2014年1月17日金曜日

一角

土岐友浩氏に彼の参加する同人誌『一角』を頂いた。この同人誌、どの作者の作品も個性的で興味深いのだが、私の立場からすると、特に土岐友浩の連作「blue blood」が重要であるように思う。この連作の特徴として、まず次の作品を見て欲しい。

自転車はさびしい場所に停められるたとえばテトラポッドの陰に

まず一見して、主題が地味である。「自転車はさびしい場所に停められる」。なるほど、共感できないことはないが、だからなんだというのだ。どうでもいい、極めてどうでもいい――はずなのに妙に心惹かれるのは、その「場所」が「たとえばテトラポッドの陰」と具体的に示されていることによる。ここまで読めば、作者はテトラポッドの陰に停めてある自転車を見て、そこが「さびしい場所」だと気づいたのだなと、この歌は気づきの歌、発見の歌なのだなと合点がゆく。そして、その気づきの提示が、「自転車はさびしい場所に停められる」と、まるで普遍的命題を示すかのように行われているところに「ずれ」があることにも気づくわけだ。つまり「テトラポッドの陰」というなんだか面白いはずの(しかしそれだけでは十分に面白くない)場所への「気づき」があって、それが「ずらして」提示されることによって本来の面白さが引き出されているわけであるが、この「気づき」と「ずらし」はこの連作に於る重要なポイントだと思う。

靴ひものようななにかが干してある商店街を吹き抜ける風

「靴ひものようななにか干してある」という気づき、これもまたささやかな気づきではあるが、冒頭に「靴ひものようななにか」が提示されると、それがどのようなものなのか妙に気になる。気になるのだが、「商店街を吹き抜ける風」が、そんなものはまるでなかったかのように爽やかに吹き流してしまう。風が読者の焦点をずらしてしまうのだ。靴ひものようななにかとは一体なんだったのだろうか。

苔に苔がしているのか狛犬がますますでこぼこになっている

この歌も面白い。狛犬に苔が重なるように生えているという着眼点自体はこれまたかなり渋いのであるが、その点を「いるのか」と軽い疑問形で提示し、「ますますでこぼこになっている」と、くだけた言葉で表現している。渋い事象に渋い言葉をぶつけるのではなく、主題とは「ずれた」軽い言葉でさらっと流してゆく(それでいて「して」だけは「生えて」とは書かれないのだ。この辺りの絶妙なバランス感覚も素晴らしい)。この妙に軽く、それでいて洗練された文体というのも、土岐の短歌の大きな特徴である。

なんとかという大統領を勝手に応援するなんとかという町に来ました

本棚の上に鏡を立てかけてあり合わせからはじまる暮らし

新しい町、新しい生活ではあるが、文体にも内容にも気負いはない。

ゆっくりと時間をかけてぶつかって大きく立ち上がる波しぶき

発砲スチロールの箱をしずかにかたむけて魚屋が水を捨てるゆうぐれ

水の描写はまるで眼前に迫るようであるが、彼の気負わない文体もまた、外の事象に対して水のように柔らかなのかも知れない。

13 件のコメント :

  1. 土岐友浩、読んでみたいと思いました。

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  2. 初期の作品は彼のウェブサイトに公開されてますよ。 http://www.blueberry-field.com/

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  3. ご無沙汰しています。(和歌山のはらてつやです。古希を重ねてますます愚鈍になっています)
    安達さまには、学業に、短歌に精励のことと。
    土岐さんの歌は、口語短歌で、分かりやすいですね。同じ口語の土岐善麿のように。

    それよりも、あなた様の歌を待望しています。

    こちらは、毎日分けのわからぬ歌をせっせと作っています。
    橋本短歌会は、存立が風前の灯の、編集を受け持っています。

    永田和宏著「作歌のヒント」を頼りに、常に基本に戻って、口語文語の混交の、老いの歌作りに励んでいます。

    ご健闘を祈ります。/E

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  4. 安達くん、しばらく見なかったがどうしていたのかね。君を認識できて君には迷惑かもしれないが拙僧は嬉しい。

