2011年4月27日水曜日

ほほを

雨だ。

もうやはらかくほほをうつこともなく――霧中に浮かぶ街に雨降る

2011年4月26日火曜日

富澤赤黄男 秀句選7

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第7回は富澤赤黄男(1902~1962)だ。彼は新興俳句派の俳人の一人とされる。新興俳句とは、水原秋桜子が、1931年に高浜虚子に反発し「ホトトギス」を脱会して起こした「新興俳句運動」に影響されて出現した、一連の新傾向の俳句のことを言う。赤黄男は、抽象表現、隠喩、アナロジーなど西洋的な手法を大胆に用いて、俳句に新しい境地を開いた。四ッ谷龍編『富澤赤黄男』(蝸牛社)所収の300句より24句選んだ。概ね年代順に記す。

1  落日の巨眼の中に凍てし鴉

2  歯を磨く青い空気がゆれてくる

3  陸橋の風のむかうにある冬日

4  この軌道レールの果に繁華な町がある

5  一匹の黒い金魚をうて秋

6  落日をゆく落日をゆく真赤あかい中隊

7  気球なり、あゝ現身うつしみのゆれんとす

8  蒼海が蒼海がまはるではないか

9  春の夜の建てゝ壊した緑の家

10 一本のマッチをすればうみは霧

11 蛇苺 遠く旅ゆくもののあり

12 流木よ せめて南をむいて流れよ

13 あはれこの瓦礫の都 冬の虹

14 蛾の青さ わたしは眠らねばならぬ

15 天の青 わたしがつくるひとつの汚点

16 鳥のゐる枯木 と 鳥のゐぬ枯木

17 葡萄一粒の 弾力と雲

18 草二本だけ生えてゐる 時間

19 無題の月 ここに こわれた木の椅子がある

20 石を積む宿命 鳥は水平に翔び

21 劣等感インフェリオリティコンプレックス――雨だれの音

22 灰の 雨の 中の ヘヤピンを主張せよ

23 破れた木――墓は凝視する

24 ゼロの中 爪立ちをして哭いてゐる

赤黄男の句を読んで、「俳句らしさ」とはなんだろうか、そんなことを考えてみた。赤黄男の句は、普通にイメージされる「俳句」とは大きく異なるように見える。では「俳句らしい」とはどういうことだろうか。

一般に俳句の特徴としては、

1)五七五の定型
2)季語の使用
3)「切れ」の存在

が挙げられる。俳句史上最も有名な俳句、

古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉

を例とすると、まず、五七五の定型はしっかりと守られている。そして、「蛙」は春の季語だ。また、切れ字「や」によって、初句と第二句の間に「切れ」が生じている。この芭蕉の句を俳句と認識できない日本人は少ないだろう。

ここで赤黄男の句をもう一度見る。一見すると、いかにも西洋の現代詩の影響を受けた型破りの無季自由律俳句だ。しかし、先入観にとらわれずに読んでみると、意外と五七五の定型あるいはそれに準じた詩形がとられていることに気づく。そして、7の読点、11、12、13などに見られる一字空け、21、23のダッシュは、「や」、「かな」、「けり」のような切れ字よりも明確に「切れ」を形成している。

では、「季語」はどうだろう。赤黄男の句には季語が存在しないものも多い。

俳句は極めて短い。こんなに短い詩が一つの世界を獲得できるのは、日本人の身体感覚に根差した季語がもつ、先入的なイメージがあるからだ。だがそういう語は「季語」に限るのか。「陸橋」、「中隊」、「家」、「都」、「鳥」、「宿命」、「劣等感」、「墓」、「零」――赤黄男の句にあるこれらの語を見れば、人によって様々なことが心に浮かぶのではないだろうか。時代とともに語のもつ力は移り変わる。四季が、季節というものが人間に与える影響も変わってくる。そうであれば、定められた季語に盲従するのが俳人の、詩人のあるべき姿なのだろうか。赤黄男は、俳句の本質を純粋に追求したのかもしれない。

