2011年2月26日土曜日

解体心書

ブログを通じて同人誌「開放区」に参加する石川幸雄氏と知り合い、彼の第一歌集と第二歌集を送って頂いた。まずは第一歌集の『解体心書』(2008、ながらみ書房)の評を書きたい。

彼の短歌には他の現代短歌とは一線を画す魅力がある。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

のような歌にその特徴が表れている。もちろん「百年猶予」でも石川節は健在だ。しかし、この歌集の魅力は、「解体心書」にはなかった深い哀しみを感じさせる歌にあると思う。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

こんな歌がある。この歌のどこが他の現代短歌と一線を画しているのかを示すために、同じ現代短歌で牛丼チェーンを扱った、

うつむいて並。とつぶやいた男は激しい素顔となった  斉藤斎藤

を見てほしい。この斉藤斎藤の歌は「うつむいて」「並」「。」「つぶやいた」「男」「激しい」「素顔」というすべての構成要素が「現代を生きる男の孤独」のイメージへと綿密に計算されている。しかしあまりにも計算高すぎて、斉藤斎藤の敷いたレールにそのまま乗せられてしまったような感覚が後に残る。

ここで、もう一度石川幸雄の短歌を見ると、この歌は月と曜日と時間と「吉野家」という場所を指定して、いきなり「俺には俺の食い方がある」と宣言して終わるという極めてシンプルな構成になっていることがわかる。しかも明らかに上の句はおまけで、この歌は「俺には俺の食い方がある」と言いたいだけの作品だ。「牛丼チェーン」をテーマにして何か社会的な主張をするわけではなく、ただ「俺には俺の食い方がある」と、実に清々しいではないか。私も一緒に「俺には俺の食い方がある!」と叫びたくなる。

彼の歌には変な見栄や体裁がない。

早足の野良着の父がやってくる何処につけしか鈴の音がする

バスに乗り焼き鳥を買いにゆこうかとゆくまいかとあっ花火始まる

この2首は肩の力が抜けたような自然な文体で、読み手としても素直に詩の世界に入ってゆける。

この歌集にはいろいろなテーマの作品が存在していて、一口に魅力を言い表すことはできないが、歌集のタイトルから連想されるような「身体」の扱いかたが非常にうまいと感じた。

溶接に焼けた両眼をジャガ芋で冷やすひねもす仰向けの父

鉄棒からひんやり落ちた姉さんの肩甲骨に大き傷あり

手渡しの給料袋受け取るに熟練工は軍手をとりぬ

父親の焼けた眼が、姉の肩甲骨の傷跡が、熟練工の手の様子が、どの歌においてもまったく説明されていないにも関わらず、はっきりと目に見えるように伝わってくる。このリアリティーは、石川幸雄の鋭い身体感覚からくるものだろう。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

生焼けのタレしたたるに七味ふりいざ沈黙の臓器を食す

週末にひとを迎えるアパートにハロゲンヒータ抱えて帰る

語りきれなかったあれからを持ちよりて涼しくなったら食事をしよう

2011年2月22日火曜日

セスナ

今日は珍しく晴れていた。夕暮れの色合いは不自然なほどの紅だった。

山の端も田の面も紅き夕影を見せてひとすぢ白きセスナ機

2011年2月18日金曜日

短歌研究 2011年2月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の2月号を読んだ。今月は、巻頭作品で穂村弘が「「鼻血」のママ」50首、「作品連載」の欄で東直子が「これだけの荷物」30首を寄稿していた。穂村弘と東直子はともに歌人集団「かばんの会」に所属する歌人で、2人とも現代短歌界において最も影響力がある歌人の中の1人だと思う。

この2人に共通して言えるのは、一首一首の短歌に激しいインパクトがあることで、数十首あっても、少し緩くしたような、手を抜いたかんじの短歌が一首もない。この号の作品も刺激的なものばかりだったが、特に、