    苔が苔を生しているのか狛犬がますますでこぼこになっている  土岐友浩

    詩としてはたわいのないものなのだが狛犬が興味をひく。わが家の近くの神社にもいるのだがこの歌のように苔が生しているものは相当古いのだろう。
    苔に苔が生している、なんだがこれはありえない。狛犬がでこぼこになっている、もおかしい。まあそのように見えたのだろうがもうすこし見て表現を工夫すべきである。

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  5. >HaraTetsuya1さん

    鉄也さん古希おめでとうございます。

    楽しみにして下さって嬉しいのですが、最近ちょっと歌ができてなくて、春になればできてくるんじゃないかと思うのですが。

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  6. >小川良秀さん

    >>苔に苔が生している、なんだがこれはありえない。狛犬がでこぼこになっている、もおかしい。

    この意見には賛同しかねます。科学的な見地から矛盾があるとの御指摘でしょうか?私は人間の感覚を言語に置き換えたものとして自然な表現だと感じます。

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  7. 苔に苔が生してゐるごと狛犬がますます見するでこぼこなり

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  8. 苔に苔が生しているごと狛犬がますますでこぼこになつている

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  9. あの、小川さん。私は第三者による改作や添削には否定的な立場です。オリジナルをベースにしたコメントをして頂けると幸いです。

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  10. いわゆる、安達くんやこの苔の歌の作者は作歌の初心者ではなかろうか。言ってることは高度なのだが(詩が高度となんとか見て)表現力がまだ至っていない。これはあくまでも参考として提示している。(表現が未熟でも個性は尊(たっと)ばねばならぬが)ひとつの作歌例を出すのがもっともわかりやすい。

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  11. 小川さんは土岐さんの「表現が未熟」だと仰いますが、それは土岐さんの短歌のどの部分を捉えてどういう根拠で仰ることなのですか。私は土岐さんの短歌の技術を未熟だとは考えませんが、何の根拠も示さず他人を未熟扱いする小川さんのコメントは未熟だと感じます。

    また、改作例を拝見する限り、小川さんは単純に自分の文体と毛色の異なる文体を許容できないだけなのではないでしょうか。私の立場からすると、二例とも土岐さんの軽やかな口語体の味を消してしまう改悪だと感じます。

    根拠を示さずに短歌を批判する行為は、批評ではなく中傷の類だと私は考えます。今後小川さんが根拠を示さないコメントを続けられるようでしたら、そのコメントは予告なく削除したいと思います。

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  12. たびたび訪問してすまない。わたしは君らがひとかどの歌人になることを嘘偽りなく願っているもうすぐあの世にいかんとして死期を自覚する72の老人だ。歌におかしいところがあれば若いものにいってやるのが親心だ。また自分は永平寺僧堂に安居した和尚である。人の為、世の為の想いがある。わたしは歌歴は30年ほどで初心者ではない。君たちを未熟などといった覚えはない。しかしながら歌が練れていないのはあるようだ。安達くんが学部をかえてまで文学部にはいって歌をやりたいと知ったので真の歌人になってくれよの熱い気持があるのだ。他人のことなど放却したらいいのにだ。この場合は、こうしたらよい、などの意見は君らを貶めるためにいっているのではないことを受けとめて欲しい。歌は文学であり芸術である。創作の前に人間をつくらねば作品は期待できない。わたしのスジ(血統)に京大教授がいるがそんな馬鹿と思わないのだが。苔の歌の問題点はいったつもりである。安達くん、そんなに怒るなよ、怒るべきところは別にある。

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  13. 私のコメントを理解して頂けなかったようなのでもう一度書きます。短歌を批判するのは構いませんが、根拠を示してください。

    小川さんが書かれた「なんだがこれはありえない」、「おかしい」、「表現力がまだ至っていない」、「歌が練れていない」これらのコメントには根拠がありません。今後コメントされるときは、どのようにありえないのか、どうおかしいのか、どう練れていないのかを私にも理解できるように提示して下さい。

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