一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第3回は齋藤史(1909~2002)だ。彼女は17歳のときに若山牧水に勧められて短歌を始め、第一歌集「魚歌」において萩原朔太郎に激賞されるなど高い評価を得て、その後も革新的な歌風で戦後の短歌界に新しい風を吹き込み続けた。
齋藤史の父、齋藤瀏は佐々木信綱門下の歌人で、現在大きな勢力を誇っている短歌結社「短歌人会」を起こした人物であるが、彼は大日本帝国陸軍少将でもあった。齋藤瀏は1936年の二・二六事件に協力したとして、禁固5年の刑を受けている。父を通じて親交のあった青年将校の多くが処刑されたこともあり、二・二六事件は齋藤史の歌風に大きな影響を与えたと云われている。
『齋藤史歌集(改訂版)』(不識書院)所集の自選2351首より25首選んだ。概ね年代順に記す。
1 岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた
2 いきどほり激しきときに狙ひうつ
3 遠い春
4 手を振つてあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列
5 白と藍との縞となりたる山脈をみつつ脱ぐわが冬のてぶくろ
6 胸のまろみに水かるく押してゆく鳥も押されて揺るる水もおもむろ
7 昼ふかき居間に我は居ず台所にも居らずきらきら
8 情緒過剰の人といささかずれてゐて我はうなぎを食はむと思ふ
9 遠景すでにたそがれそめし屋上になほ拡げゆく設計図あり
10 今日よりは妻と呼ばれてわれの
11 壁かげにマッチをすれば浮きいでてわが前も壁 まうしろも壁
12 血縁を信ぜざるわが仲間 伐採者 凍死者 眼帯者 無人駅より乗車せり
13 失明のくらやみ近き母が向くそのふるさとはいつまでの茜
14 まこと今なにか亡びてゆくなれば ひたすらに沁む花のくれなゐ
15 かごめかごめ
16 手をかかげ見る雪空の冬の色はるかのやうな行きづまりのやうな
17 死の側より
18 我を生みしはこの鳥骸のごときものかさればよ
19
20 いはれなく街の向うまで見えて来る さよならといふ語を言ふときに
21 夕闇の交差点にてすれちがふ若き日の我はいたく急げり
22 此のものもたつた一人の詩を書くか 採る者も無き朱の烏瓜
23 青い
24 ぐしよ濡れの鶏とわれとが縁側より大夕立を見てをり 日ぐれ
25 思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし
1、2、3は最初期の作品だが、彼女のありあまる感性が存分に発揮されていて、とても戦前の作品には見えない。
7、12、15に見られるような、過剰とも言える大胆な表現方法も齋藤史の魅力の一つだろう。
17、18は彼女の代表句として知られるが、これほど人の生死を濃密に扱える歌人はちょっと他に思いつかない。
20、21、22、23、24、25は彼女が84歳のときの第十歌集「秋天瑠璃」の作品だ。それまでのどの時期の作風とも異なることに驚きを隠せない。いい意味で力が抜けたような、自由闊達な境地に達している。20のような感覚は常人には理解しがたいが、この時期の短歌を読めば、齋藤史は万人の目が届かない、一歩先の世界を見通していたことがわかるだろう。25も興味深い――彼女はどこに向かったのだろうか。
はじめまして、周凍と申します。
返信削除『うたのわ』からこちらにお邪魔させて頂きました。
ここは本当に、良いサイトですね。
『うたのわ』で拝見したお歌も同年代の方とは違う視点をお持ちだと思いましたが、この記事を拝見して少し納得できたような気がします。
ちなみに、彼女のうたでは次のようなのが好きです。
飾られるシヨウ・ウインドウの花花はどうせ消えちゃうパステルで描く(魚歌)
指先にセント・エルモの火をともし霧ふかき日を人に交れり (魚歌)
われは透明なる魚を飼ひたり在るとても在らざるとても人知らぬ魚(風翩翻)
齋藤史歌集『記憶の茂み』より
あと、ご存じかもしれませんが、生死に真正面から向かい合っていた歌人といえば、小中英之という方がいらっしゃいます。齋藤史とはまた違ったスタンスですが。
それでは、失礼いたしました。
はじめまして。
返信削除ありがとうございます。確かに今の若い世代で僕みたいな短歌を詠まれる方はあまりいないですね。
セント・エルモの歌は僕もおもしろいと思います。周凍さんは英訳の歌集をお持ちなんですね。
小中英之さんのことは知りませんでした。ネットで少し調べましたが、おもしろい歌を残されているようですね。機会があればちゃんと読んでみようと思います。貴重な情報ありがとうございます。
斎藤史さんのことを旭川の短歌誌「ときわ」に連載中です。参考になってます。
返信削除愛読してます。
はじめまして。この記事は短歌始めたばっかりの頃の投稿なのでちょっと内容が薄いですけど、齋藤史さんは僕が一番尊敬している歌人なので、そのうち書き直せたら良いなと思っています。
返信削除旭川の短歌誌「ときわ」に「モダニズム女流歌人・斉藤史論」を連載中です。
返信削除隔月間の二月号に四回目「怨念の歌も霧散した出来事」として、宮中歌会に招請され、迷った末に出席し、昭和天皇から「あなたが斉藤劉の娘さんですか」と声をかけられ、わだかまりが霧散したと語っている・・・という場面など紹介してます。
なにほどのわだかまりを胸に抱き昭和を生きし斉藤史は 石塚邦男
岡井隆は斉藤史の歌を「下手の上手」と評した。壷に嵌ると見事に洒落た作品をものにすると解説している。
返信削除第一歌集が出たとき、絶賛したのは歌人よりも詩人であった。シュールな彼女の歌風が物珍しく見えたのだろうが、実際年月をへて見れば、斉藤史の短歌が戦後のモダニズム短歌の先駆けであったことが明らかになる。
つまり斉藤史の短歌は時代を先取りしていたのであった。
一首献上。
時経ちて幼いわたしに老い果てしわたしが逢ひに行く橋の上 石塚邦男