応答せよ、シラタキ、シラタキ応答せよ、お鍋の底のお箸ぐるぐる  穂村弘

カルピスのフルーツみたいの買ってきて だけどどこにもそれがなかった  東直子

この2首が印象に残った。東直子の歌は一見ユーモラスだが、どこか悲しい。

今月は他にも、「相聞・如月によせて4」と題して若手女性歌人の山崎聡子、大森静佳、服部真里子、小玉春歌、佐藤羽美、堀越貴乃、野原亜莉子、歌崎功恵、古谷円、やすたけまりの10人が7首ずつ寄稿していた。この欄はおもしろい短歌ばかりだったのだが、特に、

川沿いの工場跡が水性のインクのにおい立てて夕景  山崎聡子

巡るだけ巡れ青色に塗り分けた静脈、赤い色の動脈  山崎聡子

名を呼べば手を振れば消えそうだった 銀杏散り敷く道で別れて  大森静佳

この3首が印象に残った。大森静佳氏の存在は結社誌「塔」の2011年1月号で初めて知ったのだけれど、情感あふれる内容と知性的な韻律のまとまりからはゆるぎない実力が感じ取れる。

私は現代歌人の名前を多く知っているわけではないので、山崎聡子氏のことは初めて知ったが、視点のおもしろさと動きのある言葉の流れには強い個性を感じるし、作品全体がよく統制されていて、一首一首に世界観があると思った。これからの活躍に注目したい。

2011年2月17日木曜日

木下夕爾 秀句選5

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第5回は木下夕爾(1914~1965)だ。彼の創作活動は自由詩から始まったが、戦時中の1943年頃から俳句も詠み始めた。木下夕爾の詩を一つ紹介したい。

内部

その窓は閉ざされたままだった
中には誰もいなかった

机の上はきちんと片付いていた

読みさしの本が置いてあり
インクの壺はからからに乾いていた

これから何かがはじまるようにみえた もう終わったあとかもしれなかった

とにかくひっそりかんとしていた

壁には古びた人物像の
眼だけが大きくかがやいていた

それに追い立てられるように
窓枠のすきまから覗いていたてんとう虫は
向きをかえ背中を二つに割って
燃える光の中へ飛び去った

細かい情景描写からクライマックスのてんとう虫の登場への劇的な流れが素晴らしい。

朔多恭編『木下夕爾』(蝸牛社)所収の300句より6句選んだ。概ね年代順に記す。

1 こころふとかよへり風の青すだれ

2 春の虹船は弧をもてならびたる

3 夕焼のうつりあまれる植田かな

4 こほろぎやいつもの午後のいつもの椅子

5 かたく巻く卒業証書遠ひばり

6 遠雷やはづしてひかる耳かざり

詩情が17音に収まり切らず溢れだしている。

2011年2月13日日曜日

齋藤史 秀歌選3

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第3回は齋藤史(1909~2002)だ。彼女は17歳のときに若山牧水に勧められて短歌を始め、第一歌集「魚歌」において萩原朔太郎に激賞されるなど高い評価を得て、その後も革新的な歌風で戦後の短歌界に新しい風を吹き込み続けた。

齋藤史の父、齋藤瀏は佐々木信綱門下の歌人で、現在大きな勢力を誇っている短歌結社「短歌人会」を起こした人物であるが、彼は大日本帝国陸軍少将でもあった。齋藤瀏は1936年の二・二六事件に協力したとして、禁固5年の刑を受けている。父を通じて親交のあった青年将校の多くが処刑されたこともあり、二・二六事件は齋藤史の歌風に大きな影響を与えたと云われている。

