。このブログで結社誌『塔』に試みているものと同様にして、『未来』の秀歌選をつくってしまいたいと思う――と云ったら、一読者が「秀歌選」とは何様であるか、と憤慨される方もおられるだろう。実を云うと――これは『塔』についても云えることだが――私はこのブログに於る秀歌選を、厳密な意味での「秀歌選」ではなく、短歌評に於る一つの形式であると考えている。

『塔』や『未来』に参加している歌人は極めて多く、歌の数も一つの雑誌に載せる歌数としては有りえないほどのものであるが、その一方で、一人一人の歌人の歌数は比較的少ないという傾向がある。さらにそれぞれの歌人の趣向の統一性が少なく、歌の主題が歌人によって大きく異なる。このような雑誌に於て、統一感のある批評を通常の形式で展開することは困難で、それよりはまず印象に残った歌を列挙するスタイルの方が、筆者にとっても読者にとっても好ましいように思える。それ故の「秀歌選」というわけだ。どうか御容赦頂きたい。

『未来』2012年10月号に掲載されているすべての短歌より10首選んだ。掲載順に記す。

1  とびとびに信号の青の見通せる夕映えの路 カラス飛ぶ街  佐伯裕子

2  隣席に赤い金魚の座りいてあなたに影響を与えたい と言う  槌谷淳子

3  血の滲むような赤さに咲きみちるグラジオラスみなこちらを向いて  槌谷淳子

4  正しいと知っているからもういいねこのマシュマロは私がもらう  中込有美

5  胸元にあえかな桃を捧げもち片瀬江ノ島まで目を瞑る  紺乃卓海

6  夏空にうすずみを零してしまう なんだか息苦しい乾きかた  紺乃卓海

7  雲上はきっとパレードめくるめく靴音を地に響かせてゆく  紺乃卓海

8  夏の夜のはだけた胸に陸揚げをされて飛び交うみどりのさかな  紺乃卓海

9  言い訳は残業でいい 予想より美味しい缶のグリーンカレー  小林千恵

10 星に手は届かじ 恨みを込めた目の先に深爪された中指  増金毅彦

1は遠近感のダイナミズムが弾ける力強い作品。

2、3の槌谷淳子の作品の――特に2の「金魚」に於て顕著なように――一般的に赤いものをわざわざ赤いと云うことで表現されるより鮮烈に「赤い」世界観に驚きを覚えた。2の一字空けにはどこかユーモラスな怪奇が滲む。

4、9は、美味しそうな短歌である。

5、6、7、8の紺乃卓海の作品のアイディアと緻密な構成が興味深い。「片瀬江ノ島」、「うすずみ」、「パレード」、「みどりのさかな」のようなユニークな語を中心として展開される世界は、華やかな楽しさに、切なさや、哀しみを織り込んだ多面的な空間として読者の前に立現れる。

10の、これだけ陰惨な表現を並べてなお読者を惹き付ける作者の手腕に驚く。