黙すことながきゆふさり息とめて李の淡き谷に歯を立つ
小原奈実「
贄 」(『率 通巻2号』)
ある言葉を発することのできない「ゆふさり」に、「息」までも「とめて李の淡き谷に歯を立」てる。
「李」の描写として、「淡き谷」という局所的なフォルムが抜き出される。適切な抽象は、時として精巧な模写にさえ表れないものを表す。ここで李の生命感はその淡き谷に局地的に凝縮しているのである。作者はそこに「歯を立」てた。ここで、李の生命が淡き谷に凝縮しているのとまったく同じように、作者の生命もまたその「歯」に局地的に凝縮しているのである。そして歯が立てられることによって2つの生命は極めて微細な接点で交わることになる。夕暮れ時の異質な生命の微細な交錯を前にして、言葉も、呼吸でさえも不要なもののように思えてくるのだ。
なかなか抽象的な歌ですね。難しい語句をみていこう。
返信削除ゆうさり・・・・夕べ
季の淡き・・・・季節の淡き
季節が淡々として、か
歯を立つ・・・・その思いを強くつかむ、か
どうして、黙すことが長かったのか、ただ、風景のみの感動だけであろうか、説明不足。
息をとめて、のほどだから相当の感動があったはずだ。
いうなれば、
表現未熟、詩の構築の不完全さといわねばならない。要はもっと表現力をつけねばならない。歌は確かな詩を構築するのが最も重要でそれから言葉が従いてくる。つぎの歌は無名の
歌人の作だが参考までに。
押す人の無き乳母車曠野にて産まれなかつたみどりごを待つ
ちょっとパソコンの画面で見えにくいかもしれませんが、季節の「季」ではなくて「
返信削除李(すもも)」ですよ。
これは失礼。すももの淡い夕べの谷に長く黙してこの実にわが歯を立てた(齧った)のですね。息をとめて、はよき誇張。黙することながき、はしずかな感動であったのでしょう。このすもも、人がつくったもの。わが家にもすももの木がありました。よく熟した真っ赤なもの、いまだ熟しつつある黄色のものやさみどりのもの。つくっているものとしては嬉しい光景。いい作品だと思います。
返信削除「李の淡き谷」は李の外形的な特徴のことを云ったのだと思いますが。李のある庭は良いですね。
返信削除そうですね、しかしながらわたしのとりかたも可能です。いやいや正直にもうしまして軍配はあだちくんの勝ち。
返信削除蛇足ながらもうすこしこの歌について述べたい。
返信削除問題点があるようだからふれてみたい。
1)なにゆえに黙すことのながきゆうさりであったのか、李の実のみではないと思 うのだが、分からぬ。
2)息とめて、ほどの感動ともいうべきものが分からない。
3)李の実にある溝部分を淡き谷、と形容するのには無理がある。
4)芸術表現には誇張があり許容されるのだがこの場合、どうも虚実しらじらしく
的を射ていないようだ。1)、2)、3)の表現。
5)一見、もっともらしい表現だが、表現未熟とわたしはとる。独り善がりの表現
は若いものに多くこれで満足するならば歌の進展は希めない。