『齋藤史歌集(改訂版)』(不識書院)所集の自選2351首より25首選んだ。概ね年代順に記す。

1  岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた

2  いきどほり激しきときに狙ひうつ弾丸たまはたしかに雲を射抜けり

3  遠い春うみに沈みしみづからに祭の笛を吹いて逢ひにゆく

4  手を振つてあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列

5  白と藍との縞となりたる山脈をみつつ脱ぐわが冬のてぶくろ

6  胸のまろみに水かるく押してゆく鳥も押されて揺るる水もおもむろ

7  昼ふかき居間に我は居ず台所にも居らずきらきらあかき外気にも居らず

8  情緒過剰の人といささかずれてゐて我はうなぎを食はむと思ふ

9  遠景すでにたそがれそめし屋上になほ拡げゆく設計図あり

10 今日よりは妻と呼ばれてわれのが群集の中に没しゆきたり

11 壁かげにマッチをすれば浮きいでてわが前も壁 まうしろも壁

12 血縁を信ぜざるわが仲間 伐採者 凍死者 眼帯者 無人駅より乗車せり

13 失明のくらやみ近き母が向くそのふるさとはいつまでの茜

14 まこと今なにか亡びてゆくなれば ひたすらに沁む花のくれなゐ

15 かごめかごめかごめと言はれ育ち来し籠の輪の中 狭し 島国

16 手をかかげ見る雪空の冬の色はるかのやうな行きづまりのやうな

17 死の側より照明てらせばことにかがやきてひたくれなゐのせいならずやも

18 我を生みしはこの鳥骸のごときものかさればよれしことに黙す

19 めしひたる母の眼裏に沁みてゐし明治の雪また二・二六の雪

20 いはれなく街の向うまで見えて来る さよならといふ語を言ふときに

21 夕闇の交差点にてすれちがふ若き日の我はいたく急げり

22 此のものもたつた一人の詩を書くか 採る者も無き朱の烏瓜

23 青い眼鏡レンズ・みどりのレンズ・茶のレンズ掛けかへて空を見る人を視る

24 ぐしよ濡れの鶏とわれとが縁側より大夕立を見てをり 日ぐれ

25 思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし

1、2、3は最初期の作品だが、彼女のありあまる感性が存分に発揮されていて、とても戦前の作品には見えない。

7、12、15に見られるような、過剰とも言える大胆な表現方法も齋藤史の魅力の一つだろう。

17、18は彼女の代表句として知られるが、これほど人の生死を濃密に扱える歌人はちょっと他に思いつかない。

20、21、22、23、24、25は彼女が84歳のときの第十歌集「秋天瑠璃」の作品だ。それまでのどの時期の作風とも異なることに驚きを隠せない。いい意味で力が抜けたような、自由闊達な境地に達している。20のような感覚は常人には理解しがたいが、この時期の短歌を読めば、齋藤史は万人の目が届かない、一歩先の世界を見通していたことがわかるだろう。25も興味深い――彼女はどこに向かったのだろうか。

2011年2月10日木曜日

尾崎放哉 秀句選4

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第4回は尾崎放哉(1885~1926)だ。彼は荻原井泉水に師事し、同門の種田山頭火とともに自由律俳句の二大巨頭と称される人物だ。放哉は東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、通信社に入社するもわずか1か月で退社、その後は複数の保険会社に勤め38歳で退職、修養団体「一燈園」に所属し、無所有・無報酬の生活を送ったという特異な経歴をもつ。『現代句集』(筑摩書房)所収の彼の死後刊行された句集、荻原井泉水編「大空」にある726句より44句選んだ。概ね年代順に記す。