2011年4月18日月曜日

人並の幸せ

満開の桜が散り始めた。

大学へ向かふ昇り坂 人並の幸せとしてさくらはな咲く
春雨の降る駐車場帰りゆく浮かぬ心にあまた水紋

2011年4月10日日曜日

塔 2011年4月号秀歌選

短歌結社誌『塔』の4月号を読んだ。今月も秀歌選をつくってしまおうと思う。『塔』2011年4月号に掲載されているすべての短歌より5首選んだ。掲載順に記す。

1 ここにむかし歩道橋があったのだ その赤さびのようなゆうぐれ  吉川宏志

2 絵馬に絵馬重ねて吊るす時雨ふる天満宮の人混みのなか  吉川宏志

3 外は雨であるかもしれず何ごともなければ海であるかもしれず  松村正直

4 焼く前に向きを決めねばならぬとて鳩サブレーの頭は左  相原かろ

5 由良川の流れにそひて下りゆく僕たちは今、日本海へ向く  長谷川博子

1と2の吉川宏志の歌が異常に渋い。2は一見すると客観的に状況を詠んだだけに見えるが、「時雨ふる天満宮の人混みのなか」という状況設定がめちゃめちゃ渋く、そこに前半の「絵馬に絵馬重ねて吊るす」というなんとも言えない味のある動作が重なって、閑寂な世界観を構成している。彼の力量が存分に発揮されている作品だ。

2011年4月6日水曜日

2010年12月 2011年1月、2月、3月

去年の12月、今年の1月、2月、3月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が8首、そうでないものが18首で、計25首。御感想を頂けると嬉しい。

雪降りて真白にならむ大地思ひ幾多の色の現実に立つ

夕闇に工業団地の灰色の煙たゆたふ空へ雲へ

無灯火で自転車こぎゆく暗闇にからだ融けあふもつともつと黒へ 

雪ふらすぼんやり白き空ながめ自転車の鍵かちりと閉めつ

傘散らす雪の軽さに身をゆだね誰も通らぬ白き道ゆく

ほそぼそとわだち頼りに踏みゆきし昨日の想ひ除く除雪車

尾長もつ胸の曲線なめらかに白く交はる雪原を見つ
(胡椒挽きのもつつややかな曲面に君の煙草の歪むを見たり  田口綾子「風上に立つ」)

