2013年6月11日火曜日

no.1

最近は歌集(或は雑誌)単位での批評を書いている余裕がなく、このブログがもっぱら拙作の発表の場となってしまっていることは残念に思う。そんな訳で、比較的労力のかからない一首評の連載を今日から開始したいと思う。

目を閉じて音だけを聞く映画にも光はあってそれを見ている

山崎聡子『手のひらの花火』

最近発売された山崎聡子の第一歌集『手のひらの花火』(短歌研究社)からの一首。

写真を光(視覚)の芸術、音楽を音(聴覚)の芸術とするならば、映画はその複合的な表現と云えるだろう。

ここで作者は敢えて目を閉じる。映画の「音だけを聞く」。光は見えない。ところが、「光はあってそれを見ている」。光はある。光とは何か。

目をつぶっていても、作者の前にスクリーンは光り輝いていて、「音」に対応してシーンは揺れ動く。作者は心の目でそのスクリーンを見る。その時、心の中の映像と実際にスクリーンに投影されている映像は一致しない。

誰かに作られた文脈から開放された「光」は、音の実在性のみを頼りとして、新たな映画を構成し始める。私たちは、それを記憶と呼んでいるのかも知れない。

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