明日香へ行く。旅に出るときは滞在地の地図を頭に入れないようにしている。明日香では高松塚古墳とかキトラ古墳を見るつもりだったけれど、案の定見当違いの方角へ進む。だがこれで良い。こういう土地の面白さは往々にして観光地よりもリアルな田園に見出せるものだ。この時期の明日香の水田は、一面に実った稲穂が太陽の光を受けて黄金色に光り輝いている。こんもりとふくらんだ小さな丘のすその流れに従うように、田の外郭もまた緩やかなカーブを描き、そしてその外側に広がる田は一段低くなりまた緩やかな曲線を――というように、曲線と階層が機能的に調和した一種の様式美を湛えている。更に目を引くのは、田と田の境界に、びっしりと彼岸花が咲いていることで、一面の黄金に目が覚めるような赤いラインが引かれているありさまは、一個の田んぼファンである私にとっては感涙ものの情景であるが、ここに駄目押しのように、一匹のアキアカネが現れた。赤い。赤蜻蛉というものはこうまで赤いものだったか。繊細な薄い翅にか細い胴体がついている些細な生物であるが、赤い。まごうことなき赤そのものだ。はじめての明日香は、鮮烈な紅であった。
こがね色の稲穂の海に
あをあをと墳丘まろきこの場所からいちばん綺麗な明日香が見える
掌に銀の星宿煌めかせ古墳の谷になびくすすき穂
黄昏の稲穂にともる太陽は青い私の眼を灼くばかり