1  蟻を殺す殺すつぎから出てくる

2  友の夏帽が新らしい海に行かうか

3  今朝の夢を忘れて草むしりをして居た

4  烏がだまつてとんで行つた

5  かぎ穴暮れて居るがちがちあはす

6  傘干して傘のかげある一日

7  こんなよい月を一人で見て寝る

8  わが顔ぶらさげてあやまりにゆく

9  片目の人に見つめられて居た

10 かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である

11 雀のあたたかさを握るはなしてやる

12 大雪となる兎の赤い眼玉である

13 笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた

14 なんにもない机の引き出しをあけて見る

15 色鉛筆の青い色をひつそりけづつて居る

16 節分の豆をだまつてたべて居る

17 一人分の米白々と洗ひあげたる

18 考へ事をしてゐるたにしが歩いて居る

19 するどい風の中で別れようとする

20 どんどん泣いてしまつた児の顔

21 田舎の小さな新聞をすぐに読んでしまつた

22 豆を煮つめる自分の一日だつた

23 二階から下りて来てひるめしにする

24 とかげの美しい色がある廃庭

25 母の無い児の父であつたよ

26 淋しいからだから爪がのび出す

27 ころりと横になる今日が終つて居る

28 一本のからかさを貸してしまつた

29 蛍光らない堅くなつてゐる

30 花がいろいろ咲いてみな売られる

31 少し病む児に金魚買うてやる

32 花火があがる空の方が町だよ

33 あらしがすつかり青空にしてしまつた

34 淋しい寝る本がない

35 入れものが無い両手で受ける

36 口あけぬ蜆死んでゐる

37 せきをしてもひとり

38 働きに行く人ばかりの電車

39 墓のうらに廻る

40 窓あけた笑ひ顔だ

41 久し振りの太陽の下で働く

42 仕事探して歩く町中歩く人ばかり

43 森に近づき雪のある森

44 春の山のうしろから烟が出だした

陰惨な内容の句も多いが、不思議と暗さが感じられない。27には笑ってしまった。

彼の句は自然体のようにも見えるが、かなり狙っているようにも見えて、つかみどころがない。実は、この「大空」所収の句は師の井泉水による添削でオリジナルと異なっているものも多く、そのあたりが彼の句のつかみどころのなさを加速させている原因でもある。いずれにせよ、彼のような境遇にない人間にも、なにか共感できるような普遍性が彼の句にはある。特に、37、39のような極端に短い詩形は彼の独擅場と云えるだろう。

2011年2月9日水曜日

石川啄木 秀歌選2

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第2回は石川啄木(1886~1912)だ。彼は生活感情を大胆に詠み上げる独特の歌風で、「生活派歌人」と呼ばれた。また、三行書きの詩形や、句読点を使用するなど、表記においても斬新な試みがある。晩年には口語的な短歌に独自の境地を開いた。『啄木歌集』(岩波書店)所収の第一歌集「一握の砂」、および第二歌集「悲しき玩具」にある745首より18首選んだ。概ね年代順に記す。

1  なにとなく汽車に乗りたく思ひしのみ
   汽車を下りしに
   ゆくところなし

2  箸止めてふつと思ひぬ
   やうやくに
   世のならはしに慣れにけるかな

3  目の前の菓子皿などを
   かりかりと噛みてみたくなりぬ
   もどかしきかな

4  こそこその話がやがて高くなり
   ピストル鳴りて
   人生終る

5  はたらけど
   はたらけど猶わが生活くらし楽にならざり
   ぢつと手を見る

6  或る時のわれのこころを
   焼きたての
   麺麭ぱんに似たりと思ひけるかな

7  うすみどり
   飲めば身体からだが水のごと透きとほるてふ
   薬はなきか

8  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
   花を買ひ来て
   妻としたしむ

9  眼閉づれど、
   心にうかぶ何もなし。
    さびしくも、また、眼をあけるかな。

10 新しき明日あすきたるを信ずといふ
   自分の言葉に
   嘘はなけれど――

11 すつぽりと蒲団をかぶり、
   足をちゞめ、
   舌を出してみぬ、たれにともなしに。

12 ひと晩に咲かせてみむと、
   梅の鉢を火に焙りしが、
   咲かざりしかな。

13 何故かうかとなさけなくなり、
   弱い心を何度も叱り、
   金かりにく。

14 この四五年、
   空を仰ぐといふことが一度もなかりき。
   かうなるものか?

15 もう嘘をいはじと思ひき――
   それは今朝――
   今また一つ嘘をいへるかな。

16 春の雪のみだれて降るを
    熱のある目に
    かなしくも眺め入りたる。

17 を叱れば、
   泣いて、寝入りぬ。
    口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。

18 ひる寝せしの枕辺に
   人形を買ひ来てかざり、
    ひとり楽しむ。

啄木の歌には、この種の心情を吐露した歌にありがちな陳腐さや安っぽさが感じられない。なんだろう、啄木の歌には心にダイレクトに響いてくるようなリアリティーがあるが、これがそのまま現実かと言われたら首を捻ってしまう。どこかフィクションっぽいのだ。5の「ぢつと手を見る」、11の「舌を出してみぬ、誰にともなしに」、12の「梅の鉢を火に焙り」――彼の歌を読むとこれらの行動に自然に感情移入してしまうが、冷静に考えると、こんなことするか普通、っていう描写ばかりだ。ただ、啄木はこういう人なのかも知れないし、そもそも事実かどうかは重要な問題ではない。啄木の歌ではこれらの純化された行動描写によって、普遍的な人間感情が表されているのだ。3行書きや句読点も、短歌を「創作物」として浮き立たせ、詩情の純粋性を高めている。