2011年3月9日水曜日

高柳重信 秀句選6

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第6回は高柳重信(1923~1983)だ。彼は富沢赤黄男に師事し、4行書きの俳句など前衛的な作品を多く残した。特に、詩全体の形が絵画的な意味を持つカリグラムという手法を応用した俳句は印象的だ。これは言葉で説明するよりも実際に重信の作品を見てもらったほうが早いだろう。夏石番矢編『高柳重信』(蝸牛社)所収の300句より8句選んだ。概ね年代順に記す。

1 佇てば傾斜
   歩めば傾斜
    傾斜の
     傾斜

2 時計をとめろ
  この
    あの
      止らぬ
  時計の暮色

3 踊らんかな
  (瀕死)
  真赤な
  血の手拍子

4 森
  の 夜
  更け  の
    拝
  火の 弥撒
    に
  身を 焼
  く 彩
  蛾

5     咲き
    燃えて
   灰の
  渦
   輪の
    孤島の
      薔薇

6 ●●○●
  ●○●●○
  ★?
  ○●●
  ―○○●

7    一
     階
    二階
   三階
  旗
  さよなら
   あなた

8 軍艦が軍艦を撃つ春の海

1は本当に「傾斜」しているし、4は「蛾」の形をしているし、7は階段を形成している。6は文字化けではない。

2011年3月6日日曜日

時計は3時11分です

横浜に行った。

交差点の傍らに立つ郵便ポスト 行き合ふ自動車くるまは絶ゆることなく
東光飯店・四五六菜館 中華街は街のつづきにゆるやかにあり
とどめたくもとどまらず去る船は長く永く波紋を残しゆきたり
少しづつ回る観覧車デジタルの時計は3時11分です

2011年3月4日金曜日

つぎは、ひらつか

平塚に帰省した。

はくたか・とき・東海道線と乗り継いで小田急線の青き縞見ゆ
つぎは、ひらつか、ひらつかです人のまばらに立つ車両降る
淡雪の降る山国を離れ来てやや暖かきふるさとの風

2011年2月26日土曜日

解体心書

ブログを通じて同人誌「開放区」に参加する石川幸雄氏と知り合い、彼の第一歌集と第二歌集を送って頂いた。まずは第一歌集の『解体心書』(2008、ながらみ書房)の評を書きたい。

彼の短歌には他の現代短歌とは一線を画す魅力がある。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

のような歌にその特徴が表れている。もちろん「百年猶予」でも石川節は健在だ。しかし、この歌集の魅力は、「解体心書」にはなかった深い哀しみを感じさせる歌にあると思う。例えば、

とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

こんな歌がある。この歌のどこが他の現代短歌と一線を画しているのかを示すために、同じ現代短歌で牛丼チェーンを扱った、

うつむいて並。とつぶやいた男は激しい素顔となった  斉藤斎藤

を見てほしい。この斉藤斎藤の歌は「うつむいて」「並」「。」「つぶやいた」「男」「激しい」「素顔」というすべての構成要素が「現代を生きる男の孤独」のイメージへと綿密に計算されている。しかしあまりにも計算高すぎて、斉藤斎藤の敷いたレールにそのまま乗せられてしまったような感覚が後に残る。

ここで、もう一度石川幸雄の短歌を見ると、この歌は月と曜日と時間と「吉野家」という場所を指定して、いきなり「俺には俺の食い方がある」と宣言して終わるという極めてシンプルな構成になっていることがわかる。しかも明らかに上の句はおまけで、この歌は「俺には俺の食い方がある」と言いたいだけの作品だ。「牛丼チェーン」をテーマにして何か社会的な主張をするわけではなく、ただ「俺には俺の食い方がある」と、実に清々しいではないか。私も一緒に「俺には俺の食い方がある!」と叫びたくなる。

彼の歌には変な見栄や体裁がない。

早足の野良着の父がやってくる何処につけしか鈴の音がする

バスに乗り焼き鳥を買いにゆこうかとゆくまいかとあっ花火始まる

この2首は肩の力が抜けたような自然な文体で、読み手としても素直に詩の世界に入ってゆける。

この歌集にはいろいろなテーマの作品が存在していて、一口に魅力を言い表すことはできないが、歌集のタイトルから連想されるような「身体」の扱いかたが非常にうまいと感じた。

