2012年6月2日土曜日

開放区 第94号

短歌同人誌『開放区』(現代短歌館)の第94号を読んだ。

94号――短歌の同人誌で94号というのは『京大短歌』が18号、『早稲田短歌』が41号であることを考えれば驚くべき数字であることがわかる。「同人」という不確かな結び付きのもと、これだけ長く歌を残し続けていることに敬意を表したい。

震災詠や、老いを扱った歌が多い中、石川幸雄の連作がおもしろく感じられた。「諷刺訛傳(FUSHI KADEN)」という、過剰にふざけたタイトルが目を引く。

番傘風洋傘開く人といる氷雨の晩はあまねく京都

大阪の女を知れば大阪のことばに焦がれ歌う大阪

東京に雪積もる日は雪平鍋ゆきひらで姉が作りし甘酒を恋う

こういう歌を詠む歌人は珍しい。粋と云うべきなのか、泥臭いと云うべきなのかわからない人間味のある内容や、ある種の「拙さ」を含んで一気に流れ着く文体には、他の歌人にはないものがある。一首目の「傘」、二首目の「大阪」、三首目の「雪」のやや安直な繰り返しも、彼の歌の枠組みにおいては、高度なテクニックを弄するよりもむしろ効果的であると云えよう。

ところで、表紙の「わが歌を漢字一字で表すなら」というコラムが興味深い。今号では田島邦彦が「我」と答えている。曖昧な字を選ばず敢えて「我」を選んだととろに、アイデンティティを重視する彼の短歌観が如実に表れているし、積み上げてきた自らの歌への自負も感じとれる。こういうおもしろい企画を見ると、聞かれもしないのに自分もやってみたくなる。「わが歌を漢字一字で表すなら」、というよりは理想の一つとして、「無」がある。なにも無く、歌が聞こえてくるのをただ待つ。そんなスタイルに憧れているのかも知れない。

2 件のコメント :

  1. わたしも同じものを送っていただきましたよ。
    短歌ばかりではなく、いろいろな読み物もとても興味深かったです。

    >「わが歌を漢字一字で表すなら」、というよりは理想の一つとして、「無」がある。なにも無く、歌が聞こえてくるのをただ待つ。そんなスタイルに憧れているのかも知れない。

    景冬さんのこの言葉にはとても共感を覚えます。

    景冬さんの短歌も好きですが、こういう文章にもとても惹かれるものを感じます。言葉を選ぶセンスというのでしょうか。。。うまく言えないのですが。

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  2. 「自分で書く作家論シリーズ」とか、普通はやらないだろってことを平然とやってくれて楽しいですよね。

    その部分は載せようか削ろうかすごく迷ったのでそういって貰えると嬉しいです。ただ、自分語りは極力控えようと思ってます。

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