鈍き音軋ませ緩く止まりたる老いし車輛は雪降る中に

舞ひ降れる雪に埋もるる米原駅まいばらにスプリンクラーはかなく水を

夢のなき街をくぐりて地下鉄は仄かに青く暮るる地上へ

立つ虹の流れをたどり消えてゆく淡き終りを見つめてゐたり

ふるさとの駅に迎への自動車のあることそこにただ あることの

美容師の刻むリズムは軽やかにわたしの髪はもうただの 景色

回転する欲望 回る寿司見つめ少しさみしく鯵の皿とる

乾杯の声テーブルにゆきかひて淡きビールのにがさ噛み締む

ゆきどけに水面はあり冬舗道ひかりを受けていづこにも空

わたしには昨日のあなたの微笑ほほゑみの理由がわかりかねて 月面

山の端も田の面も紅き夕影を見せてひとすぢ白きセスナ機

はくたか・とき・東海道線と乗り継いで小田急線の青き縞見ゆ

つぎは、ひらつか、ひらつかです人のまばらに立つ車両降る

淡雪の降る山国を離れ来てやや暖かきふるさとの風

交差点の傍らに立つ郵便ポスト 行き合ふ自動車くるまは絶ゆることなく

東光飯店・四五六菜館 中華街は街のつづきにゆるやかにあり

とどめたくもとどまらず去る船は長く永く波紋を残しゆきたり

少しづつ回る観覧車デジタルの時計は3時11分です

源実朝 秀歌選4

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第4回は源実朝(1192~1219)だ。彼は源頼朝と北条政子の子、源頼家の弟で、鎌倉幕府第三代征夷大将軍だ。実朝は、1203年、兄の頼家が母政子の一族である北条氏と争い敗れたことで、12歳にして元服、征夷大将軍となった。しかし、幕府の実権は北条氏に掌握され、実朝は早くから政治に興味を失い、官位の昇進のみを望むようになった。そして最終的には右大臣まで登りつめたものの、北条氏の謀略に遭い、実朝を父の仇と信じ込んだ頼家の子、公暁によって鶴岡八幡宮で暗殺された。

こうした経緯から、実朝の政治家としての評価は一般に低い。しかし、彼が残した短歌は極めて高い評価を受けることになる。実朝は、政治に対する失望の反動として、京都の文化に大きな憧憬を抱いた。実朝は、手紙のやりとりを通じて、「新古今和歌集」、「小倉百人一首」の撰者である藤原定家に師事した。また、「古今和歌集」、「万葉集」を熟読し、当時の「新古今調」の影響を受けつつも、他の歌人とは大きく異なる独自の歌風を成立させた。

彼の短歌は、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉など、万葉調を好む歌人から激賞され、特に子規などは、歌論「歌よみに与ふる書」の中で、実朝の歌について「自己の本領屹然として山岳と高きを争ひ日月と光を競ふ処、実に畏るべく尊むべく、覚えず膝を屈するの思ひ有之候これありそうろう」と、並々ならぬ高い評価を与えている。

『金槐和歌集』(岩波書店)を参考に、全719首より11首選んだ。掲載順に記す。

1  今朝みれば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり

2  ささ波や志賀の都の花盛り風より先に訪はましものを

3  暮れかかる夕べの空をながむればこだかき山に秋風ぞ吹く

4  ささ波や比良の山風小夜ふけて月影さびし志賀の唐崎

5  雁鳴きて寒き朝けの露霜に矢野の神山色づきにけり

6  もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原

7  箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ

8  宮柱ふとしきたててよろづよに今ぞ栄えむ鎌倉の里

9  大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

10 うつせみの世は夢なれや桜花咲きては散りぬあはれいつまで

11 時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ

6の「霰たばしる那須の篠原」、9の「われてくだけて裂けて散るかも」、11の「八大龍王雨やめたまへ」などのフレーズには、他の歌人にはないかっこよさがある。よくこの実朝のかっこよさを評して、「強い調子」、「万葉調」などと言われるが、言葉の強さだけではなく、躍動感のあるリズムにも注目したい。

11はちょっと特殊な短歌だと思う。というのはそのスケールの大きさだ。内容は、恵みの雨でも降り過ぎれば洪水など民衆の嘆きとなる。八大龍王よ、雨をやめてくれ。というものだが、民衆の代表として「八大龍王」に直接要求するというこの異常に大きなスケール感は、征夷大将軍である実朝以外には詠み得ないものだ。

2011年4月3日日曜日

ホームを抜けて

私たちは後退しなければならない。これはもうはっきりしている。今回の福島第一原子力発電所の事故で原発の危険性が暴かれ、化石燃料は確実に枯渇しようとしている今、根本的な対策は電力の需要そのものを抑えること以外にない。つまり経済的な後退だ。しかし、国債を大量に発行している日本にとって経済の停滞は政府の破綻を意味する。「原発なんて一基もなければいい」と多くの人が望んだところで、私たち日本人は、人間は、自分たちがつくりだした資本主義という思想によって、どうにも身動きができない状態に陥ってしまっているのだ。私は今回の事故は東京電力の責任がどうとかそんな小さな問題ではないと思う。日本人が、世界中の人間が、新しい思想を、世界を真剣に考えるときが来ていると思う。

薄闇のホームを抜けて無灯火の車両に淡き春の陽の満つ