溶接に焼けた両眼をジャガ芋で冷やすひねもす仰向けの父

鉄棒からひんやり落ちた姉さんの肩甲骨に大き傷あり

手渡しの給料袋受け取るに熟練工は軍手をとりぬ

父親の焼けた眼が、姉の肩甲骨の傷跡が、熟練工の手の様子が、どの歌においてもまったく説明されていないにも関わらず、はっきりと目に見えるように伝わってくる。このリアリティーは、石川幸雄の鋭い身体感覚からくるものだろう。

ここに紹介したのはこの歌集の魅力のほんの一部にすぎない。最後に数首引用してこの評を終える。

生焼けのタレしたたるに七味ふりいざ沈黙の臓器を食す

週末にひとを迎えるアパートにハロゲンヒータ抱えて帰る

語りきれなかったあれからを持ちよりて涼しくなったら食事をしよう

2011年2月22日火曜日

セスナ

今日は珍しく晴れていた。夕暮れの色合いは不自然なほどの紅だった。

山の端も田の面も紅き夕影を見せてひとすぢ白きセスナ機

2011年2月18日金曜日

短歌研究 2011年2月号

短歌総合誌『短歌研究』(短歌研究社)の2月号を読んだ。今月は、巻頭作品で穂村弘が「「鼻血」のママ」50首、「作品連載」の欄で東直子が「これだけの荷物」30首を寄稿していた。穂村弘と東直子はともに歌人集団「かばんの会」に所属する歌人で、2人とも現代短歌界において最も影響力がある歌人の中の1人だと思う。

この2人に共通して言えるのは、一首一首の短歌に激しいインパクトがあることで、数十首あっても、少し緩くしたような、手を抜いたかんじの短歌が一首もない。この号の作品も刺激的なものばかりだったが、特に、

応答せよ、シラタキ、シラタキ応答せよ、お鍋の底のお箸ぐるぐる  穂村弘

カルピスのフルーツみたいの買ってきて だけどどこにもそれがなかった  東直子

この2首が印象に残った。東直子の歌は一見ユーモラスだが、どこか悲しい。

今月は他にも、「相聞・如月によせて4」と題して若手女性歌人の山崎聡子、大森静佳、服部真里子、小玉春歌、佐藤羽美、堀越貴乃、野原亜莉子、歌崎功恵、古谷円、やすたけまりの10人が7首ずつ寄稿していた。この欄はおもしろい短歌ばかりだったのだが、特に、

川沿いの工場跡が水性のインクのにおい立てて夕景  山崎聡子

巡るだけ巡れ青色に塗り分けた静脈、赤い色の動脈  山崎聡子

名を呼べば手を振れば消えそうだった 銀杏散り敷く道で別れて  大森静佳

この3首が印象に残った。大森静佳氏の存在は結社誌「塔」の2011年1月号で初めて知ったのだけれど、情感あふれる内容と知性的な韻律のまとまりからはゆるぎない実力が感じ取れる。

私は現代歌人の名前を多く知っているわけではないので、山崎聡子氏のことは初めて知ったが、視点のおもしろさと動きのある言葉の流れには強い個性を感じるし、作品全体がよく統制されていて、一首一首に世界観があると思った。これからの活躍に注目したい。

2011年2月17日木曜日

木下夕爾 秀句選5

一俳句ファンが勝手につくってしまう秀句選、第5回は木下夕爾(1914~1965)だ。彼の創作活動は自由詩から始まったが、戦時中の1943年頃から俳句も詠み始めた。木下夕爾の詩を一つ紹介したい。

内部

その窓は閉ざされたままだった
中には誰もいなかった

机の上はきちんと片付いていた

読みさしの本が置いてあり
インクの壺はからからに乾いていた

これから何かがはじまるようにみえた もう終わったあとかもしれなかった

とにかくひっそりかんとしていた

壁には古びた人物像の
眼だけが大きくかがやいていた

それに追い立てられるように
窓枠のすきまから覗いていたてんとう虫は
向きをかえ背中を二つに割って
燃える光の中へ飛び去った

細かい情景描写からクライマックスのてんとう虫の登場への劇的な流れが素晴らしい。

朔多恭編『木下夕爾』(蝸牛社)所収の300句より6句選んだ。概ね年代順に記す。

1 こころふとかよへり風の青すだれ

2 春の虹船は弧をもてならびたる

3 夕焼のうつりあまれる植田かな

4 こほろぎやいつもの午後のいつもの椅子

5 かたく巻く卒業証書遠ひばり

6 遠雷やはづしてひかる耳かざり

詩情が17音に収まり切らず溢れだしている。