去年の12月、今年の3月と4月に詠んだ短歌をまとめておく。既にこのブログに公開した歌が12首、そうでないものが1首で、計13首。御感想を頂けると嬉しい。
椿
冬の陽はひくく差し込むすすき穂のゆれ 風のこゑ 飛ぶ白き種子
深くなればなるほどふかまる水の色に「川の匂ひがする場所ですね」
ほつとりと椿ちりかかる道肌に杖つき歩むひとびとのこゑ
菜の花に蔓からませて何らかのマメ科植物がのびてゐる
落ちてゐる椿ついてゐるつばき鮮やかな色といふほどもなく
散りかかる椿やまぶき咲き初むる於美阿志神社の境内の春
明転するひかりの海にくるまれてなのはなの色は視認できない
風のはやさでちひさく浮上するさくら(あれは)蝶の翅です
気づいたらそこにはゐない鳥のゐた場所に挿入する青い色
乾いた色をしてゐるつばき冷えきつた花弁にゆびをすべらせてゆく
くすのきの葉の生えかはる
白いはなびらの落ちてゐるさみどりの森の何処かに咲くしろい花
花の名をひとつ知りても、てのひらのあなたのことはなにも知らない
冬の陽はひくく差し込むすすき穂のゆれ 風のこゑ 飛ぶ白き種子
返信削除(耳慣れた言葉が並ぶ、親しみやすい短歌。文字の配置から、ポツポツと途切れて言葉の並ぶ印象をもつけれど、一首の短歌として心地よい響きを奏でています。例えば、芸術歌曲のような)
深くなればなるほどふかまる水の色に「川の匂ひがする場所ですね」
(なんとも、心地よく耳に響く言葉の、「川の匂い」の独白が効果をあらわしています。誰かに語りかけているのでしょうか。愛しい人にでも。あまりにも優しすぎる短歌です)
ほつとりと椿ちりかかる道肌に杖つき歩むひとびとのこゑ
(「ぽっとりと椿ちりかかる」は、まるで山頭火ですね。それが道肌に、散りかかり、往来する人は、杖つく老人でしょうか。あるいは登山者でしょうか。人間が出現するのかよい。話し声が聴こえるようです。見事な写真とあいまって、きわめて老練の短歌作者を感じます)
安達さまには、よき五月連休をよき短歌と共に過ごされたようですね。風景と人間の中に、真実を見事に切り取って表現されました。
ますますのご活躍を祈ります。/E
明転するひかりの海にくるまれてなのはなの色は視認できない
返信削除たしかに光の海が背後にあったら菜の花の色は視認できないだろう。耀くばかりの海が消す菜の花の混融は視覚を幻惑させる。芸術的な視覚感応である。歌のながれ、漢字の配列、ひらがなの使用が適切。とくに、なのはな、のひらがながこの詩に合っている。佳品。
>HaraTetsuya1さん
返信削除>風景と人間の中に、真実を見事に切り取って表現されました。
ここまで云って頂けるとすごく嬉しいです。人間と自然の本質に迫る表現を追究してゆきたいと思っています。
>小川良秀さん
返信削除はじめまして。コメントありがとうございます。
「過剰な光」をモティーフにしてみました。混ざり合う感じを読み取って頂けたようで嬉しいです。
はじめてお邪魔します。和爾ネコウタの管理人です。歌もはじめて拝見しました。写生歌っぽいのが多いところが、若い方(?)の作としては珍しい感じですね。ぜひ新しい感性で古い写生歌の世界を更新してほしいです。「白いはなびら」の歌、おもしろい。「しろい花」は眼前に見えてはいないのですね。「白いはなびらの」の「の」は不要では??
返信削除そうですね。自分の心情を吐露するよりも外の世界の美しさを語りたいタイプです。
返信削除「白いはなびら」の歌は一応自分の中では「白いはなび/らの落ちてゐる」って感じで初句と二句が切れているつもりなんですけど、ちょっと無理がありそうですね。考え直してみます。