2011年4月6日水曜日

源実朝 秀歌選4

一短歌ファンが勝手につくってしまう秀歌選、第4回は源実朝(1192~1219)だ。彼は源頼朝と北条政子の子、源頼家の弟で、鎌倉幕府第三代征夷大将軍だ。実朝は、1203年、兄の頼家が母政子の一族である北条氏と争い敗れたことで、12歳にして元服、征夷大将軍となった。しかし、幕府の実権は北条氏に掌握され、実朝は早くから政治に興味を失い、官位の昇進のみを望むようになった。そして最終的には右大臣まで登りつめたものの、北条氏の謀略に遭い、実朝を父の仇と信じ込んだ頼家の子、公暁によって鶴岡八幡宮で暗殺された。

こうした経緯から、実朝の政治家としての評価は一般に低い。しかし、彼が残した短歌は極めて高い評価を受けることになる。実朝は、政治に対する失望の反動として、京都の文化に大きな憧憬を抱いた。実朝は、手紙のやりとりを通じて、「新古今和歌集」、「小倉百人一首」の撰者である藤原定家に師事した。また、「古今和歌集」、「万葉集」を熟読し、当時の「新古今調」の影響を受けつつも、他の歌人とは大きく異なる独自の歌風を成立させた。

彼の短歌は、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉など、万葉調を好む歌人から激賞され、特に子規などは、歌論「歌よみに与ふる書」の中で、実朝の歌について「自己の本領屹然として山岳と高きを争ひ日月と光を競ふ処、実に畏るべく尊むべく、覚えず膝を屈するの思ひ有之候これありそうろう」と、並々ならぬ高い評価を与えている。

『金槐和歌集』(岩波書店)を参考に、全719首より11首選んだ。掲載順に記す。

1  今朝みれば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり

2  ささ波や志賀の都の花盛り風より先に訪はましものを

3  暮れかかる夕べの空をながむればこだかき山に秋風ぞ吹く

4  ささ波や比良の山風小夜ふけて月影さびし志賀の唐崎

5  雁鳴きて寒き朝けの露霜に矢野の神山色づきにけり

6  もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原

7  箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ

8  宮柱ふとしきたててよろづよに今ぞ栄えむ鎌倉の里

9  大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

10 うつせみの世は夢なれや桜花咲きては散りぬあはれいつまで

11 時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ

6の「霰たばしる那須の篠原」、9の「われてくだけて裂けて散るかも」、11の「八大龍王雨やめたまへ」などのフレーズには、他の歌人にはないかっこよさがある。よくこの実朝のかっこよさを評して、「強い調子」、「万葉調」などと言われるが、言葉の強さだけではなく、躍動感のあるリズムにも注目したい。

11はちょっと特殊な短歌だと思う。というのはそのスケールの大きさだ。内容は、恵みの雨でも降り過ぎれば洪水など民衆の嘆きとなる。八大龍王よ、雨をやめてくれ。というものだが、民衆の代表として「八大龍王」に直接要求するというこの異常に大きなスケール感は、征夷大将軍である実朝以外には詠み得ないものだ。

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