一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第2回は石川啄木(1886~1912)だ。彼は生活感情を大胆に詠み上げる独特の歌風で、「生活派歌人」と呼ばれた。また、三行書きの詩形や、句読点を使用するなど、表記においても斬新な試みがある。晩年には口語的な短歌に独自の境地を開いた。『啄木歌集』(岩波書店)所収の第一歌集「一握の砂」、および第二歌集「悲しき玩具」にある745首より18首選んだ。概ね年代順に記す。
1
汽車を下りしに
ゆくところなし
2 箸止めてふつと思ひぬ
やうやくに
世のならはしに慣れにけるかな
3 目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな
4 こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る
5 はたらけど
はたらけど猶わが
ぢつと手を見る
6 或る時のわれのこころを
焼きたての
7 うすみどり
飲めば
薬はなきか
8 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
9 眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。
10 新しき
自分の言葉に
嘘はなけれど――
11 すつぽりと蒲団をかぶり、
足をちゞめ、
舌を出してみぬ、
12 ひと晩に咲かせてみむと、
梅の鉢を火に焙りしが、
咲かざりしかな。
13 何故かうかとなさけなくなり、
弱い心を何度も叱り、
金かりに
14 この四五年、
空を仰ぐといふことが一度もなかりき。
かうなるものか?
15 もう嘘をいはじと思ひき――
それは今朝――
今また一つ嘘をいへるかな。
16 春の雪のみだれて降るを
熱のある目に
かなしくも眺め入りたる。
17
泣いて、寝入りぬ。
口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。
18 ひる寝せし
人形を買ひ来てかざり、
ひとり楽しむ。
啄木の歌には、この種の心情を吐露した歌にありがちな陳腐さや安っぽさが感じられない。なんだろう、啄木の歌には心にダイレクトに響いてくるようなリアリティーがあるが、これがそのまま現実かと言われたら首を捻ってしまう。どこかフィクションっぽいのだ。5の「ぢつと手を見る」、11の「舌を出してみぬ、誰にともなしに」、12の「梅の鉢を火に焙り」――彼の歌を読むとこれらの行動に自然に感情移入してしまうが、冷静に考えると、こんなことするか普通、っていう描写ばかりだ。ただ、啄木はこういう人なのかも知れないし、そもそも事実かどうかは重要な問題ではない。啄木の歌ではこれらの純化された行動描写によって、普遍的な人間感情が表されているのだ。3行書きや句読点も、短歌を「創作物」として浮き立たせ、詩情の純粋性を高めている。
0 件のコメント :
コメントを投稿